10月 13 2009
NOOS LECTURE 2009 IN 福岡 VOL.3
10月10日午前10時半頃。会社オフィスに出向く。よし、今日はレクチャーだ。頑張るぞぉ〜と、コンピュータにスピーカーをつなぐ作業をしているとき、腰骨当たりににプチッとまた例のあの嫌な鈍い音が。。。案の定、プチギックリ腰に。レクチャー中は根性で何とか事なきを得たが、明けて三日目の今日、症状が悪化しているぅぅぅ。。まだ歩けるけど。。ってなことはさておいて。
第三回レクチャーに参加していただいた皆さん、今回もどうもありがとうございました。スタッフ合わせ総勢26名。またもやアカデメイアオフィスは満杯で熱気に溢れていましたね。今回のテーマは「人間の無意識構造と次元観察子」。かなり厄介なテーマでしたが、何とか概要は伝えられたかな。。
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今回はどういう話をしたかというと、ずばり無意識の解説。
ヌーソロジーというのは物質と精神の接合を意図している思考体系なんだけど、この接合箇所が一体どこにあるかと言うと、それは20世紀以降の哲学が「無意識」と呼んでいる場所なんだね。無意識とは言ってみれば、人間の意識を裏で支配しコントロールしている人間には意識化不能な意識のこと。ヌーソロジーの目的はこの無意識を流動させている海底の怪物を何とか幾何学的にサルベージし、そこに立ち現れた空間構造を現代物理学がいうところのゲージ対称性や超対称性の世界と何とか接合できないものかと考えているわけ。無意識構造と超対称性……ここにちりばめられている知識は、まぁ、いうなれば、現在の人文系と科学系の学問状況の最先端の内容とも呼べるものばかりで、当然のことながら、僕ごときの素人が詳しく立ち入れる領域じゃないんだけど、しかし、この橋渡しのアイデアを世の中に提出することがヌーソロジーの存在意義だと考えているので、執拗に続けていくしかないのよね。
今回はフロイトがなぜ精神分析なるものを立ち上げたのか、その話から切り込ませていただきました。フロイトはその後発展していく心理学の基礎を築いた人物なんだけど、実に一癖も二癖もある人物だというのが僕の感想。彼の脳裏にはユダヤ的精神を殲滅することが目的にあったのではないか。精神分析を通じて、ユダヤ民族の血脈に流れている神への奴隷的精神、つまり集合意識的規模のエディプス・コンプレックスからユダヤの精神性を解放しない限り、自分自身の魂の解放はないと考えていたのではないか——そんな感じを持ってます。
ユダヤの精神性は現在の次元の人間全体の精神の核となっている。OCOT情報はそう伝えてきている。科学が父なる神を殺し、それによって生み出された技術資本が際限なく母なる自然を陵辱している様を見れば、人間自身が「父を殺し、母を犯す」というあのオイディプスの悲劇を背負った張本人であることは想像に難くない。そして、殺したはずの神も、人間の理性=科学がいくら発達しようとも、おまえにはほんとうのことは分かるまい、と枕元に亡霊となって呪いの言葉を囁きつづける。
まぁ、そういう話の流れで、人間の無意識構造について4時間ばかり舌足らずの話をしました。これでようやくヌーソロジーのキモである次元観察子の中に入って行けます。さぁ、次回からが現地案内。これがまた大変なんだよね。頑張ります!!
