10月 29 2006
「NO DIRECTION, everyday」
福岡天神にあるイムズホールへ「ニブロール」というディレクター集団の公演を観に行く。僕がダンスを観に行くというのはまこともって一大珍事だ。まともに見たダンスの公演と言えば、知人の河村悟氏によるものしかない。舞踏にしろ現代舞踊にしろ、正直言ってよく分からないのだが、このニブロールは、たまたま、新聞の折り込み広告に入ってきたリーフレットのデザインが気になったので、ちょっと目に止まった。裏面にはこんなことが書いてある。
君と見てきたこの世界。
たとえば同じ場所から見てたとして、
君と僕と見えている景色は同じじゃない。
君と過ごしてきた時間。
たとえば、ひと時も離れずにいたとして、
君と僕と、ずっと一緒だったわけじゃない。
世界はひとつ、ではない。
定められた方向。などもない。
この世界はどこまでもバラバラで、
でも、どこかでつながっている。
そんなことを、秘かに期待して。
およよ。ちとヌースっぽい。。こうしたことをテーマにしたダンスパフォーマンスなら、少し見ておく必要があるのかも。ということで、ホールに足を運んでみたのだが。。。暗転したステージに、いきなりディストーションギンギンのギターサウンドをバックにバグパイプ調のフレーズとバーカッションが鳴り響く。蛍光テープで謎めいた記号を貼付けた衣装を身にまとった数名のダンサーたちが、ステージに飛び出してきて、オープニングはかなりいい感じ。。おっ、これはひょっとしていけてるかも。。という期待で1時間余りのパフォーマンスは始まったのだが。。
しかし、そう当たりは巡ってくるものではない。音楽と映像はそれなりにマッチしていてよかった。テクノ、プログレ、トランス、環境音楽、さらには60年代末のフラワームーブメント的なサウンドなど多種多様な音楽がほどよくミックスされていて、結構ドラマチックに仕上がっていた。ところがだ。肝心のダンスが酷い。酷すぎ。いや、これは好みの問題かもしれないので、僕にとっては酷く見えた、と訂正しておこう。何が面白くなかったと言って、振り付けに建築性が全く感じられなかったところだ。解体や脱構築は20世紀で終わりににできないものか。この公演のタイトルが「NO DIRECTION, everyday」だから、構築的なものを期待する方が愚かなのだが、それにしても、苦痛や、抑圧や、苦悩や、飢餓や、修羅の身体表現はもう飽き飽きだ。
現代音楽にしろ、現代舞踊にしろ、僕がゲッとしてしまうのは、この公演のタイトルにもあるように、NO DIRECTIONでありすぎることだ。ヘルプレス、ホープレスな現代人の苦悩を延々と見せつけるものが圧倒的多数。苦悩を延々と垂れ流しすることが錬金術的な「黒の作業」を意識しているならばそれでもいい。しかし、ほとんどは「Paint it all black」で暗黒以外の何もない。希望ナシ。未来ナシ。出口ナシ。はったりでも、ギミックでもいいから、隅に小さなExitを配せといいたくなる。霊性を失った芸術表現はほんとうに無様だと思う。誰か雷鳴轟く一撃を食らわせてくれないものか。。
10月 30 2006
ブロッサム2
当時、マヤ暦の普及活動をしていた高橋徹氏からYaccoという女性を紹介してもらい、そのYaccoが友人のコンサートを主催するので是非来て欲しい、ということで、出向いてみると、そこでピアノを奏でていたのがウォン氏だった、というわけである。当時はウォン氏もほとんど無名で、コンサートと言っても40~50人そこそこの集客しかなかったが、ウォン氏のプレイスタイルとの遭遇は予想外に僕を魅了した。ニューエイジ・ミュージックと呼ばれるものの中には、ただシンセサイザーを多用してスペーシーなサウンドを安易に奏でるだけのものが多い。ウォン氏は正規の音楽教育を途中でリタイアしたと聞いているが、その音を聞けば、ジャズ、クラッシック、現代音楽など様々なジャンルを通過してきたものでなければ表現し得ないセンスの厚みがあることがすぐに分かる。ライブのときは特にそうだ。ときにラベルぽかったり、サティぽかったり、急にオリエンタルなムードで一杯になったり、いきなりセシル・テイラー張りのフリージャズになったり、キース・ジャレットっぽいリフが出て来たり、本当に幅広い素養を感じさせるアーティストなのである。
ウォン氏のメインの売りのスタイルは、あえて言うなら、宮崎アニメでもおなじみの久石譲に代表される叙情的POPスピリチュアル路線なのだが、そんな中でも個人的にウォン氏が傑出していると思うのは、鍵盤に触れている指のタッチとピアノアレンジのストイックなまでのシンプルさである。一音一音の響きをいかに大切にしているかが音色からそのまま伝わってくる。その姿勢は楽曲の組み立て方にも表れていて、ウォン氏の作る曲には無駄な装飾がほとんどない。注意深い和声の組み立て方やテンションを内声でぶつけるか外声でぶつけるか等、その曲想、曲調に合わせて実にコンパクトな和声アンサンブルでまとめあげられているのだ。派手さこそないが、贅肉をそぎ落としたとてもスリムな作りになっていて、オルゴールを聞いているかのごとく飽きがこない。そして、そのタイトな作風がこれまた独自の透明感あふれる叙情空間を作り出す。
さて、ヌースコーポレーション初制作となったCD「ブロッサム」は、人の心の闇と光というコンセプトから立ち上がった。ヌースでいう人間の内面と外面の意識である。心の闇なくして心の光は感知できない。光は闇が受け取るものであり、闇は光が受け取るものである。そうした相補性があってこそ初めて心は成長して行くことができる。こうした人の心の在り方は植物の成長する姿と似ていなくもない。地上で燦々とした陽光を浴びて咲く花たち。かたや、土中で闇中を這い回る根たち。花なくして根はなく、根なくして花はない。花と根はほんとうのところは一心同体の生き物なのだ。どんな苦しみの中にも喜びの種子がある。どんな悲しみの中にも歓喜の天使は羽を休めて待機している。単なる慰めなどではなく、ブロッサム=花開く、ということは悲しみや苦しみの変成の振る舞いである。そんな命の在り方を僕らは日々生きている——こういった内容の短文と曲のタイトルをウォン氏に送り、それをもとに曲を書いてもらったのだ。
とにかくウォン・ウィンツァン氏が作曲した珠玉の小品集(2曲入り)、欲しい方は11月1日より12月31日までの2ケ月間、ヌースのサプリを買うと無料でついてきます。尚、CDのみの販売は諸事情により行っていません。詳しい情報をお知りになりたい方は下記アドレスをチェックして下さい(サイトも11月1日よりオープンします)。
ヌースアイ
By kohsen • 05_ヌースコーポレーション, 07_音楽 • 3 • Tags: ウォン・ウィンツァン, サプリメント, ブロッサム, 内面と外面