8月 20 2006
あらためてφさんへのお礼
φさん、こちらこそいろいろありがとうございました。一週間ほぼブッ続けで議論した甲斐があって、ヌースが用いる観察子構造の解像度が劇的にUPしたようです。特に群論の風景が見えてきたのは大きかったです。単にSU(n) 群だけではなく、スピン群やsp(n)群との絡みが見えてきたおかけで、cave compassが示している観察子の多重構造の意味合いについても、より一層ふくよかなイメージが湧いてきました。例外群等はまだはっきりとはしませんが、φさんのおっしゃる通り、群の全体構造が大系観察子の世界と関係があるという直感はビンビンときています。
細かい点を挙げるとキリがないのですが、今回のφセッションでの主な収穫を挙げておきます。
- 観察構造発展のベースにspin群を位置づけられたこと。
- 電磁場の由来が見えてきたこと。
- かねてよりの懸案だった「モノの輪郭」の由来がSO(4)にあったということ。
- 主観視線が4次元(SO(4)回転軸)で、客観視線が5次元(SO(5)回転軸)にあったということ。
- ψ9〜ψ10、ψ*9〜10において象徴界・現実界・想像界の基礎構造が構成されているということ。
- 5に伴い、SU(3)のイメージが大きく膨らんだこと。
- ψ11〜12、ψ*11〜12、で象徴界と想像界の転倒が起こり、それに伴い転倒した現実界が出現しているということ。
- 資本主義的欲望の核はこの転倒した現実界にあるということ。
- この欲望回路の解除には、ψ13の形成が必要不可欠であるということ。
- ψ13〜14、ψ*13〜14、は正20面体-正12面体に対応しているということ。
- ψ13(Ω7)→ψ7という射影がツイスター写像と関係しているということ。
- 10からプラトン立体における正六面体と正12面体の関係が少し見えてきたこと。
このまま100項目ぐらいは書けそうな勢いです。本当に有意義な1週間でした。改めてφさんに感謝いたします。
プラトン立体についてもかなり分析が進み出しました。問題は正四面体を何と見るかだったのですが、これもφさんとのセッションの結果、はっきりしました。双対の正四面体はヌースでは「止核精神の対化」と呼びますが、これはミンコフスキー時空R(1,3)の基底を3次元における等角写像で表しているもののようですね。双対正四面体の合計八つの頂点を結ぶと正六面体ができますが、この正六面体に外接する球面が、R(1.3)の回転によってできるSO(1.3)、つまり、ローレンツ変換群でしょう。ヌース理論の試み自体は、この双対正四面体を互いに反転させることによって、SO(1.3)双対からSO(4)双対の世界へと一気に相転移を図ることです。
結果的にSO(4)は、4次元の射影ルートを通じて、双対正四面体の交差によって生まれている正八面体に内接する正六面体側(内部空間)へと位置を移動し、この移動によって、認識は時空概念と決別することになります。人間の意識にこうした構造が見えてくることによって、人間の内面=SO(1.3)と人間の外面=SO(4)の関係性が精神空間と物質空間の母胎であることがはっきり自覚されてくることになるのではないかと思います。そして、同時に、SO(1.3)にとっては、SO(4)は認識対象のイデア、つまり、点的写像となって現れてくるということです。進化の方向を持った意識は時空上では物質として射影されてくるという創造原理の基礎がここにはあります。
8月 25 2006
さよなら、冥王星
国際天文学連合(IAU)の総会で冥王星が太陽系の惑星の定義から排除された。このニュースを巡って、わたしのところに数名の方からヌースはこの出来事をどう解釈するのか、という質問のメールが届いている。わたしとしてもこのニュースはちょっと放ってはおけない。というのも、元々、ヌース理論の出自は冥王星にあるからである。
冥王星のオコツト。。ヌース理論の理論構築の大本のアイデアは、この正体不明の声の主から送られてきたものだ。「人類が神を見る日」にも書いたが、私個人は、このオコツトなる怪しげな存在がわたしの無意識の捏造であろうが狂気の産物であろうが何でも構わないと思っている。
そうした声が聞こえてきたのは事実であったわけだし、その声が語る一連の内容からヌース理論という一つのコンセプチュアル・アートが生まれてきたのは否定できることではないからだ。
