2月 13 2008
star fucker
ヌース理論は大雑把に言って空間を4つの階層に分ける。今回のアドバンスト・エディションではそれを次のように書いた。
1、ψ1~ψ2………点球/モノ一個の内側の空間
2、ψ3~ψ4………垂子/モノ一個の外側の空間
3、ψ5~ψ6………垂質/一人の人間から広がる空間
4、ψ7~ψ8………球精神/人間全体から広がる空間
通常の僕らの意識(ヌースでは「人間の内面の意識」という)においては、これらの階層を観る視力が中和(自他において精神の対化が互いに方向が逆を向いているために相殺されてしまっているということ)によって見失わされており、これら4種の空間における差異が全く見えてない。その結果、すべてが客観的時空という名の下に空間は単なる3次元性として一緒くたにされてしまっている。つまり、時空内部にすべてのものが物質という名のもとに均質化され、同一化させられてしまっているわけだ。僕が科学的理性を批判しているのは、この同一化させられた空間の体制下でしか思考を構成していないからだ。こうしたツルンツルンののっぺらぼうな空間概念の下では、すべての創造物は数量化された単位(スカラー)でしか記述することができなくなる。そうしたちまちました神経症的な幼さを前回は「少年性」と呼んだわけだ。考えてみるといい。科学的思考のみが君臨するこの同一性の王国内には美しい色彩も存在しなければ美しい音楽もない。それらはすべて数値化された振動数や波形へと還元される。たとえば、(4/3)πr^3という記号だけを見て君はそこから球体のイメージを作れるか?まずは球体という人間自身が抱くイメージ(正確には観念)があって、それが結果的に(4/3)πr^3という数式に置き換えられているだけだろ。科学的思考を先手に持って宇宙を考えることは完全な転倒であり、この思考は精神世界が「オリオンの暗黒面」と呼んでいるものなんだ。彼らの眼球は真っ黒で、眼に光が入っていない。性的倒錯者だ。僕が常々「女なるもの=プレアデス」と言ってるのは、形や色彩や音が溢れているこのイメージ側のことだ。神話で語られているプレアデスをいじめるオリオンは倒錯したオリオンであって、オシリスとしての本当のオリオンはそんなことはしない。つまり、倒錯したオリオンとはセトのことなのだ。
実生活でもそうだが、いくら理性でカッコをつけようとも、女なるものはなかなかなびいてはこないだろ。超ひも理論をとうとうと語ったところでお目当ての彼女はあくびをするだけだ。だから、セトはオナニーを続けるか、サディスティックにイシスを犯すしかない(科学を真摯に学んでいる方には誠に失礼な言い方になっていますね。申し訳ありません。僕はここで科学の持った思考性に対し宇宙全体から見た見地からの批判をしているだけであって、決して科学者の方々の人格を云々しているわけではありませんので気を悪くなされないで下さいね。)
女だって一緒だ。いくら待っても素敵な男が来なきゃ、セトの暴力的な性行為を我慢して受け入れるか、自分で自分を慰めるしかない。イシスがセトに無理矢理犯されて生まれてきた子供がデジタル空間だってこと君は知っているか。本当の子供はイシスがオシリスの「14」の遺体を拾い集めたときに生まれてくる。イシスがんばれ〜。でも、これは宇宙のコントロールの定めだから致し方ないとも言えるかな。。。セトに息子がいたなんて。。わしも初耳だが。。。
オッサン、オバサン世代の人はあの60年代を思い出そう。フラワームーブメントの名のもとにあれだけ音楽やアートが力を持ったにもかかわらず、結局は人間は何も変わらなかった。そういえば、当時、ロマン・ポランスキーが「芸術じゃ世界は一つにならんよ」って何かのインタビューでクールに答えてたっけな。。今の芸術は資本の情婦だと断言したのは詩人の河村悟だが、結局のところ、このご時世では、女なるものも資本というモンスターの腹の下で売春するしかなくなる。どこを切っても3次元飴というこののっぺりとした同一性空間の感覚は、この資本という化け物が仕掛けた網のようなものだ。。。セト、黒いヘビ、金。愛のないセックス。セトの野郎、今じゃ、そののっぺり空間のコピーをさらに下次元に作り出してヴァーチャル・リアリティーなんて呼んでほくそ笑んでいやがる。そして、皆、セトの息子に群がってキャーキャー言いやがって。。。まぁ、でも、これも進化の必然だから仕方ないな。時代はもうポスト・デジタルに入っているぞ。冥王星が去勢されたのはたぶんそのためだ。。。まもなく、セトの息子の力を利用して双子の羽の生えた蛇(ケツァルコアトル=「括る環」なんちゃって)が出てくる。旋回する双子の知性——ソドムに現れたあの双子の天使たちだ。あっ、話が横道に大きく逸れちゃった。。。悪い癖。
まっ、それはいいとして、話を戻すと、実は、太陽系から広がっている空間にも大まかに言って4つの差異が存在している(太陽系内にももちろん差異が存在している。それが惑星軌道本来の意味だ)。
