2月 19 2006
儀式的なものの彼方に
姪の結婚式に出席した。ネクタイとワイシャツが死ぬほど嫌いな私でも、Tシャッにジーンズでは姪の門出にあまりにも礼を欠くということで、ダブルのブラックスーツを新調。朝、着慣れぬ礼服に袖を通して、「おっ、わしってフォーマルも行けるじゃん」とちょっと上機嫌で、会場のZホテルに足を運んだ。
正装して人々が集まる場所には独自の雰囲気が生まれてくる。服装とは怖いものだ。この独自の雰囲気の場が、個体の出しゃばりを希釈する。そして、誰もが類的存在として個を剥奪され、そこによっこらしょと正体不明の神が降臨してくるのだ。
かくして、神主さんの祓詞(はらいことば)の奉上で結婚式が始まった。
カケマクモカシコキぃ〜、イザナギノオオカミぃ〜、ツクシノヒムカノぉ〜、タチバナノオドノアワギハラニぃ〜………ハラエタマヒぃ〜、キヨメタメヘトぉ〜。。
姪っ子におめでとう。と一言心の中でつぶやいた後、例の調子でわたしの悪い習癖が顔を出す。この神主さんちょっと声のキレがないなぁ〜。昨夜は行きつけのスナックのカウンターで若い女の子、口説いとったんかなぁ〜、とか、左側と右側の巫女さんのどっちがかわいい?右やな右、とか、とにかく頭が俗なことしか考えていない。挙げ句の果てには、この式場に列席している人たち誰も、この祝詞の意味を知らんやろうなー、とか、とにかく儀式というものが大の苦手なわしは、普段以上にたわけ者に変貌してしまうのである。ガキと言われてしまえばそれまでだが、だってそうだろ、世の中を見る限り、ほとんどの人が神なんて信じてはいない。にもかかわらず、未だ、冠婚葬祭には神さまが幅を利かせて、人々はそれらを有り難がってポーズだけの礼を取る。それが、日本人としての霊統に対する敬虔さからくるものであればいいが、ただ漠然と機械的に引き継がれてきた習慣に従っているにすぎない。無自覚に神に頭を下げることと、無自覚に神を装うことは同じコインの表と裏である。これが「和」の精神の一番の欠点だ。
確かなことは分からないが、神殿や祭壇に別に神さまがいるわけではなかろう。これらの仰々しい飾り付けには、当然、様々な象徴的意味が盛り込まれていようが、すべては言ってしまえば仮儀(けぎ)である。本質ではない。仮儀といえども、それらが古来より遵守されてきた「形式」である限り、本門としての幾ばくかの力が宿ってはいるのかもしれない。しかし、そうした御利益は、儀式を受ける側の聖なる心に働きかけてくるのであって、俗心まで面倒は見てくれない。別に俗が悪いと言ってるのではない。俗の中に聖を見ることこそがそもそもの「聖」だろ、と言ってるのだ。その意味で言えば、わしらは、いかにも「みなさ〜ん、ここに聖が在りますよぉ〜」と言ってるような場所に「聖」を見る必要なんぞこれっぽっちもない。それは、究極の俗以外の何物でもない。
オウム事件のときの日本の宗教界、あれにすべては現れている。日本の宗教界はとっくの昔に死んでいるのだ。アクチュアルに、今の人間の苦悩に対処して行こうと考えている坊さんなどいない。中には尊敬すべき人材もいらっしゃるだろうが、まぁ、お経を有り難く読み上げることのできるプロというのが、今のお坊さんたちの定義ならば、それはそれで仕方ないことだ。お坊さんにだって資本主義社会人としての生活がある。(税金ちゃんと収めてくださーい)
儀式的なものが軽視されていく世の中で最も大事なことは、儀式的なものを守り抜くことではないと思う。儀礼的な行為の中に一体、いかような精神が秘められていたのかをもう一度指し示していくことだ。そのためには儀式の仮面を一度すべて剥いでみるのもアリだろう。無条件に神や仏を祀り上げることは、むしろ神仏に対する最大の不敬ではないのか。というのも、神は本来、友のようにして語られるべきものだと思うからである。
ということで、ゆいちゃんや、旦那さんを神さまと思って、幸せになってくださいよ。。。
父と子と聖霊の御名において。。ラーメン。
2月 21 2006
異空の夢
以前にも書いた奇妙な睡眠空間の話。。。
昨夜も異質な眠りが襲う。だいたい1ケ月に1回ぐらいのペースだろうか。わたしは起きながらにして夢見を経験する。普通の夢見の空間とは全く別物だ。この異様な空間が到来してくるときはいつも同じ兆候がある。首から上の顔面、頭部の皮膚全体が突っ張った感覚に襲われ、プチプチプチと細胞の一つ一つが炭酸飲料のような音を立て始めるのだ。「人神」の冒頭で書いていた感覚に似ている。その音で、来た!!とすぐに分かるのだ。これがくると、わたしはいつも異界探検に出る心持ちになる。意識を前頭葉あたりに集中させ、出発の時を待つ。
昨夜のプログラムはかなり面白かった。真っ暗闇の中にぼんやりと模様が見えてくる。その模様はちょうど写真を暗室で現像するときのようにじんわりと一つの映像に変化していく。昨夜、最初に見えてきたのは、何かの部屋の中の風景だった。部屋といっても窓もドアもない。床、天上、壁の一面が濃紺のビロードのようなクロスで覆われている。目を凝らしてみると、その布地の上には微細なラメがまぶされたように無数の銀の粒がキラキラと光っている。手触りを確かめようとしたが、距離感がつかめない。
そう思った瞬間、体がふわりと宙に浮き出した。そして、床がゆっくりと遠のいていく。それとともに耳元でシュン、シュン、シュンと風を切るような音が鳴り始める。風船のように軽くなったなった体が、おそらく、天上にぶつかったのだろう。背中にちょっとした圧を感じ、再び、床の方に押し戻され、床面のビロード地のラメが近づいてくる。しかし、どうも床自体はかなり遠くにあるらしい。なかなか床に体がぶつからない。と、その瞬間、空間に見えないカベのようなものがあるらしく、そこで再び、弾き返される。そして、また、浮上。そういう動きを3度くりえしたあと、耳元の例の音が急に大きくなり、4度目に天井を覆っていた膜が破れたような感触が背中一面に伝わった。わぁ!!
