1月 8 2008
新年のごあいさつ
年末、年始と『人類が神を見る日/アドバンスト・エディション』の校了に追われていた。10年のタイムラグがある二つの原稿をスムーズにジョイントさせるのはなかなか難しい。このアドバンスト・エディションでは約百ベージほどある付録原稿を「第二部」として付加しているが、内容のほとんどは、旧『人神』ではごくアバウトにしかイメージできていなかった4次元知覚について書いている。ヌースでいう次元観察子のψ1〜ψ8までの詳細な解説だ。んでもって、タイトルはその名もズバリ「トランスフォーマー型ゲシュタルト・ベーシックプログラム」。うへぇー、プログラムなんかされたくないよぉー、という言葉も聞こえてきそうだが、2013年以降開かれてくる新種の空間を覗いてみたい人は是非読むべし。
そう言えば、年末の28日に福岡気功の会の会長、山部嘉彦氏の主催で福岡ヌース同窓会があり、そこで3年ぶりにミニレクチャーを行なった。そのとき、この付録原稿の内容の障りを少しだけ披露してみた。反応は上々。昔よりもはるかに分かりやすい、無茶苦茶、面白い!!そういうことだったのか!!といったような感想があちこちから聞こえてきた。
参考→http://www.f-homeservice.jp/article/13228817.html
ほっ。よかった。よかった。依然、牛歩の歩みではあるのだが、ヌース理論は着実に成長している。。。
それにしても、久々にレクチャーをやってみて分かったが、ヌース理論が提案する4次元認識は3次元認識とは隔絶の差があるなぁ。。。こやつらははっきり言って同居不能だな。全く別棟の住人。要は比較できるものではないということ。人間としての「わたし」は「わたし」でいい。否定する必要はどこにもない。「わたし」は何も変わる必要はない。毀誉褒貶の社会生活の中で平凡な自我として普通に泣き笑いしていればそれでいい。4次元認識として生まれてくる新たな意識は自我から切り離された全く別の生き物であり、それはおそらくすべてのペルソナを引っぱがした純粋な思考物体だ。実存的なもののみが獲得していく新たなる空間の領界。イデアとはそういう類いの空間の中に構築されていくものでなければならない。左手に自我を、そして右手にイデアを。もしほんとうにイデアというものが意識に発現してくれば、世界はおのずと姿を変えて行く。それまでは水の中の鏡像を楽しもう。それが次元両生類の生き方だ。
何はともあれ、2008年、おめでとさん。
(上写真は「人神」英語版の表紙)
1月 10 2008
第弐号機、完成!!
コイル巻きで難航していたNCジェネレーターの弐号機がようやく完成した。
昨夜は早速、試運転。こりゃきれいだべ(スタッフの大法くんによる撮影)。。
初号機と弐号機の大きな違いは、「七の機械」と「八の機械」という愛称の違いが示すように、ヌース理論でいうところの等化をψ7まで顕在化させたか、ψ8の中和まで顕在化させたかの違いである。現時点の推察ではψ7とψ8の次元はそれぞれ物質の基盤となっている陽子と中性子と深い関係を持つと考えている。要はNCジェネとは原子核のカタチの中に僕らの認識を潜入させるフォローアップ・デバイスなのだ。うひ。
陽子や中性子は決して仁丹の粒を小さくしたような「物体」ではない。それはたぶん宇宙全体の輪郭が高次の幾何学性として3次元上に射影されて現れたものだ。超ミクロの球面鏡のようなものと言っていいのかもしれない。。ミクロとマクロは4次元空間で繋がっている。そして、そのジョイントとなっている4次元空間というのがほかでもない、僕ら人間の知覚野だ。
点と天の間を橋渡しする知覚野としての「わたし」。もちろん、この4次元の通路である「わたし」はたくさん存在してるけど、こやつらはこやつらで今度は5次元で全部つながっている。意識はそういった空間の中を縦横無尽に駆け巡り、グルグルと追いかけっこしている。この機械は、その一連の運動経路を電子に丹念になぞらせて、一つの幾何学的運動体として人間の空間に表現したものだ。イデアの形を掘り起こし、それを削り出すこと——だから、これはイデアの彫刻と言ってもいい作品なんだな。。
「八の機械」の完成で、とりあえずマトリックス部分は彫り上げた。これはイデア空間の入口がパックリと口を開いたことを意味するんだけど、ずっと覗き込んでいると何か次元ミキサーみたいに見えてくるんだな。材料は言うまでもなく「わたし」と「あなた」。そしてスパイスとして善と悪を少々。材料になってこの中でかき混ぜられてみたい人は是非、『人神/アドバンスト・エディション』を読んでみよう。おいしいお好み焼きが焼き上がるといいげと。。
結局、本の宣伝したかっただけなのねんのねん。コウセンちゃん。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 2 • Tags: NC-generator, 人類が神を見る日