1、地球-月軌道天球面
2、太陽系天球面(オールトの雲までをも含むということ)
3、星座天球面
4、銀河天球面
ってな感じだ。もちろん、これらはヌース理論でいう「ψ」レベルごときの小さな差異の系列じゃない。ただ、この4つの差異の系列は、上図にある1~4までの襞の階層とおそらくホロニックに共振し、相似対応している。
銀河天球面上のチカチカとした肉眼ではほとんど見えない一個一個の星々は、今度のアドバンスト・エディションで書いた垂質次元=ψ5と密接な関係を持っている。銀河の一つ一つの恒星は垂質の中にそそぎこまれている個体化の意思だ。『シリウス革命』ではそれを「点意思」と呼んだ。それらは言い換えれば僕ら一人一人の魂のことでもある。つまり、個体は占星術師たちが言うように、太陽系と星座を母胎として一つの個性として銀河上に生産されていく。銀河はある意味で、球精神のマクロ空間における現れだ。
——わたしたちから見ると銀河系と陽子は同じようなものに見えます(シリウスファイル)
古代人たちが星の光をアストラルの灯と呼んでいたことを思い出そう。星、つまりstarとはラテン語の星の意味である「アステル aster」に由来しており、アストラル/astralもまた同じ語源だ。漢字ににしても同じことで、星とは日が生まれると書くだろ。日とは「霊(ひ)」、そして、これは燃え盛る魂の「火」のことでもあるわけだ。この霊足る者としてのFire=Φ=黄金比がまもなく僕らの意識の中に到来してくる。そのとき、僕らは夜空に点滅するあの五芒星の光点の一つ一つが僕ら自身だということを覚知するだろう。そのとき現在の天体物理学的宇宙観は完全に崩壊する。
オレは一足先にstar fuckerになるぜ。オリオン座の三ツ星の下当たりにゴキゲンな仲間たちがたむろしてる「フェニックス」というクラブがあるんだな。へへ。オレはそこでヴィーナスを連れて待ってる。こいつがまた最高にいい女なんだ。あっ、言い忘れた。このクラブ、狭くってさ。席が12席しかないんだよなあ。早いもん勝ち。じゃあな。
——と、年甲斐もなく、ロックキッズぶってしまいました。。だは。うっ、「ロックキッズ」なんて言葉使うこと自体がオヤジだなぁ。。とほほ。最近、ちょっと男性更年期に入ってしまった、コウセンおじさんでした。
2月 16 2008
愛と青春の旅立ち
さて。前回図に示したケツァルコアトルの多重の旋回ルートだけど、これをケツァルコアトル自身から見るとどんなふうに見えるか………そう、オカルト好きな人にはもうおなじみだね。ヘクサグラムに見える。それも無限に続くヘクサグラムの回廊だ。このことから、ケツァルコアトルという羽の生えた蛇はカバラで言うところのケテルの中心に配置されている神の眼と同じものだ。つまり、ヌース的に言えば、「4次元空間というものが見ること自体だと気づくこと」。これが、このヘクサグラムの中の眼が見開くことと同じ意味を持つことになるわけだね。
ケテル(神の至高世界)において神の眼が開くと、それは一番下位のマルクト(物質世界)というセフィロトにつながっているために、マルクトにその眼差しが注がれてくることになる。これは、僕が今度の『アドバンスト・エディション』の前書きで、創造の八日目と創造の一日目に起こる新旧二人の神の眼差しの交差と呼んだものと同じものだ。これはプラトン風に言えば、「想起」が始まるということだ。プラトン・フリークだったプロティノスはこれを「帰還(エピストロペー)」と言い換えた。長い間、ヘクサグラムの中に閉じ込められていたカゴメの中の鳥さんが篭の中から解放されて、光の発出が始まるというわけだ。ほら「篭」っていう字をよく見てごらん。笠を被せられた竜って書いてあるだろ。これはわしらのことだよ。巷で次元上昇、次元上昇と騒がれ出しているけど、そうしたアセンション・ブームの背景にはこうした古代思想の源流がもとになっているわけだね。
ヌース理論からナマなことを言わせていただければ、カバラがまずかったのは、ケテルの中の眼を一つしか書かなかったことかな。眼が一つのときは本当は神の眼は閉じてるってことなんだ。つまり、眠っている。ほんとうは眼は二つないと神の眼は開かないんだな。で、眼が一つだとヘクサグラムは神の花嫁の世界、つまりマルクト(物質世界)においては3次元空間として介入してくる。僕が今度の本で3次元を平面に見立てて説明したのもそのへんの意図を持っている。でね、この3次元空間というのは、実はこれって神の睾丸、つまり、キンタマちゃんのことなんだ。そして、このキンタマの中には神の精子がふんだんに詰まっている。へへ、わしだって、まだいっぱい詰まっとるわい。
で、古代の人たちはその神の精子のことを何と呼んだかというと、ロゴススベルマティコス(種子としての言葉)と呼んだんだね。この精子を神は地球というオチンチンを通じてイエソドという月(神の花嫁の子宮に当たる)の世界に流し込みたいって思ってるわけ。
人間の生活におけるセックスとは何の射影なのですか?
