3月 1 2007
「260」の夢
昨夜、久々に数字の夢を見た。「260」の夢だ。
映画「CUBE」に出てきたような純白の立方体状の空間に膝を抱えて座っていると、突然床に穴が開いた。下を覗き込むと、火山のマグマのようなものがぐつぐつと煮えたぎっている。ところどころ黒く岩石が交じっていて、その一つ一つに「20」と番号が振ってある。
「なるほど、地球の内部は20でできているってことだな。20がオレたちの存在を支えている。。。」
オレはさも当たり前のように合点し、再び、部屋の隅に座り込んだ。すると、シューっと音がして床の穴は閉じ、閉じるその瞬間、一個だけ弾き出された岩石がゴロン、ゴロンと床を転がっていった。そして、カベにゴツンとぶつかった瞬間、それは水晶の髑髏に変わった。真っ白い無機的な立方体状の部屋の中で、√2エッジラインに沿って向かい合うオレと水晶の髑髏。。。その額にはあの「20」という数字が刻み込んである。
沈黙に耐えられなくなったオレが先に口を開いた。
「アンタか、神は。」
「そうだ。」
「何でここにきた。アンタの居場所は地下のはずだろ。」
髑髏は首を横に振った。
「上を見てみろ。」
髑髏に指示されて、上を見上げると、今度は天井に大きな穴が開いていた。中を覗くと、漆黒の空間に巨大な銀河が渦巻いている。
「あそこに行く。」
髑髏は無表情に言った。
「地球から銀河に渡るというわけか。」
「そうだ。13を作るためにな。」
「20を持って、13に着手。。260か。」
オレは無表情に聞いた。
「そうだ。260だ。」
「じゃあ、オレはいくつなんだ?」
「今まではゼロだった。今は1だ。」
「つまり、アンタの20によってオレの1が支えられているってことか。」
「まぁ、そういうことだ。とにかく、下に20、上に13。それを忘れるな。」
髑髏はそう言って、ゆっくりと浮かび上がり、銀河の渦の中に消えていった。
〈ヌースからの解説〉
僕ら人間の意識システムを背後で支えてきた「プログラム20」はまもなく役目を終え、「プログラム13」を始動させ始めている。コード名で言えば、オリオンからアルクトゥルスへ。この無意識のプログラム・シフトによって、人間の意識はプレアデスからシリウスへとディメンションシフトを敢行し始めることになる。シリウスとは「プログラム20」へのゲートウェイである。「プログラム20」は「ブログラム13」と「ブログラム7」の両方を内包したハイブリット・トランスフォーメーションプログラムの別名である。
さて、この夢の最も大きな教訓は何か——それは、まもなく訪れる神は天からはやってこないということである。天からやってくる神は人間を地上に生み出した神だ。そういった神は、人間を地上から地下へと封じ込めて行く。人間を星へと帰還させていく神は、天からではなく地下からやってくる。そのことをくれぐれもお忘れなきよう。
3月 6 2007
365と260
マヤ暦のツォルキンという260日周期の暦のことはヌースに興味がある方なら当然ご存知のことと思う。僕がこの暦のことを知ったの1990年代始めだったが、それ以来、今もこの260という数字の謎解きにトライし続けている。前回ブログで取り上げた夢の内容も、その思考の足跡にたぶんに影響を受けたものだろう。
いずれにしろ問題となるのは、意識構造と暦の構造という一見全く違ったカテゴリーのものを互いに結びつけるための概念である。惑星の自転や公転のリズムがなぜ僕らの意識とつながりを持ち得るのか。この基本的な疑問に何らかの示唆を与えない限り、太陽系を霊的な構造体として論理的に説明していくのは難しい。前に物質構造と意識構造をつなぐために、「観察子」という概念を紹介したが、意識構造と暦の構造との関係を結びつけるにおいてもこの概念は極めて有効な概念になりつつある(まだ完全なものとはなっていない)。
問題は1日、つまり地球の太陽に対する1自転をどう解釈するかということである。1年と1日は地球と太陽間の相対的な関係が作り出す同じ1つの回転をオモテから見るか、ウラから見るかの違いに過ぎない。しかし、この表裏の比率は365 : 1である。一日と一年を一つの回転の表裏と見る認識とは、言い換えれば、地動説と天動説を統合するものの見方を作るということでもあるのだが、この認識が自己と他者の意識の統合と関係を持っていると言っても、たぶん、現時点では誰も信じてはくれないだろう。365 :1とは、実のところ自己と他者の比率でもあるということなのだが。。
この謎を解く題材として与えられたのは、次ようなOCOT情報だった。
地球の自転と公転の関係は——?
わたしたちの次元では地球の公転と自転は表裏一体。意識が交点を持つものにおいては方向性が同じ。地球の自転とは中和を行うために生み出された力。公転とはカタチを定質に反映させるために生み出された力——(シリウスファイル)。
詳細はまた別のところ話したいと思うが、この情報が結果的に意味していたことを分かり易く紹介すると、おおよそ次のような内容になる。
オリオンの位置への侵入………1年
プレアデスの位置への侵入………1日
プレアデスの位置からシリウスの入り口までへの変換………1月
シリウスからオリオンの位置の入り口までへの変換………1年
何を言いたいかと言うと、一年と一日と一月の関係は意識の運動における三位一体の連動性を意味しているということである。
ここでオリオンと書いたのは、意識の真の能動力を意味し、プレアデスとシリウスはそれぞれ、意識の受動力とその受動力を能動力へと変換していくためのニュートラルな次元を意味している。言うまでもなく受動的な意識とは人間の意識のことであり、能動的な意識とは、人間の意識を作り出している真の意味での意識である(真実の人間の意識と言います)。受動力から能動力への変換の次元とは「ヒト」の次元と考えていい。
人間の意識次元の対化を取りまとめる数が「28」。
この「28」を一単位として構成されるのがヒトの意識次元。
ヒトの意識次元全体を取りまとめる数は「13」となっている。
この「13」を一単位として構成されるのが真実の人間の意識の次元。28×13=364
で、問題の「260」とは何かということだが。。。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 5 • Tags: オリオン, プレアデス, マヤ暦, 地球の自転