8月 13 2008
時間と別れるための50の方法(27)
●光のバトン
ここで、ψ3~ψ4、ψ*3~ψ*4までの内容を簡単にまとめておきます。
ψ1~ψ2という対化は『人神/アドバンスト・エディション』にも書いたように外界におけるミクロからマクロ、マクロからミクロという二つの方向性に対応させることができます。このとき、この両方向性を規定しているのはモノの界面です。モノの界面における外壁が外へと遠心方向に向かってイメージされている方向性がψ1で、モノの内壁が中心方向に向かおうとしてイメージされている方向がψ2だと考えて下さい。
これら次元観察子ψ1~ψ2の双方向性を等化する(ミクロ方向とマクロ方向を等化するという意味です)ためには、モノの外壁=モノの内壁と見るような内と外が捩じれた空間認識を作り出さなくてはならないことが分ります。このとき生まれる認識のカタチが第一の反転であるψ3の位置だと考えればいいでしょう。ψ1~ψ2レベルでは、モノの背景空間はモノの内壁が単に膨張したような凹面のイメージでしか捉えることができませんが、その凹面をモノの外壁側(凸面側)が反転して現れてきたものと見なせば、内壁=外壁という等化が完了したことになります。そして、このような反転領域があるからこそ「モノが見える」ということが可能になっていると考えなければなりません。つまり、ψ3のカタチが認識できたということは、文字通り,実際に見えている世界が意識の中に「顕在化」してきた、ということを意味しているわけです。
このような反転操作を他者側の空間認識にも施し、ψ*3の存在を想定すると、今度は、ψ3とψ*3もまた互いに相互反転関係にあることが分ってきます。このときのψ3とψ*3を「等化を初めて顕在化させた二つの精神」という意味で、「最小精神の対化」と言います。ヌース的にはこれらが−と+の電荷の本質に当たります。
上図1をご覧になって分かるように、ψ3とψ*3は互いに全く逆の方向を向いています。そのため、この両者はプラスマイナスゼロとなってその存在を隠してしまいます。結局のところ、そこに反映として遺されるのがψ4なのですが、このψ4はψ1〜ψ2の等化に気づくことができません。つまり、ψ4においては知覚正面そのものとしての真の主体(ψ3)は無意識化させられており、結局そこに意識化されるのは、このψ4と始まりにあったψ1~ψ2という対化だけになってしまいます。そして、当然のことながら、ψ3の存在を見失ってしまったこのψ4にはψ1~2と自分自身との差異も見えず、結果的にそれらを同じものとして見立ててしまいます(モノの内部のかさばりとしての球空間とモノの外部の球空間の間にある次元的な差異が見えないということ)。ヌース理論では、このようなψ4の作用を「中和」と呼び、その状態を「付帯質」として定義します。ψ3とψ*3を「最小精神の対化」とするならば、ψ4とψ*4は「最小付帯質の対化」という言い方ができるでしょう。そして、この対化が微分化領域に物理状態として射影されたものが磁荷(N,S)ではないかと考えています。
物理学では電荷と磁荷の決定的な違いは、電荷が+と−を単独に取り出せるのに対して、磁荷はNとSを切り離すことができないところにあるとしています(磁荷はモノポール化できないということ)。このことをヌース理論の文脈で解釈すると、主体空間(ψ3〜ψ*3)が自他という二つの方向性を持っているにもかかわらず(こちらが電荷です)、客体空間側が一つと見なされている(こちらが磁荷です)、現在の人間の意識状況そのものの物理的射影ということになります。このことから、ヌース理論では、人間の覚醒が生まれるとモノポールが発見される、という予想をしています(位置の変換の力が確実化すればそれは起こります。2013年当たり?)。
磁荷癒着の原因となっているψ4とψ*4の同一化をイメージするのは簡単です。いつもヌースの思考実験でやっているように、モノを中心に挟んで、その手前側に自分、反対側に他者を配置し、自分がグルっと180度回転して、他者側の場所に回り込んだときのことを想像してみるといいでしょう(下図2参照)。
中和では次元の方向性の差異が見えていないので、そのまま、他者の身体があった位置に自分の身体がすっぽりと入り込めるような認識が生まれているはずです。他者側にしても同じです。他者が自己側に回り込んできて、自己の身体があった場所を、今度は他者の身体が占める……まるで物体の位置の入れ替えのような単純なイメージで自他の位置が入れ替わっているだけです。このような同一化はψ4とψ*4がともに中和化されているため、両者の反転関係としての差異が見えなくさせられていることに起因しています。僕らが普段、親しんでいる3次元ユークリッド空間とは、そのような同一化の産物です。