さて、今回の冥王星消滅についてだが、ヌースの視点から見ると、二つの解釈が考えられる。まぁ、わたし自身別に真剣に考えているわけでもないので、半分こじつけに聞こえるかもしれないが、解釈は進化の方向かそうではない方向か、次の二つに分かれる。
1、冥王星並びに2003 UB313(第10惑星の候補となった天体)の役割の終焉
2、冥王星の役割を排除しようとする無意識側からの意図
第9惑星の冥王星並びに第10惑星Xはヌース解釈では、シリウス革命などにも書いたように、次元観察子Ω11とΩ12の役割を持っている。これらはそれでそ定質と性質と呼ばれ、近代的人間の個体化を促していく働きを持っている。前者が人間の物質主義的指向性を促して行くもの。後者がその反映としてその個体性にトランスパーソナルな意識の指向を与えていくものだ。現在の僕ら一人一人が、グローバル帝国の視線そのものを内在させ、一方で、家族や国家などの共同体的観念とも切断されつつあるのは、この両者のアンビバレンスから来ているものだと考えている。
Ω11とΩ12の次元とは、宇宙全体の進化の営みからすれば、実は宇宙の転倒像が描かれるところでもある。神話で言えば、イザナギ(Ω9)とイザナミ(Ω10)のまぐわいが逆に起こってしまった、蛭子の発生現場である(イザナミとイザナギが5代目の男女神であったことを思い出そう)。もちろん、宇宙は自身の成長のプロセスの一環として、このΩ11〜Ω12次元を経験するのではあるが、それは内部にスマルという「虚無」を抱え込むことになる。スマルとは「統(す)める」から来ていると思われるが、これは上次元での精神構造の統一を意味する。しかし、下次元では、それは一つの暗黒の影として、つまり、宇宙を物質概念で統一したいという強靭な欲望として現れるのだ。そこに忍び込むものがスマルという虚無存在である。オコツト風に表現すれば「核質化した不連続質」というやつだ。世界を物質でしか語ることのできない思考性。あらゆる物事の真のつながりを切断し、世界を断片化していくもの。それがスマルだ。
ヌース理論が物質や科学的な知識にこだわるのも、このスマルを変容させない限り、人間精神は進化への方向を持つことはできないと考えているからである。
おっと、話が逸れそうになっている。元に戻そう。Ω11とΩ12とは、その意味で、実在側から見れば受難の領域なのである。生成がネガ側へと入るというか、生成とは逆の生成が起こってしまう場所と言えるのだ。精神が物質を形成できなくなる領域という意味では、それは「空茫」と言っていい場所だ。Ω1〜Ω12までのうち、11番目と12番目はそういう性格を持っている。
そこで、オコツトはなぜ自分の出自を「冥王星」と名乗ったのかという疑問が出てくる。交信初期の頃だったか、「あなたがたは一体何者ですか?」という問いに、「定質にあるべき力」と答えが返ってきたことがある。ということは、連中は人間の意識に物質的知識の増殖を促してきたもの、ということになるのだが、果たしてオコツトはそうしたアーリマン的なものの御使いだったのか?
そこで、キーとなる言葉がヌースでいう「交替化」という言葉なのだ。これは進化の定質がもたらす。進化の定質とはΩ13のことである。Ω11に存在する知性も当然、次なる精神のレベルへ向けて切磋琢磨している。それは反映であるΩ12との等化だ。Ω13はΩ11とΩ12との等化して生まれてくる。おそらく、オコツトとはこのΩ13を目指した冥王星の良心のことではなかったのか。そう感じている。
Ω13の役割は、今まで物質世界の認識や分析、解明の中で蠢いていた超越論的理念性としての幾何学を、反映側、つまり、人間の無意識構造側へと遷移させる役割を持つものである。つまり人間が持った知性の方向性を延長としての物質世界ではなく、内在側の精神世界へと反転させる力となるものである。ヌースはその力に従順になって、ただただ、その作業を淡々と進めているだけである。
おっと、長くなってしまった。冥王星が太陽系から惑星の資格を剥奪される——さて、これはスマルの陰謀と考えるべきか、それとも、新たな世界の到来のための福音と見るべきか。。その判断は、皆さんそれぞれの時代に対する思いに委ねられることになるだろう。いずれにしろ、もう、人間の居所は20世紀までとは違った場所に遷移している。僕らはそのことを深く自覚すべきだ。古き良き時代の人間はもういない、のである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 11 • Tags: オコツト, シリウス革命, スマル, 人類が神を見る日, 冥王星