12月 2 2016
最も巨大な複素平面とプラトン年
先日紹介した「ヌース辞書」には「心」について次のように書いてある。
―精神の中和によって生まれる進化の方向のすべて。定質の関与が起こるところ。精神にとっては付帯質そのもの。
おい、おい、辞書になってねぇ~ぞ(笑)。
だけど、この文章も今はよく分かる。「精神の中和」とは精神の等化に生まれる等化されたもの側の状態のこという。精神の等化とは自他の霊的合一のような意味だと考えるといい。その合一は万物の創造の意味を持ち、創造されたもの側の世界が精神の中和の状態を意味する。要は物質世界だ。
この物質世界に新たなる精神の発芽を託された種子として人間が登場する、というストーリーになっている。この種子としての人間に対して精神の等化を行った力(本精神と呼ばれる)は尚も自分自身の進化を進めていこうとしている。これが、この文章に記された「定質(すべての方向を確実化していく力)の関与」という意味になる。そこに人間が「こころ」と呼んでいるものの働きが生まれているということらしい。
この精神の物語の構造は極めて単純なもので、複素平面上の一回転に同型対応させることができる。物質を「+ 1」と置いてみよう。すると、精神の対化は「+ i 」と「- i」として配置できる。自己が物質意識から最初の精神を発現させたところが「+ i 」としての精神だ(下図参照)。
この精神は次の段階で自分自身の対となる「- i」を自身の中に同一化させ、それによって「-1」を作る。それは片割れだけで世界を覆ってしまうという意味になるが、これが「父」としての時間だと考えるといいかもしれない。「3」ですべてをまとめようとする欲動だ。
しかし、そうした父の勢力も徐々に弱体化し、精神はそこから真の他者となる「- i」と出会う。そこから、最後に「+ i」と「- i」を合一させ「+1」を作り出す。ここに至って、精神の対化における等化が達成されることになる。そして、同時にこの精神の等化に対して周回遅れの精神の中和が生み出されるという仕組みだ。
精神の等化は終わりの「+1」。精神の中和は始まりの「+1」。終わりが始まりに働きかけるところが辞書に書かれている「定質の関与」と考えるといいだろう。精神はこの間4度の90度回転を行っている。この4度の回転がヌーソロジーがいう「次元の交替化」の意味となる。これは約26,000年のプラトン年の内部構造と考えていいのかもしれない。
この中和に生まれる等化との周回遅れの次元的距離が存在者と存在の差異だ。存在(あること)はいかにして存在者(あるもの)を在らしめたのか。OCOT情報やシオリズムのいう「地球」とは、この「存在」としての方の地球のことを言っている。―真実の地球。
どうか、自己と他者の存在様態は精神の対化(「+i」と「- i」)の表現であるということをお忘れなきよう。両者は同じ世界にはいない。それを同じ世界にいるように見せかけているのが父の機能としての「-1」、つまり、時間だと考えるといい。それは偽りの神であり、世界を支配しようとしている一者的精神と言い換えもいい。この「-1」から逃れ、世界に再び「+ i」と「- i」を出現させること。それが永遠回帰としての差異、つまりは、別のものの到来だ。
ちなみに、この壮大な複素平面上の回転はヌーソロジーでいう大系観察子Ω11~Ω12の世界を意味している。OCOT情報はヒトの総体の次元領域と呼んでいる。太陽系(世界霊魂)のことだ。
―時間に支配される意識も確かに楽しいけど、せっかく人間として生きているのだから、自分を生み出してきたこうした広大な無意識領域を少しは思考で旅してみるのも面白いと思うよ。人間がもしほんとうに存在の種子なら、種子は樹木の情報をすべて内在させているはずだからね。世界には裏舞台があるんだよ、きっと。
この文章にも辞書がいる、とか言われそうやな(笑)
12月 9 2016
バイスペイシアル感覚
以前の物理学月間で公開した波動関数とヒルベルト空間の関係図をこっちにも載せておくね。数式とか記号が添えてあって、ちょっと難しく見えるかもしれないけど、表現していることはすごく単純な内容です。