磁場とは人間のことです。(シリウスファイル)
執拗に、執拗に、最後の復習しておきましょう(笑)。この文章がスラスラ読めるようになっていれば、次の段階(次元観察子ψ5〜ψ6、ψ*5〜ψ*6)に進んでも大丈夫です。
まず、目を閉じてモノを触ります。そこにはモノのかさばりとしてのモノの内部性があります。これがψ1~2領域です。モノの表面として感覚化されているところがψ1、中心方向への感覚がψ2です。次にそっと目を開きます。そこでは、さっき触っていたモノの外部に空間が広がっている状態が観察されてきます。モノの背景空間としてのψ3の次元が出現してきたのです。ここで図(モノ)と地(背景)という差異からモノの輪郭が形作られ、視覚的な意味でのモノの像が形成されてきます。ここに真の主体の萌芽があります。ここで、この真の主体の芽が他者側から見た知覚正面であるψ*3を意識に取り込んだ時、そのとき同時に中和としてのψ4の位置が産み落とされてきます。「わたし」の目がモノの手前に存在している…というイメージです。つまり、ψ3がψ*3を鏡とすることによって自分自身の姿を実際には見えていない空間側に鏡像として落とし込んでくるわけです。モノから広がっている空間が自分の顔面に迫ってくるような感覚。さらにはその空間が、自分の顔面をも突き抜けて背後側へと広がりを持っていっているような感覚、それが次元観察子ψ4の球空間のイメージです。ψ4はψ3の付帯質として生じている場所です。その意味で、ψ4はその実像であるψ3と鏡そのものの機能を果たすψ*3が無ければ存在することができないものであることが分かります。人間の意識はψ4側が先手となって、ψ3は無意識の中に沈んでいます。
闇の中に光の充満がある。
それは宇宙を開花させるための存在の種子と言っていいものだ。
この種子の中には煮えたぎる光の圧力が閉じ込められている。
情動だ。
情動は種子から出ようとあがいているのだが、
反対側の光が同じ欲望を持って、
この情動を引っ張っているものだから、
結局のところ、種子の中で右に左にうち震えている。
種子から出る方法はただ一つ。
反対側の光を遮断すること。
つまり、鏡を割ることだ。
そうすれば、時間は情動を手放すし、
情動もまた時間から解放されることになるだろう。
そのとき情動は純白のドラゴンとなって、
大空へと解き放たれる。
ヘッドレスとなって、死者となること。
時計を止めて、ミクロの生き物となること。
光のバトンを受け取って、存在世界の意思を継ぐこと。
君自身が永遠回帰なのだから――。
つづく。
10月 6 2008
時間と別れるための50の方法(40)
●ψ5の反映としての次元観察子ψ6(丸められた時空と開いた時空)
では、今度はこの4次元のアナロジー図を使って次元観察子ψ6のカタチがどのように表されるかを見てみましょう。下図1をご覧になりながら以下の解説を読んでみて下さい。
次元観察子ψ5がψ3とψ4の等化作用として生じる観察子であるのに対して、ψ6の方はその反映としての中和作用の次元になります。中和ですから、ψ6においてはψ3とψ4の対称性が形作られはするものの、その内実はψ5の様子とはだいぶ違ってきます。まず言えるのはψ5では無限遠点が主体の位置として自覚されているのに対し、ψ6にはそれが全く見えていないということです。その理由はおおよそ次のようなロジックで説明することができます。
まず、ψ5は人間の外面であるψ3を先手にして後手のψ4との関係を等化に持っていきます。この働きを空間の掛け算で表し、
ψ5=ψ3×ψ4
としましょう。これは前回説明したように、3次元球面が表裏で二重化する意味を表したものです。
一方、ψ6の方は人間の内面側であるψ4を先手にψ3との等化をはかろうとします。これは掛け算の順序を入れ替えて、
ψ6=ψ4×ψ3
で表すことができると考えましょう。
通常の掛け算であれば、A×B=B×Aとなり交換法則が成り立つのですが、観察子同士の掛け算は演算子の積と同じで、ψ3×ψ4とψ4×ψ3ではその結果が全く違う形を提供してきます。
