10月 11 2018
止核精神の対化(マカバ)と電磁場
止核精神とは光の片割れのようなものだ。光は物理学的には電磁場だが、磁場と電場の関係を交差する正四面体(マカバ)で表すと下図のようになる。
この図で、正面方向に垂直に立っている方向が奥行きだと考えよう(図では潰れて点にしか見えない)。磁場は左側のレッドの三つの平面の回転として現れ、電場は右図に示したブルーの三つの平面の回転として現る。
電場の方が観察位置が観察される側の位置に入り込む回転であることが分かる。結果、このレッドとブルーの回転の双方を等化する回転が電磁場だということになる。そして、その回転が人間の空間認識を3次元の中に閉じ込めている。OCOT情報が「光とは有機体」「有機体とはカタチのない精神」というのもそのような意味からだと考えるといい。
正六面体には1:√2:√3(二辺と対角線の比)で構成される六つの面が含まれているが、磁場と電場はこれら六つの面の二つのグループへの分離になっていることが分かる。
電磁場とこのマカバを内包する正六面体の関係構から何が言えるか―それは物理学者には少しショックな内容かもしれない。
つまり、電磁場とは時空の中で活動している物理現象ではなく、時空という概念の形態そのものを指しているということ。言い換えるなら、人間に時空を認識させている精神構造なのだ。これは、4次元が見えてきて初めて分かってくる。ちなみに、この4次元への垂直性が開くことが「シリウスゲート」。つまり、ヌーソロジーのいう「付帯質の内面」への侵入口となる。
付帯質の内面の方向(垂直軸の方向反転)に入ると、時間は持続空間となりスピン化し、物質の構成へと入る。いつも紹介している「ヘキサチューブル」の構造がそれを表す。
ここに見られるような構造(カタチ)を作り出したものの世界へと意識が入っていくわけだ。そこに人間の意識のアプリオリが活動している。潜在化ではその領域は素粒子の場だが、顕在化においては、それは元素界となる。
また、非常識なことを言うようだが、意識の反転が開始されると素粒子によって元素が作られているのではなく、このように元素が素粒子を作っていたことが分かってくる。素粒子とは元素のカタチをトレースしている変換性の産物だということだ。
とにかく、根底からすべてが引っくり返っていくヌーソロジーの世界観。今のところは、哲学-物理-スピリチュアルを総合したSFとして楽しんでもらえば十分です。
10月 26 2018
内なる宇宙は絶対的中心を持っている
絶対的中心の発見―これはヌーソロジーの空間認識に入るための鉄則だね。
人間の外面が顕在化を起こすことは、この絶対的中心が意識に上がってくることと同意。絶対的中心の浮上は「精神の外化」と言い換えてもいいね。外に内が見えてくるということ。ヌース用語で言うなら、「垂質」が作り出すもの。垂質とは4次元の意に近い。
絶対的中心の位置は、例の「観点の球面化(キットカット缶の回転)のワークで見出される中心点のことだが、裏を返せば、あのワークは無限遠点(主体の位置)を一つの球面としてイメージさせるためのワークにもなっている。
絶対的中心点とその球面として感覚化されてくる無限遠点―ここにおいて見出されてくる球空間は、数学的は3次元射影空間と呼ばれるものと同型になっている。
3次元射影空間は下図のような空間としてイメージするといい(下図2番目)。図では一点でしか接していないが、この空間は二つの球空間が互いにその表面でくっつきあったような形をしている。観点の球面化を起こした自己と他者の関係を表した空間と言っていいだろう。ヌース用語では「垂質の対化」と呼ぶ(右の球体の中心点はOではなくO*に訂正)。
この垂質の対化の位置をヘキサチューブルで表現すると下図3番目のようになる。垂質の対化は二つの正四面体が交差する正八面体が骨格になって作られているのが分かる。
わたしたちが普段、表象している3次元空間の方はその下のψ3~4に内接する正八面体に対応している。階層が一つ下だ。
ところで、ここでいう「垂質の対化」というのは、先日、「魂の反撃のために―追記3」のところで紹介した球体と同じものと考えて構わない。あの図(下図最後)では、人間の内面側に生まれている空間を二次元双曲面に対応させていたが、観測者の自転(この自転が球面の形成に当たる)の自由度を考慮すれば、これはそのまま3次元双曲面となって「時空そのもの」を表す。人間の内面側は、いわゆる自分原点とした後ろの空間の広がりのことだ。
こうして総合的に構造が見えてくると、私たちの現在の空間認識においては「前(奥行き)」が全く意識化されていない―というヌーソロジーの問題提起の意図が、皆さんにおいても徐々にハッキリしてくるのではないだろうか。というか、そう願っている。
このように、ヌーソロジーが語る高次元認識とは、決して巷にいう超能力や霊能力のような類いのものではない。誰でも、ある一定の思考の手続きによって作り出せていけるものだ。そのあたりをくれぐれも間違えないように。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ヘキサチューブル