みんな素粒子と聞くとすごい難しいものだという先入観があるよね。まずはその先入観を取ろう。ヌーソロジーの空間認識では素粒子は全く難しいものじゃない。いつも言ってるように、人間が宇宙を幅認識でしか見れなくなっているもんだから、奥行き側の空間が「素粒子」という呼び名で複雑に数式化されてしまっているだけなんだよね。奥行きで空間を見始めれば、ほんとにシンプルなものに見えてくる。ここに載せている図は、奥行きの空間で見ると一体素粒子はどのように見えるのか、というイメージ図だと思うといいよ。
この図が意味するところからいうと、素粒子は対象(物体)を構成する大本の粒子というよりも、むしろ、人間に対象の認識を可能にさせている持続空間(奥行き空間)のことと言ったほうがいい。その構造が幅支配の意識空間の中で無限小世界の中に観察されているという仕組みになっているんだね。
要は、奥行き支配の意識空間から見ると、素粒子というのは僕らの知覚野の空間と同じものということなんだよね。知覚空間は移動によって対象を取り囲むことができ、いかにも物質の外部にあるように見えているよね。でも、それは幅でしか空間を認識していないから。本当は知覚空間は知覚されている物質の内部に入り込んでいて、物質の根底に位置してるの。
奥行きの空間は、幅の空間の中ではミクロに入り込む。目の前には物体の外部と内部の空間が二つ重なり合っている―この空間の二重感覚のことを最近、僕自身は「バイスペイシアル(bi-spacial)」感覚と呼んでいる。気に入ってるぜい(笑)
こうした空間感覚が生まれてくるとね、量子力学が謎としていた様々な問題についても簡単に回答できるようになる。たとえば「フレーム問題」と言われているヤツ。
みんなもよく聞くと思うけど、量子力学においては観測を行うことによって、量子系の状態が基底ベクトルで記述される状態のひとつに遷移し、そこでの状態関数の崩壊によって粒子が観測されるという仕組みがあるのね。でも、どうして観測が量子系をある一つの基底ベクトルへと遷移させるのかその理由が全く分からないんだよね。これをフレーム問題と呼んでる。
この問題が観測行為の自己言及(見ることを見る)にあるのではないかと考える学者さんたちもいるんだけど、その自己言及の仕組み自体がよく分からないわけだね。
この図から観測者の局所的位置に対する観測行為自体が状態ベクトルの遷移を引き起こし、その観察行為自体がその観測に応じた基底ベクトルを選んでいるということが分かるんじゃなかろうか。
量子系を構成しているヒルベルト空間というのは、結局のところ、自分の周りの空間が反転してミクロの中に見えている空間だと思うといいと思うよ。今までも何度も言ってきた「観点の球面化が起こっている空間」のこと。その中心は非局所(どこでもここ、いつでもいま)になっている。講演の中ではこの球体を「記憶のたま」と呼んだ。これはほとんど自己の魂のようなものだね。
ここからは物理をかじってる人向けの話だけど、この「記憶のたま」の回転の方はシュレデインガー方程式の時間発展のU(1)回転を表現している。観測者の周囲側に開いた空間の方は無数の固有関数Φnを時間に沿って振動させている電磁場。こちらもU(1)回転を持つけど、このU(1)はシュレディンガー場のU(1)に対しては反転しているのが分かる。
この構造を自己と他者を考慮して、双対の複素ヒルベルト空間で表現したものがヌースコンストラクション(下図)。
このカタチが見えてきて、はじめて僕たちは古神道でいうムスビ(産霊)の何かが分かってくると思うよ。OCOT情報はこのカタチを霊魂とは呼ばず「覚醒球」と呼ぶんだけどね。こういうところがクールでいい(笑)。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, シュレディンガー方程式, ヌースコンストラクション, 奥行き, 波動関数, 素粒子, 複素ヒルベルト空間, 量子力学