オリオンとプレアデスの交差です。
あなたがたの存在そのもののことです。(シリウスファイル)
わぁっ!!差異と反復ぅぅぅぅ。
もう一度言うと、イエソドってのは天体でいうと「月」だ。僕が「女なるもの」とか「ケイブ」とかいつも書いてるやつね。精神世界の人たちがプレアデスと呼んでいるものもこの場所にある。言うなれば、人間の無意識の場所。ニーチェ風に情動の海としての肉体とも言い換えていい。ヌースがいう次元観察子ψ1〜ψ14、ψ*1〜ψ*14、つまり総計「28」の場所=コーラのことなんだ。おっと、ここではヌース原論は控えないとね。
男のタマタマちゃんの中の精子にデキがいいヤツと悪いヤツがいるように、言葉にも当然、受精能力を持っている言葉と持っていない言葉とがある。「ありがと」とか「おかげさまで」とか「君が好き」とか「愛してる」とか、そうした言葉が本心から出たときは、それは神の花嫁を受胎させる能力を持っている。でも、「死ね!!」だとか「うぜぇー」とかにはそれがない。だから、今の世界は不妊症というか無精子症を患っていると言っていいかもしれない。TVとか見てるとそんなのばっかりだもんね。
言葉の汚い、きれいは別にして、この受精能力のあるかないかは、すべての言語の種類の中に反映されている。数学で言えば代数的(関数)なものと幾何学的なもの。関数は「アドバンスト・エディション」でも書いたように数量的な計算機械として機能している。だから、光を持っていない。つまり、月への方向性がないんだ。どこが卵子か分からずに膣の中でウロウロして、結局は疲れ果てて死んでしまう。幾何学は関数とはもちろん深〜い関係を持っているけれども、その本質は全く別もの。幾何学の方には神の純粋なDNAがふんだんに含まれている。数が数量として動いている限り、数は幾何学と合体できない。神道風に言えば、数が数霊として働いたときに初めて、数は形霊としての幾何学と合体できるわけだ。
文系的には律法的言語と詩的言語がそれに対応するかな。律法的言語、つまり、六法全書とか契約書とかに書かれているあの無味乾燥なオカタイ言葉ね。定義がどうだの、公理がどうだの、とこうるさい税務署のオジサンみたいなやつ。ドゥルーズ=ガタリという二人組のstar fuckerたちはそうした言語の機能のことを「登録の生産」と呼んで、これが専制君主機械を作り出すって言ってた。つまり、専制君主機械というのは、大雑把に言えば国家のことだ。前にも言ったように、ここでも玉が囚われの身になってるだろ。数量、カネ、物質、国家、科学、そして近代的理性、これらは全部、セトの機械として連動して動いている。でもこれらが悪者だと思っちゃいけないよ。無意識の進化の必然だ。キリスト教的に言えば、みんな「水の受難」なんだよ。いちど魂は水の中に沈められて、ウガウガ、ブクブク、ゼーゼー、苦しまなくっちゃいけないんだ。これが人間という次元における「負荷」だ。
で、一方、詩的言語ってのは受胎を行うためにはとても重要なものだ。特に詩に使われているメタファー(隠喩)やメトニミー(換喩)ってのは、女なるものが卵巣に生み出す卵子そのものの構造と共振する力を持っているんだ。だから、これらは女の言葉、女の論理と言っていい。だから、メタファーやメトニミーを持たない奴は女を喜ばすことができない。つまり、テクがないわけだ。
あれっ? また、話が訳の分からない方向へ行っとる。神の目の話はまた次回に回すとして、今日のところはちょっとPOPにまとめておこう。
神の花嫁は4次元の扉の向こうで純白のウェディングドレスを着て待ってる。君も「愛と青春の旅立ち」のあのリチャード・ギアのような優しい笑顔で,ずっとずっと待ってた彼女を迎えに行ってやれ。——こここでJoe CockerのUp Where We Belongが流れてくる。。。いいねぇ。いいねぇ(^^)
※「不妊症」とか「無精子症」とか一部不適切な発言があったことをお詫び申し上げます。ヌース理論では、人間のほんとうの存在意義は新しい宇宙の子供を作ることだと思っています。たとえ、不幸にもこの地上でそうした症状に陥ってしまったとしても何も悩むことはありません。毎日を、未知なる子供たちの誕生のために元気よく頑張りましょう!!
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 8 • Tags: DNA, アセンション, オリオン, カバラ, ドゥルーズ, ニーチェ, プラトン, プレアデス, ロゴス, 人類が神を見る日, 差異と反復, 言葉