1月 27 2006
モモとミミ
最近、固い話が続いているので、今日はニャンコの話。
うちでは二匹のチンチラを飼っている。名前はモモとミミ。二匹一緒に呼ぶときは、モミモミ。お互い血のつながりは全くないが、とりあえず、モモがお兄さん、ミミが妹ということになっている。ここ一週間というもの、ミミが色気づいてうるさくてしようがない。夜中でもオス猫を求めて、ギャーギャー啼いている。可愛そうだから去勢手術はまだしていないのだ。ミミはたぶん人間だったら、むちゃくちゃ美人である。年の頃なら24〜25歳。小柄だが理知的な顔に気品あるたたずまいをしている。そんな女性がセクシーなポーズをとって、朝から晩まで誘っている。。わしが猫だったら、猪突猛進、八紘一宇の精神でケイブに突入するところだ。
ところがだ。ところが、うちのモモくん、こんなミミちゃんの挑発ポーズを見ても何も反応しない。可哀想なヤツなのだ。モモくんは、以前にもブログで紹介したかもしれないが、なんと両性具有ニャンコなのである。両性具有で両刀使いならば愉しい愉しい猫ライフを送れるのだろうが、運が悪いことにヤツは両刀不能なのだ。確かに、おまたを広げさせて白いふさふさの産毛の中を見ると、もうこれ以上ないくらい申し訳なさそうに男子の一物が付着している。で、そのすぐ下にこれもまた申し訳ないくらい小さな襞が二枚。このバイのモモくん、がたいも大きく、性格もすこぶる明るく、いつも元気一杯、我が家の中を所狭しと駆け回っているのだが、ミミちゃんがいつもと様子が違うことには気づいている。
モモくんはミミちゃんのことが好きなのだが、ミミちゃんは普段、モモくんのことなど眼中にない。モモくんが「遊ぼ!」とすり寄っていっても、ミミちゃんは、プイと横を向いて、無視している。モモくんは、その度に傷ついた顔をして、わぁ〜、と二階に駆け上がっていく。気の毒なやつなのだ。だから、モモくんにとって、この一週間のミミちゃんの激変ぶりは何とも解せないのだ。ミミちゃんが床の上で悩ましく体をくねらせながら、ニャーニャー甘えた声を出している。さしずめ人間ならば、「ねぇ〜、もっもくぅ〜ん、こっちに来てぇぇ〜。いいことしシヨウょぉ〜。」という感じだろう。モモくんそんなミミちゃんの悩ましい姿を見て、1メートル横でギクシャクして固まってしまっている。どうしていいのか分からないのだ。憧れのミミちゃんが変だ。なんだこのクニャクニャは?でも、モモの股間は極小と言えども確かに何かに反応してるようではある。中途半端な、あまりに中途半端な。。。
一昨日、いけないものを見てしまった。ミミちゃんが相変わらずクネクネして悶絶しているときに、初心者にはよくありがちな、あの野となれ山となれぇ〜という勢いを持って、いきなりモモくん、ミミちゃんに襲いかかっていったのだ。そうだ、モモ行け!!男になれ!!やるっきゃねーぞ!!わたしも、このときばかりは、小林一茶の心境で、モモの元服成就に激を飛ばしたのだが、どうも、モモくん、後ろからミミちゃんの腰を押さえるところまではいくのだが、そこからの様子がどうもおかしい。あれっ?あれっ?あれっ?タラ〜。と何度やっても空振りなのである。。当たり前だ。モモくんのじゃはなから無理なのだ。。3〜4回その空虚な身振りを繰り返したあと、モモくんは、パッチリした目を悲しそうに閉ざして、ミミちゃんからとぼとぼと離れた。おそらくモモくんには何が起こっているのか分からないのだろう。尻尾を下げてベランダの方に歩いていった。う〜ん、悲しかった。実に悲しかった。こんないいやつなのに何でこんな目に合わなくちゃいけないのだろう。。モモくん。。
たかがセックス、されどセックス。万物が、日夜、セックスを営んでいる。空も、大地も、海も、山も、草木も、虫も。。そして、ニャンコも。。