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8月 6 2010
カバラは果たして信用できるのか?——その6
前回よりのつづき――
現代思想はと言えば、このハイデガーの前期の思考の場所でいまだに右往左往しているようにも思える。それはまさにハイデガーが仕掛けた現存在の二重襞による呪縛のためだろう。現代思想が陥ったこの思考の停滞は人類が資本主義そのものを乗り越えるための次世代の世界ビジョンを何一つ提供できていないことにも如実に現れている。資本主義を駆動している力の源泉はフロイト的に言えば快感原則にあるが、この快感原則はラカンによればシニフィアン(記号=欲動)とシニフィエ(目的=意味)とを結びつける規則(超越論的シニフェ)であり、その体制下で生産されるすべてのシニフィアンはそれに対応するシニフェへと必ず送り返される運命にあるとされる。このことはアッシャー圏の特異点たるティファレトに穿たれた穴が快感原則そのものによって塞がれていることを意味している。このティファレトは確かにイェッェラーという語り得ぬもの=異界に接してはいるものの、その異界に何か名が与えられた瞬間にそれは再びアッシャー圏へと回収され、語り得るもの=意味、目的として回帰してくるというわけだ。つまりはアッシャー圏の内部を流動する欲望の流れは常にティファレトの上位へと出ることを欲望しているのだが、その欲望自体が主体を構成する精神分析的な言語システムの網の目に絡み取られ、再び内部へと還元され、脱出口のない無底の循環を繰り返しているという筋書きである。
こうしてヌーソロジーというアッシャー圏の外部を目指す思考の運動が出てきたとしても、それはこうして半田広宣という主体の語りによって言語化され、そこにある一定の意味が付与され、一つのイデオロギーとなって、さらには貨幣へと換算され、資本主義の体制をより強固なものにしていく。まさにその構造は浅田彰が『構造と力』の中で示したクラインの瓶のように、外部への開きが結局はまた内部へと回帰してくるような閉空間の構成を取っているのである(ヌーソロジーではこの閉空間は7次元球面のトポロジーを持つと考えている)。こうした欲望回路の在り方は1920年代にすでにM・デュシャンが『大ガラス』の中で独身者のオナニーマシンとしてエロティックに揶揄していたものでもあるのだが、あれから猶に90年を経過しようとする現在でも、この閉回路はますます勢力を増すばかりで、いっこうに衰退する兆しを見せない。果たして、この気も狂わんばかりの資本主義回路のハムスターホイールから抜け出る方法論などというものが存在し得るのだろうか――一つだけ言えることは、もしそのような方途が存在するとすれば、それはもはや言語的なスタイルを取るものではないということだろう。現代思想の状況が相も変わらず言語的な観念の同一性の中で終始し、些末なジャーゴンで支配されている現状を見れば、実はラカンが登場した時点で、いやヴィトゲンシュタイン当たりが登場した時点ですでに哲学は終わっている言える。事実、今の哲学は諸学の王とは到底呼べない位置にまで凋落し、科学哲学や政治哲学という名が示す通り、科学や政治の太鼓持ちに成り果てているのが現状だ。
では、言語の一体何が問題なのだろう。それは再三、言ってきたように、言語の背景に厳然と横たわっている同一性である。AはAでなければならないとする同一性。この約束事がなければ言語は言語としての体制を保持することができない。この同一性はカバラ的に言えば一者たる神自身の同一性によって支えられているものであり、こうした支配の下ではまさにすべての言語は固有名はおろか一般名詞に至るまで神名として機能していることになる。つまりは、わたしたちが用いる言語の一字一句に至るまであの「Y-H-W-H」の四文字がMade in Godの証として署名されているのである。
であるならば、この強制力から逃れるための方法はおそらく一つしかない。それはケテルの玉座に座する神の殺害を試みることだ。そして、その囚われの身となっている花嫁たるマルクトに性転換手術を施し、マルクト自体を一者たるアインに変身させるしかない。それはニーチェやハイデガーが取ろうとしたブラトニズムの逆転をこの生命の樹にもダイレクトに導入するということでもある。マルクトをケテルに見立て、被造物の世界自体を無(アイン)と見なす視座を作り出すこと。これがこのブログ記事の冒頭で紹介した「カバリズムの逆転」という発想だ。ヌーソロジーのOCOT情報の解読はすべてこの視点で行われている。だからヌーソロジーが現実の社会にどうコミットするかだとか、ヌーソロジーが人生の役にどう役立つなのかといった同一性が支配する内世界的な問い立ては、ヌーソロジーの思考の中においてはあまり意味を為さない。僕が常々、ヌーソロジーとは全く別の世界を内在野の中に構築することを目的とするものであると言ってるのも、思考背景にこうした絶対的差異の線引きをしているからである。つまり、ヌーソロジーはこの世とは何も関係を持たない死者の思考なのである。
死者の思考。反転した世界。反転した生命の樹——。
逆転したカバリズムの視座においては、すでにおのおのの存在者を神として見なさなければならないということ。おのおのの存在者が神であるならば、どの一つの存在者をとっても、それらは一切が無(アイン)であるということ。そして、存在者が神であるならば、一つの存在者自身は世界を創造していく力能をすでに所持しているということ。こうした思考を以て初めて、存在者から立ち上がってくる光は一者=神から流出する光へと相転移を起こし、そこに新たな創造空間を切り開いていくことができるのだ。「光あれ!」という宇宙開闢の号令はもはやヤハウエの声ではない。その号令は被造物である存在者によって今こそ発せられなければならない。同様にまたユダヤ神秘主義が受け継いできた生命の樹ももはや生命の樹ではあり得ない。それは知識の樹による生命の樹の隠蔽である。この知識の樹を転倒させること。人間こそが存在の根であるという正立像を奪回すること。魂の上昇とは無からの創造行為をおいてほかにあり得ないのだ。
——つづく
By kohsen • 01_ヌーソロジー, カバラ関連 • 1 • Tags: カバラ, ニーチェ, ハイデガー, フロイト, ユダヤ, ラカン, 生命の樹, 資本主義