5月 17 2006
PRビデオ完成!!
やっとできました!! 我が社の製品ヌーススピリッツのPRビデオ。15分間ものだったが、完成までになんだかんだいって3ケ月ぐらいかかってしまった。早速、今日、会社のスタッフ全員でpreview上映会を開催。おお、すごい。こうしてビデオを通して見るとヌースコーポレーションが大企業に見えるから不思議。。これだからメディアは怖い。現実が桁違いに肥大化して幻想化してしまう。とは言うものの、自分の会社の製品のPRビデオがブラウン管に映し出されるのは何とも気持ちがいいもの。これがヌース理論のPRビデオだったら、また格別なのだろうが、それは数年後(数十年後?いや、永久にその日はこないかもしれないが……)のお楽しみにとっておこう。
それにしても、このPRビデオ、健康食品の宣伝ビデオにしては、とても品がいい。さすがヌースコーポレーション(自画自賛お許しを)。社長(わたしのことです)自身、よくある売れ売れ路線のベタなテイストのCMは嫌いなので、たとえインパクトが弱くても上品な仕上げを!!と業者に依頼したのだが、音楽の付け方やコピーの色合いもなかなかいい。ほぼ思った通りの出来。さて、これから、このビデオを使って全国各地のCATVの通販番組に殴り込みをかけていこうと思っているのだが、それにしても放映料が高い。特に都市部は有線の契約者数が多いのでべらぼうな金額だ。ビデオは作ったものの、流せない、ってなことにならないよう、経済的で有効なCMの打ち方を考えていかなくてはならない。
前にも書いたが、健康食品の広告に対する検閲はとても厳しい。波媒体(TVやラジオなど)は紙媒体以上だ。効果・効能めいた言葉は一切御法度である。そうした制限の中で製品をアピールするのはかなり難しかったが、今回は知人のイラストレーターMさんが描いてくれたキャラクター「スピリッツくん」をアニメでホスト役にし、CMの印象度を高めることで製品をアピールすることに。子供はだいたいアニメ好きである。お母さんがチャンネルを変えようとしても、子供がそれを遮る。お母さんは仕方なく子供と一緒に観る。「え〜、こんな製品があるのねぇ〜。ちょっと試してみようからしら。」数日後、製品到着。「あら、ほんと。とてもいいわね。お友達にも紹介してあげなきゃ。」翌日、お友達に情報が伝播。「へぇ〜、そんな健康食品があるんだ。わたしも試してみようかしら。」翌々日、お友達のもとに製品到着。こうした口コミ連鎖で、ヌースコーポレーションの受付電話が鳴りっぱなし。。。なんてことになったら、どうしよう。今の体制で果たして対応できるだろうか。ってな愚かな想像をしている経営者は、ほとんどの場合、失敗する。
とにかく会社運営も新たな局面に入った。大地にしかとランディングしながら、ヌース本の方の執筆にも邁進しよう。トランスフォーマーは地上と天上の双方に生きれる者でなければならないのだ。目指せ、四次元の第一次産業!!
