5月 1 2006
地球空間への接続
ここのところ、絶対的前後と絶対的左右が認識について果たす役割について考えているのだが、左右や前後が身体を基準とした方向である限り、これは発生的に大地=地球と決して無関係なものではないと感じている。この身体にとっての前後や左右という絶対不動のディレクションを、地球自体が持った月や太陽、その他の諸天体に対する方向や定位と何とか納得のいくロジックで結びつけられないものだろうか。これがヌースの現在の課題である。
「シリウス革命」でも書いたように、ヌース的文脈では地球外部の太陽系空間は地表の空間とは全く次元を異にしている。つまり、3次元空間とは見なされない。その理由は地球中心が地球外部の時空を統括している位置と見なされるからだ。地球中心は人間全体が同時に、かつ同等に対象化できる「点」である。僕らが常に地表を「前」として、つまり、下を向いて地表を歩行するならば、その歩行はすべて地球中心を中心とした回転運動となり、そのすべての「前」は地球中心で一致する。つまり、地球中心とは地球表面に棲息している全人類の前を一点に集約することのできる奇跡的な「点」となるのだ。このことは地球を陽子と解釈するヌースの思考と無関係ではない。というのも、あらゆる人間の「前」の集合がψ7の意味だからである。
OCOT情報では、地球の地軸方向が人間全体の前後に相当すると伝えてきている。地軸と磁軸のズレに関してはまだ原因は分からないのだが、表相の対化が磁極のNとSに対応することを考えれば、ψ1-2はつまるところψ*7-ψ*8の凝縮化として現れてくる部分でもあるので、磁場がHopf写像としてS^2を底空間とするS^1の方向を持っていることもそれなりに辻褄は合ってくる。三次元球面S^3の認識は僕らの前後認識にある変化を与えることによって可能になるだろう。それについては新著に詳しく書くつもりだ。
さて、もし、地軸がψ7を形成するための等化運動の現れだとするならば、個体の前と後ろの関係は、ψ5とψ6の関係と同じにになり、これは結局のところ地球上の昼半球と夜半球の関係とホモロジカルな関係を持つことになる。できすぎた話だが、ヌースの文脈ではそうである。結局のところフレミングの法則が示す、磁場(ψ1〜2)、電場(ψ3〜ψ4)、力の三つの直交方向は、地球の自転軸と地球の太陽に対する公転軌道と、月の公転という三つの回転運動と密接な関係を持っているのかもしれない。
余談ながら付け加えておくと、絶対的上下は、ヌース的思考のもとでは、思形と感性の潜在的な等化運動に関係している。つまり、定質の対化だ。これは神智学的に言えば、メンタル体(左右)とアトストラル体(前後)の活動のバランス調整を果たしていく精神が持った力の方向性のことである。分かりやすく言えば、個体意識の理性的側面と感性的側面の統合活動だ。ヌース的文脈では人間の自我形成はこの次元で行われる。その意味では、個体意思の力の方向の次元と言っていい。近代自我を働かせている精神作用である。
人類全体の上下方向が、地球表面を挟んで地球の内部中心への方向と地球外部の方向へ、それぞれ求心的、遠心的に、収束、拡散する方向であることはすぐに察しがつくはずだ。近代自我の形成と、地球を一つの球体と見なす視座の確立は、当然のことながら無関係ではない。地球を外部から見下ろすNASA的視座とは、実のところ宇宙的視座というよりも、徹底した個体の視座である。近代自我にはこうした巨人の目が付着している。問題はこの目をどのようにして潰すかである。
5月 3 2006
形質の発露
あ〜、世の中5連休だというのに、わたしの頭の中は相も変わらずヌース菌に感染しっぱなし。仕方ない。一冊の本を書くとはこういうことなのだ。。ということで、前回のつづき。。
地球表面に棲息している全人類の前が一点で交差することのできる奇跡的な「点」。。
どうも、これがOCOT情報にいう「形質の発露」であるという気がしてきた。
「形質」とは、普通の言葉で言えば、幾何学のことである。形質の発露とは、その意味で「点」概念の形成、という意味になる。僕らの意識に自然に湧き出てくる点概念は地球中心が送り出している。。。ほんまか?