人間の外面であるψ3の方は無限遠点に主体の位置が収まったカタチでした。ですから、3次元空間は3次元球面のカタチとして現れます。そこでψ3は、自身の反映としてのψ4を自分自身の反転したものとして見るのですが、当然、ψ4が自身の反転した映し絵であるならば、ψ3はψ4側の無限遠点にも主体位置があることを知っていることになります。それによって、等化によってψ5の形成へ進もうとするときに、反転した3次元空間側の無限遠点にも主体の位置を当てはめてくるというわけです。こうしてψ3の無限遠点-∞とψ4の無限遠点+∞はψ5において重合し、±∞として主体位置である点Sを完全化させることになります。
一方、ψ6=ψ4×ψ3の方では全く逆のことが起こるのが分ります。ψ4側では精神が働いていないので、無限遠点+∞が主体の位置であるという認識は生まれてはいません。ですから、ψ6がψ5の反映の作用であるψ4×ψ3としてψ4とψ3との間で対称性を取らされようとするときに、ψ6はψ3の無限遠点-∞に主体の位置があるということを見逃してしまい、結局、3次元空間をコンパクト化する(丸めるということ)ことができずに、そのまま3次元空間を開かせた形で二重化した3次元空間(多様体)として出現してくることになります。図1に示したψ6の球面の無限遠点が白い穴で表されているのが3次元が球面として閉じていないということを表しています。これがいわゆる多様体としての3次元ユークリッド空間です。
それに加えて、この3次元ユークリッド空間にはψ5が作り出した4次元の回転軸が反映として入り込んでくることになります。この反映はψ6においては4次元軸の方向の反転として現れ、4次元の計量の符号を正から負へと逆転させることになります。以前も説明したように、これが物理学が時間tとして扱っている次元に当たります。この結果、次元観察子ψ6は僕らが時空(局所)と呼んでいるものとして現れてくるという仕組みになっているわけです。
図1ではψ5とψ6の対性を強調するためにψ6も球面状のカタチで表してしまいましたが、こうした開いた3次元空間に時間が加味された時空のカタチは数学的には3次元双曲面として表されます。そのカタチを使って図1を書き直すと、次元観察子ψ5とψ6の幾何学的関係は下図2のように表すことができます。
次元観察子ψ5=3次元球面の自転とその自転軸
次元観察子ψ6=3次元双曲面の自転とその自転軸
この図の意味を簡単な言葉で表すと、(34)の図1で図示した観察者における前方向が作るSO(3)と後方向が作るSO(3)のそれぞれの空間のかたちの関係と言えるでしょう。実際に物理学では、時空R(1,3)のかたちは、
R^1(+)×SO(3)
とされています。後ろは視覚(光)が生み出されていないという意味で無限遠に主体の位置を置くことができず、文字通りどこまで行ってもたどり着けない場所として永遠に開いています。その意味で、時空は後ろ方向であるR^1(+)という半直線に3次元回転群SO(3)を作用させたもので表すことができるということです。
このψ5とψ6の関係性をさらに正確に描写するためには、例の「前方向は一点同一視によって長さが無限小にまで縮められている」という知覚的事実を盛り込む必要性が出てきます。結果、次元観察子ψ5は時空における原点Oに小さく小さく張り付けられた3次元球面の自転とその自転軸として密やかに活動していることになります(図2参照)。こうして次のような推論が導き出されてきます。
観測者に実際見えている前の世界は実のところ無限小の大きさにまで小さく小さく縮められて、後ろが作り出している広大な空間の中にすっぽりと収まってしまっているのではないか――前は持続を伴った主体(いつでも今、どこでもここ)として働き、後はそれらを時系列に沿って断片化させた瞬間時刻tと瞬間位置(x,y,z)の概念として働いているのではないか。。何という皮肉。見えている世界(前)が実は精神で、見えていない世界(後)が延長=物質となっているのだ。人間の認識はここにおいても転倒を余儀なくされている。。
さて、ψ5~ψ6のここまでの解説で、これらの幾何学的構造が訴えている意味は何なのでしょう。少し想像力を使えばそれはおのずと分ってきます。つまり、こういうことです。本来、世界には見ているものも見られているものも存在しておらず、世界自体はその起源として一つの存在であるということです。そして、世界は世界を見るものと見られるものに分離させるために、つまり、世界が世界を見ることを欲したために、3次元空間を閉ざして球面化させる方向と、そのまま開かせて時空を生み出す方向を作り出した、ということになります。
主体が客体として錯覚されている世界。それが人間なのです。
――つづく
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 2 • Tags: ユークリッド, 内面と外面, 無限遠