7月 21 2006
アポリネールへのオマージュ
昨日、UPした絵について、ちょっと説明しておこう。
これは2002年のヌースレクチャーのオープニングで使用していたものだ。作品名は「アポリネールへのオマージュ」。作家はシャガールである。シャガールの晩年は飛翔する少女のようなメルヘンタッチな構図と瞬発力を感じさせる色彩センスが特徴だが、初期はキュビズムに大きな影響を受けていた。この作品は、20世紀初頭、シャガールがロシアからパリに移った頃に描かれたものとされている。
「アポリネールへのオマージュ」とあるように、この作品はきわめて象徴主義的なもので,他の象徴主義の作家同様、シャガールもカバラや錬金術に関心を示していた。中央に描かれたシャム双生児のような木彫りの人型は、アダムとイヴである。両者の合体は両性具有者=アンドロギュノスを意味している。イヴが右手に林檎をもっているのが分かるだろう。
背景に描かれた赤と緑のコントラストを持つ円盤は、巡り巡る運命の輪、つまり、宇宙的時計の文字盤である。時計の巡りとともにアダムとイブは引き裂かれ、再び、一人の両性具有者と変身する。木偶の坊のように描かれたアダムとイブの姿は、破壊された宇宙的性愛の力を象徴している。カバラにいう器の破壊である。カバラの教義では、男女の関係は神と人間の地上的映し絵であり、この世界で男と女が分離して存在すること自体が、原罪の結果とされる。人間の努めは、この分離を再度、それ以前の完全な宇宙的合一の中へ立ち上げることとされる。それは、とりもなおさず、人間と神が合体することをも意味する。
画面左下には矢で射ぬかれたハートがあり、その周囲には,アポリネールを初め、当時のシャガールと親交が深かったと思われる4人の人物の名が正方形状に並べられて書かれている。これらは火,地、風、水,という4大元素の象徴だ。
カバラを始めとするオカルティズムの伝統は、このように、対立物の一致、天使的領域の顕現による、神と人間の融合、そこに暗躍する、4大元素の力、というように、「2」「3」「4」の法則を根底に持つ。当然、この法則性の中で神秘とされるのは始まりと終わりを結ぶ「5」の力である。「5」は「1」と同一視され、「1」〜「5」へと至る、5の循環は永遠に止まることはない。ヌース理論においても、それは同じである。
7月 22 2006
人間の条件
今日も一枚の絵についてヌーシーな戯言を。。。
ルネ・マグリットの「人間の条件」という作品だ。この絵は画家が絵を描くことの基本的なスタンスを的確に表した概念画のようなものである。マグリットの作品は、以前、紹介した「複製禁止」を初めとして、空間に潜む亀裂、断裂をあたかも測量士のようにきっちりと図式化して再現するものが多い。この作品もその典型である。
室内から見た外部の風景。室内と外部の間にはあたかも風景を切り取るように窓が穿たれている。この窓枠に合わせるようにして、キャンバスが象られ、そこに、外部の風景が詳細に模写される。キャンバス上に描かれた風景はあくまでも2次元上に配置された形態や色彩だが、窓の外に広がる風景は三次元的奥行きを持つ延長としての世界である。
この作品のタイトルにあるように、こうした空間の配置関係が「人間の条件」であることは、ヌースをご存知の皆さんはすぐに了解してくれるだろう。人間はあたかも内部と外部のように感じるなにがしかの空間感覚を持っている。外部は客観世界と呼ばれ、内部は主観世界と呼ばれる。それらはそれぞれこの作品では室外と室内として描かれている空間のことであり、その境界に設けられた窓は目の役割に等しい。画家は視野そのものをタブローとして、この室内と室外の境界面に起きる出来事を作品にするが、それは、ときに感情、ときに思考という反応を通じて、一つの経験の風景としてモチーフ化されていくわけである。
ヌースがまずヌース的思考の大前提として、空間を内面と外面にカテゴライズするのも、この作品が提示している意図と全く同じだ。感情や思考といった主観的な意識の働きは肉体の内部にあるのではない。ましてや、脳の中でもない。この作品で言えば、この窓の形に描かれた「絵画」そのものの上にある。絵画が精神の表現となり得るのは、精神が絵画的であるからにほかならない。ユークリッド空間よりも射影空間の方がより本質的であるように、絵画は決して三次元の風景を平面で表現したものではなく、絵画的なものの方が延長世界へ射影され、三次元認識として開いているのである。その意味で、本当は、絵画的なものの方が高次の生成物である。
まぁ、こんなことは、絵画論の中では言い古されていることだが、この転倒関係をまずはしっかりと認識する必要がある。ヌースではこの作品におけるキャンバス部分を「人間の外面」と呼び、室外風景の方を「人間の内面」と呼ぶが、いずれにしろ、わたしたちは室内から外部を覗くとき、外面に穿たれた窓を通して、それこそ、身体そのものを裏返しにしていると言える。光の皮膚を突き破り、身体の外部へと出血を続ける魂——君も、明日から、自分の部屋の中から外に出るとき、また、反対に外出先から自分の部屋の中へ戻るとき、そこにある空間の捻れに注意を傾けるといい。おそらく、かすかにだろうが、皮膚の裏返る音が聞こえてくるはずだ。
ライプニッツは「モナドには窓はない」と言ったが、それは当然だろう。モナドそのものが窓なのだ。モナドとは二つの対立する世界の継ぎ目、捻れ目に生まれるものなのだ。目の前にその捻れ目が見えてくれば、君もヌースの世界に足を一歩突っ込んだことになる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 08_文化・芸術 • 1 • Tags: マグリット, モナド, ユークリッド, ライプニッツ, 内面と外面