もし、ほんとだとしたら、あまりに超絶でこれほど楽しいことはない。ルンルン♪。
一つの対象を無数の観測者が取り囲んで、それを中心に回転する。まぁ、人類全員で「カゴメ」をやるようなものだ。そのときに認識される回転の中心点。大雑把ではあるが、そこが地球の中心点となる場所である。そこが点というイデアの本質。。。
おそらく、この数学的仕組みには例のペンローズのツイスター写像が暗躍している。ツイスター理論では、3次元球面S^3がそのまま点と同一視されるのだが、この同一視は「点」という超越論的理念の成立の履歴を示しているものではないかと考えられる。つまり、僕らが何気に「点」と呼んでいるものを客観空間にイメージしている背後には、実は3次元球面の回転対称性が暗躍しているのではないか、ということだ。そして、その対称性とは、すべての人間の視座の変換に対する対称性である。
ツイスター理論を知らない人には迷惑千万な言い回しになってしまったが、別に何のことはない。ヌースの文脈では、この高次の対称性空間は、僕ら全員が空間上の同一の位置を見ながら、そこを中心にグルグルと回れば作り出すことができる。「このときに共有される空間認識の全体性」は、数学的には4次元の回転対称性(SU(2)対称性)となると考えられるからだ。これは数学的には3次元球面の回転対称性と同じものでもあるので、それを点の理念の位置と考えることができるのだ。点は皆が揃って点と規定する位置に生まれている——よくよく考えてみれば、当たり前の話じゃないか。
点の理念が生成されてくる場所が4次元空間にあるのならば、時空自体の理念はどこにあるのだ?ということになってくるが、ツイスター理論では、その在処は7次元球面S^7にあるとされる。つまり、7次元球面S^7からのツイスター写像によって落とされて来たものが時空なのだ。このことは、大雑把に言えば、点から時空にいたるまでの幾何学的な発展構造と、S^3からS^7に至る発展構造とが、ある意味入れ子的な関係にあるということを示唆している。実のところ、前者はヌースの観察子概念におけるα1〜α13、後者はψ1〜ψ13の関係にほぼ等しい。
あ〜、また、話が難しくなってしまった。
何が言いたかったかというと、実は真の理念的空間というのは人間の身体全体が持った3次元性にほかならないのではないか、ということだ。僕らが一般にイメージしている物理的な空間(物的対象が措定されている空間)はその射影にすぎない。いわば身体空間から物質的空間への射影。その射影のシステムをペンローズは数学的に精緻に表現しているだけのことのように思えてならないのだ。
現在の人間は、オリジナルである身体空間が持つ3次元性をそのまま客体世界側の3次元性にコピーペーストして、そのコピペした客体の3次元性の方をオリジナルと信じ込んでしまっている。だから高次元が見えない。高次元とは自他の認識のやり取りが行われているいわば意識の交通空間である。物質空間の3次元性はそちらからの派生物なのだ。その意味で、物質的空間しか感受することのできなくなった近代人は、認識の逆転写ウイルスにとことん冒されていると言っていい。少なくとも科学がその基礎としている世界観、例えば、宇宙がビッグバンという大爆発で始まったとか、人間がサルから進化したとかいう話は、すべてこの病で発熱した脳が作り出している狂った幻想ではないのか。それらはすべてマシンシティーが仕込んだマトリックスの催眠コントロールなのだ。
身体が身体本来の空間へと立ち帰るならば、そこには真の大地=地球であるザイオンがある。前々回話した「不動の大地」だ。そこに降り立った真の知覚者には、おそらく原子と太陽系が同じものに見えるはずである。その神聖なる魂の居住地がヌースがこれから開拓していく新天地だ。原子や太陽系とは、そうしたザイオン的身体たちが持った共同思考物体である。そして、その思考の力線は、かのソースに通じている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 5 • Tags: ビッグバン, 形質