突如として、上昇に加速がつき、もの凄い勢いで、箱の外部の世界へと飛び出した。わたしがいた箱は直方体の箱だった。周囲には最初は何もなく、仄暗いブルーの空間の奥の方に小さく箱が見える。すごいスピードなので、あっと言う間に箱は視界から消えた。するとすぐに、レーザー光のような光線がいろいろな角度から入射してきて、ランダムな線の模様を視界に描き始めた。ナスカの地上絵のような意味不明な直線群だ。グルグル回転したり交差したり、万華鏡のような模様を描いたりしている。上昇速度はますます上がり、耳元の音はシュンシュンからキーンという金属音に変わっている。次から次に意味不明な幾何学模様が出現してきては、ときにループを作り、ほどけては、また、ループを作りと七変化していく。上昇も伴っているものだから、瞬く間にそれらは視界上で小さくなっていくのだが、次から次に現れてくるので、見ていて飽きない。こりゃぁ、まるで、iTuneのビジュアライザみたいだ。
そのうちに、周囲の金属音が遠のいて行き、ポコポコ、ポコポコと何か泡ぶくのような音が聞こえてきた。わたしの体も微妙な温度変化を感じている。少し暖かい。なんだこれは?空間の色も濃いブルーから、暗いアズキ色に変わり始めた。さきほどまで、何もない空間と思っていたのだが、どうやら、何かの液体の中に入ったようだ。目の前を丸い円板状のアメーバーのようなものが通過していく、まるで降り始めた雪を上から眺めているかのように、次々と同じ物体が視界に入ってきて、前方へと流れ去って行く。数が大量に増えてきたときその正体がはっきりと見えてきた。赤血球だ!!ちょうどミクロの決死圏の1シーンと同じような情景が目の前にライブで展開し始めた。音もゴォーという激流音に変わっている。美しい。。
そこで突然、外界の音が入っくる。誰かが車で出かけようとしているようだ。マンションの駐車場で車のエンジン音が鳴り響いている。こんなところで外界音に注意を取られてはいけない。外界に気を取られすぎるとこの空間は消えてしまう。それは過去の経験から分かっていた。慎重に目の前の情景に意識を集中し直す。。大丈夫だ。再び、血流の情景が目の前に広がる。やがて、一つ一つの赤血球から、甲高い声が聞こえて来た。声というより音かもしれない。キュキュキュ、キュキュキュというような靴磨きのときに出るような音だ。するとその音に合わせて、先ほどまで赤血球に見えていたものが熱帯魚のような魚の姿に変わり始めた。それもすごい量の魚である。わぁ。流れが速いのでよく見えないが、細長いのやら、平べったいのやら、まるっこいのやら、色とりどりの様々な種の魚の群れの中を猛スピードで通過していっている。
そのとき、一つの直感が走った。ひょっとしてこれは生物進化のプロセスを上っていっているのではないか?ちょっとできすぎた話だが、そうに違いない。最初に出て来たのはありゃ素粒子や原子だ。。ということは、次は両生類やな——と思ったのも束の間、予想は見事に外れた。魚から一気に鳥に変わったのである。さきほどまで眼前にひしめき合って流れ去っていた魚類の群れは、一気に、その一匹一匹が、これまた無数の種類の鳥へと変態していった。いつのまにか水の音は消え、数千匹もいや、数万匹はいるかと思われる鳥の羽ばたきが、ものすごい音響で鳴り響いている。
群れていた鳥の一群が消え去ると、急に耳慣れた喧噪が聞こえて来た。どこかの都市の街並だ。日本か?昼間の午後あたりだろう。雑踏の様子が次第にはっきりしてくる。どうもわたしはスポーツカーに乗っているようだ。新宿だろうか?銀座だろうか?交差点で信号待ちをしているのだ。背中はシートの圧力を感じ、風景がもう前方に遠のいていってはいない。しかし、普通に車に乗っている感覚とは微妙に違う感覚がわたしの身体を貫いている。。何だろう?これは。。身体と車がつながっている感覚、運転しているというよりも、車が身体の一部になっているという感覚。。うっ、これは。。。
と思った瞬間、映像と音声が急に不安定になり、突如として映像が意味不明の模様へと変わっていく。。。あっ、いかん。いっちまう。。
映像が消えた後、いつものように目を開く。薄闇の中に枕カバーの縁の線がはっきりと視界に現れてくる。。ふぅ〜。。さて、次回はどんな世界に連れて行ってくれるやら。。おもろいでぇ〜。
By kohsen • 10_その他 • 5 • Tags: 人類が神を見る日, 素粒子