モモくん、ミミちゃんと結ばれなくて本当に残念だったね。ミミちゃんも、モモくんに抱いてもらえなくてほんとうに残念だったね。でも、体のセックスだけがセックスじゃないんだよ。もうじき、セックスの神様がやってきて君たち二人を猫族の精霊たちのもとに連れて行ってくれるからね。猫生つらいときもあるだろうけど、くじけちゃいかんよ。わしも頑張るからね。(上写真はモモ。)
2月 1 2006
原子とは○○○である
東京に3日間ほど出張。新著の企画内容書をN社の社長に見てもらう。一つ返事でOKを頂く。念願だった3色使用、ページ数の制限ナシ、というこちらサイドの一方的な要望にも快諾をいただき、次回作は予定通りヌース理論史上もっとも長大かつ重厚な書になりそうだ。
単独での著作は何しろ7年ぶり。この間のヌース理論の進展は目覚ましいものがあった。それをどうコンパクトにまとめるかが今回の課題になるだろう。まぁ、「シリウス革命」のときほど欲張らずに、ヌース的思考方法というものを丹念にプロットしながらトランスフォーマー型ゲシュタルトの粗方を書き記していくことにしよう。
今回の目玉は何と言っても、原子についての記述だろう。詳細な素粒子構造=無意識構造というステップを経て、ついに原子世界のヌース的有様へと論は進む。第二量子化が波動関数を再び粒子化するのと同じで、原子世界に入ると意識構造の視界も突然と明瞭なものとなる。。。トランスフォーマーにとって原子はどのようなものとして解釈されるのか——。一般には原子は物質を構成する基本要素と見なされているが、素粒子構造自体を人間の意識構造と見立てるヌース的世界観においては、原子もまた意識に関係する何物かへと激しく変身を遂げる。それは聞いてびっくりあわわわわ、驚天動地の内容となるはずだ。その意味、ヌースのトンデモ度が増す、という恐れもあるが、ロジックは通常の物理学ほど精緻ではないにしろ、それなりのロジックは紡いで行くつもりだ。たぶん、かなりエキサイティングな著述になるのではないかと予感している。
ネタバレを覚悟して書くと、実は、原子とは○○○の物質的射影である。○○○抜きでは僕らの意識は世界を語り得ない。たとえばフッサールは意識の働きをノエシス(意識の指向性の側面)とノエマ(指向される対象的な側面)に分けて考えたが、この指向性や指向対象というイメージ自体にすでに、○○○が自動的に働いている。人間は言語がなければ思考できないが、と同時に、○○○なしでも思考することは不可能だ。言語は恣意的なものだが、○○○は理念的客観性を持つものであり、。その意味で、意識の成り立ちと○○○は言語以上に極めて深い関係にあると考えていい。
こうした○○○を通して、原子世界の風景が見えてくると、世界の半分が神秘ではなくなってくる。生物はなぜ炭素体なのか。DNAはなぜあのような二重螺旋の構造を持っているのか。DNAとRNAの間で起っている複製活動の本質とは何なのか。コドンはなぜ64種類なのか。そこから生成されるアミノ酸はなぜ20種類なのか等、生命の生成の由来を物質的な説明で終始する科学的論説とは違って、ヌース理論はそこに全く違った角度からの説明を与えていくことになる。もちろん、その語りの在り方は、DNAのイメージを細胞核というミクロ空間の殻の中から解放し、現実のこのわたしたちの目の前にある空間に出現させていくことになるだろう。つまり、わたしたちはDNAの「中」を生きている、そういうイメージが形成されていくわけだ。
DNAとは真実の太陽系………。細胞一つ一つにも惑星の諸力が及んでいる。やがて地球上に次々と出現してくることになるトランスフォーマーたちは、その力線の一本一本がつぶさに見える視力を兼ね備えていることだろう。宇宙は科学が考えているほど複雑ではない。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: DNA, トランスフォーマー型ゲシュタルト, 素粒子