2月 7 2013
存在の内部へ
奥行きと幅の間にはあらゆるパラドックスの原型がある。その意味で言えば、奥行きと幅は哲学のパトスが発生する十字路とも言える。人間の思考の原理が同一性に依拠することと、人間が幅で世界を構成していることとはたぶん同値だろう。
奥行きが幅に浸食されることは、ハイデガー風に言うなら、被投された存在を意味している。外化した時間のことだ。奥行きそのものの中には内化している時間(持続)があり、この時間の方へリアルを感じ取るためには、奥行きが持った風景を可能な限り前景化する必要がある。
ただ、難しいのは、奥行きに身を投げ入れることがドゥルーズのいう差異化であるのならば、その風景は常に差異化を続けていくことによってしか、立ち現れることがない、ということだ。というのも、差異は所与のものではなく、所与を与える側のものだからである。
現代物理学の宇宙創成論は、奥行きで起こった出来事を幅の中で表現してしまっている。これを再び、奥行きにおける出来事として書き直すことが必要だ。それは存在をもの自体の次元から認識し直すこととも言えるが、それこそが「創造」の意味にほかならない。
わたしとは光である、に始まり、わたしはいかにしてクォークへと変身し、いかにして原子核へと変身し、いかにして元素体へと変身していくのか。こうした変身の物語を自らの奥行きの中に目撃していくこと。それは、シュタイナーのいうエーテル体、アストラル体、自我の開示に等しい。
3月 1 2013
3Dソフトを使っての「奥行き」の解説
最近、ひょんなことからMacのモニター画面をそのまま録画できる方法を知った。その方法というのが驚くほど簡単でQuickTimeで「新規画面収録」をセレクトすればいいだけ。これだと面倒臭いアニメーションの製作をする必要なしに3Dソフトをいじりながら画面を録画するだけで、ヌーソロジーの諸概念を3Dで説明できる。そう思い、さっそくfacebook上で実験を開始した。
まずは、奥行きと幅の成り立ちの違いについて複素空間を使って簡単に説明。次にヌーソロジーの基礎となる重要な概念「人間の外面」と「人間の内面」について解説。
facebookにさっそくUPしたところ、分かりやすいと好評を得た。ということで、こちらにもUPしておきます。
●解説1………奥行きに距離を見てしまう認識は、他者が知覚している幅を自己が奥行きとして仮借していることによる。
●解説2………奥行きのリアルは一点同一視されプランクスケールにまで縮んでいる。
●解説3………奥行きとは持続を意味し、真の主体が位置しているところである。
●解説4………複素数の反転W=1/Zが時空と持続を分ける元になっている。
【補足】昨年末当たりから、ヌーソロジーの次元観察子の概念を複素空間で組み立て直すことを考えている。今までは人間の外面(持続領域)と人間の内面(時空領域)をホーキングが提唱した虚時間宇宙=4次元空間と4次元時空の関係に対応させて説明していたのだが、この虚時間宇宙モデルでは自己と他者がそれぞれ経験している主観的宇宙の差異をうまく表すことができなかった。というのも、4次元空間が4次元時空に対する差異を表すとしても、時空の反転が起こったときの自他の外面同士の差異がうまく表現されていないからだ。それに素粒子を表現する波動関数は複素関数である。観察子概念を複素空間に置き換えなければ素粒子との対応を正確に論じることはできない。
このことは前々から抱いていた問題意識ではあったのだが、空間に多重化している次元観察子の構造をどのようにして複素空間で表現すればよいのかなかなかまとまらなかった。去年1年、ドゥルーズやメルロ=ポンティの空間論を読み直し、やはり奥行きと幅の差異を実軸と虚軸の関係に見て取るのが目の前で生起している現象の在り方に最も即していると考え、いろいろと構成を試みた。まだ多少、曖昧な点はあるが、どうにか次元観察子の構成を複素空間上でまとめられそうだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 4 • Tags: ドゥルーズ, メルロ・ポンティ, 外面と内面, 奥行き, 次元観察子, 素粒子, 複素空間