5月 19 2006
地球、月、太陽
ヌース理論の文脈に従えば、月は眠れる太陽である。つまり、潜在化における精神という言い方ができる。月は人間の無意識の活動をすべて司り、個体の眠れる14の観察子を他者側の同じく14の観察子領域と交差させ、自他間の意識の間の調整をはかっている。
この周期が顕著に現れているのが月の公転・自転周期である。
地球上で暮らしているわたしたちからは、月が決して裏を見せないことは皆さんもよくご存知のことだろう。つまり、月の自転と公転比が寸分の違いもなく1:1であるために、月は絶えず地球に対し同じ面を向けているのだ。天体物理の世界では、こうした現象を軌道共鳴と呼ぶが、軌道共鳴の物理学的なメカニズムは未だ明らかにはされていない。
ヌースではこうした月の運動に全く違った答えを用意することになる。すなわち、月は地球を見るために作られた天体なのである、と。といって、これは地球を監視するためのUFOの基地が月面にあるとかいった類いの話ではないので、くれぐれも勘違いのないように。つまり、月とはすべての人間の肉体を統括する力の物質的顕現と考えられるということだ。となれば、当然、客体側を統括する力が地球ということになる。つまり、地球と月とは、潜在化における客体と主体という対化関係を表すイデアと深い関係を持っているのだ。
ちょっとした実験をやってみよう。「光の箱舟」にも書いた内容だが、今、モノを見つめながら、その周りをグルグルと廻ってみるといい。そのとき、肉体自身はモノの周りを一回廻りながら、同時に一回自転しなければならないことがわかる。このときのモノに対する肉体の運動が、地球に対する月の動きのメタファーとなっていることはすぐにわかる。
このメタファーで太陽は何に相当するかといえば、肉体の自転・公転に伴って刻々と姿を変えていく背景空間となるだろう。モノは背景空間があってこそ、その存在を指し示すことができるが、モノと背景空間の間に割って入って両者の間を調停しているのが、人間が肉体と見ているものの本質的な役割なのだ。ヌース的にいえば、魂が肉体から解放されるということは、月が太陽に変態を起こすこと、すなわち背景空間(視野空間)に自分自身の位置を見いだすことに他ならない。これが「位置の等化」の最もシンプルなビジョンにあたる。
「光の箱舟」では、こうした観測者の自転・公転の同期が、スピノールが持つスピン1/2と関係があるのではないかと示唆した。今では、当時よりもはっきりとその関係がわかるようになってきた。まさに、スピノールの正体とは視野空間上における対象中心とその背後にある無限遠点を結ぶ線にあるようだ。この線は3次元における0点と無限遠点を結ぶ線であるから当然、4次元の方向を持つ線分である。つまり、知覚正面上の奥行き方向には3次元方向のみならず、4次元方向も重畳しており、視野空間上には4次元空間も同居しているのである。モノ一個に対する個体からの認識はSO(3)を構成しているが、モノの背景が回転することによって生まれている天球面の認識はSU(2)によって生じている。そして、このSU(2)球面は自他の観察関係によってさらに表裏が捻られ、CP^3というツイスター空間を構成している。それが、目下のところヌース的思考によって目撃されている世界の情景だ。空間は襞化してその花弁を多層に折り重ねていっているのだ。
OCOT情報に次のような謎めいた言葉がある。
「地球が1回廻る間に月は2回転します。」
通常の天体法則で考えれば、地球が1自転する間に月は自転を取ろうが公転を取ろうが約1/28回転しかしていない。つまり、このOCOT情報は単なる物理的な天体法則を語っているのではなく、より本質的な回転、つまり、意識の等化運動について語っているのである。どういうことか——。
例によって、モノを挟んで対峙する自己と他者をイメージしてみよう。そして、今、両者が絶えずモノが見えるように、同じ速度で、モノの周囲を廻り始めたとする。とすると、二人から見た0点と無限遠点(視野空間)の関係は、SU(2)における1と-1という元に対応させることができる。これらの1と-1を同一視すると、残るのは対象の自転運動だけになる。つまり、これはSO(3)の範疇(部分群)だ。このへんの事情は数学的にはSU(2)/[1,-1]〜SO(3)(〜は位相同型)と表現される。
これによってOCOTの言葉のナゾがナゾではなくなってくることが分かる。つまり、モノを地球、肉体を月を考えたとき、OCOTがここで言っている「月が2回転する」というのは、自他の肉体側の回転のことを指していると考えられるわけだ。それは、モノが客観として認識されるためには、SU(2)の表裏が等化されなければならないことを意味している。NCの真ん中に何気に位置していた球空間とは、まさに、ツイスター空間だったのである。
このように、地球-月間の運動と、人間の空間認識の関係をホモロジカル(モノと自他はψ7で統合され、地球-月はψ13で統合されている。両者にはモノ一個かモノの全体かの違いがある)に思考する方法論で生まれてくると、新月や満月といった天体現象にも意識的な意味を通した霊的解釈が可能になってくる。ここでは、それは占星学が持った知識にきわめて酷似している、ということだけ言っておこう。新しい神秘学の誕生がすぐそこまで来ている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 4 • Tags: 位置の等化, 光の箱舟, 無限遠, 神秘学