7月 5 2008
ブルックヘブンから本当のヘブンへ
最近、Sさんという素粒子専門の研究者の方からメールをいただいた。何でも、1998年から2004年までアメリカの国立ブルックヘブン研究所で陽子・陽子衝突の実験などに実際に携わっていたそうだ。『シリウス革命』や『人神/アドバンスト・エディション』を読んで、ヌース理論の素粒子解釈にとても関心を持ったという。
メールの中には「今後、素粒子の質量や寿命、構造関数などについての定量的予言能力を持てば、ヌース理論は急速に市民権を得ていくでしょう」という旨のことまで書いてあった。僕としてはちょっとした驚きだった。世の中は僕が思っている以上に変化を求めているのかもしれない。これほど柔軟な態度でヌース理論に接してくれる研究者もいるのだなぁ、とこちらが関心しているところだ。
ゲージ理論研究者の砂子さんのときもそうだったが、こうした専門の研究者に応援メールをいただくと、正直言って、ほんとうに嬉しい。別に権威が欲しいからではない。僕自身、世界の変革は物理学者たちの頭の中を変えない限り不可能だと思っているからだ。物理学は量子論以降、すでに物の理を説く学問から空間の理を説く思考形式に変移している。しかし、その空間の理が何を意味しているか分からないために、仕方なく、旧態依然とした物質概念をそこに重ね合わせている。もうじきだ。あと、ちょっと。そこに意識を盛り込むアイデアが導入されてくれば、物理学は空間という媒介を通して意識の学問に変わることができるのだ。醜いアヒルの子が白鳥に変身する日。そのとき、意識と物質はめでたく婚礼の儀式を執り行なうことができるだろう。これがヌース理論が解釈するペンテコスタ(聖霊降臨)だ。そのとき、世界のあらゆる場所に、世界のあらゆる街に、世界のあらゆる部屋に、聖霊たちが舞い降りてくる。その聖霊とはほかでもない。次元上昇を始める僕たち自身の魂のことである。なんちゃってね。
7月 10 2008
時間と別れるための50の方法(18)
●4次元時空と4次元空間(2)
さて、この第4の次元の基底の符号の違いが実質として何を意味するものなのか、それを発見することができれば、僕らは4次元の世界を時間ではなく、空間的な描像として思い描く可能性がでてきます。
普通、僕らは第4の次元の方向というと、3次元方向の軸が2次元の軸に直交することから、今度は3次元に直交する「軸=線分」のイメージでその方向を探そうとします。しかし、いくら探しても僕らの目の前の空間には、タテ、ヨコ、高さ方向としてのx、y、z軸以外見つかりそうにありません。結果、4次元の方向なんてものは所詮、人間の認識が及ばないものなのだと結論づけてしまいます。果たしてそうなのでしょうか。僕らは何かの理由により催眠術にかかっていて、本当はありありと存在している4次元の方向を見逃しているだけかもしれません。OCOTは4次元方向について次のように言います。
あなたがたが今持っている3次元認識からこの4次元認識への移行は同じ1次元の差であっても、2次元から3次元へ移るのとはかなり大きな違いがあります(『人類が神を見る日/アドバンスト・エディション』第1部p.86)
この言葉に含まれている真意は、おそらく4次元の方向が一般の解説書に見られる1次元(線)→2次元(面)→3次元(立体)というような積み上げ式の描像によって為される次元上昇の在り方とはちょっと異なっているということを暗示しています。では、一体どのように違うというのでしょうか。4次元空間が何か皆目見当がつかなければ、負の4次元とも言える時間側からその手がかりを探るしかありません。そこで時間が3次元空間に対してどのような出現の仕方をしているかを見てみましょう。
このとき時間と空間の媒介となっているのが光です。光は空間を球面状に伝播していくので、3次元空間に埋め込まれた2次元の球面の方程式は時間tを使って次のような式で表すことができます(下図1参照)。
x^2+y^2+z^2=(ct)^2
左辺に移項させると、
x^2+y^2+z^2-(ct)^2=0
となり、時空における4次元不変距離が出てきます。
このことは、モノから広がる3次元においては4次元としての時間の方向性は球体状のカタチそのものとして現れる、ということを意味しています。僕らがよく、一光年先に見える天球面の情景が1年前のものだと結論づけるのも、光速度を媒介としたこのような空間と時間の関係性から言えることです。
そこで、この球面のイメージをあえてψ4の球空間に当てはめてみることにします(下図2)。ここで「あえて」と言ってるのは数学で扱う3次元空間の概念はヌース的にはψ4とψ*4の同一化(両者間の反転関係が見えなくさせられているということ)から生まれているものだからです。この同一化が起こる仕組みをヌース理論の観点から説明するためには、ψ9〜ψ10レベルの解説が必要になります。ここでは煩雑になることを避けて、「あえて」ψ4に対応させることにします。
モノの手前に観測者としての「私の顔」が想定される(これが人間の内面としてのψ4球空間の半径が持つ意味でした)ことによって、モノと「わたし」は分離を余儀なくされ、その引き裂かれた距離は図1におけるctに相当してくることが分ります。このctの意味は、観測者に見えているモノは決して現在、現時点でのモノではなく、モノから放れた光が観測者の顔に届くまで時間を要するのでわずかに過去の姿になってますよ、というくらいの意味です(このモノと観測者を分離させている力の本源力は実は左右方向からの認識の入射にありますが、ここではまだ説明する材料が足りないので割愛します→いずれψ9(思形)の解説のところで出てきます)。
さて、今度はこのψ4の球空間をψ3側に反転させてみましょう。この反転した球空間の半径は明らかにctでは表せないものであることが分ります。この反転操作は時間的には時間自体を裏返すことと同じ意味を持ちます。時間の反転は物理学の表記では時間tに虚数iを掛けることに相当し、虚時間と呼ばれ、これはt→ i t で表すことができます。すると、反転した球空間ψ3の球面は、
x^2+y^2+z^2=(cIt)^2=-(ct)^2
となり、移項すると、
x^2+y^2+z^2+(ct)^2=0………(こちらはψ3とψ*3の同一化が作り出しているものと考えられます)
となります。
ctを第4の次元と考えた場合、これは4次元空間に埋め込まれた半径ゼロの3次元球面という高次の球面として解釈することができます。まぁ、半径ゼロだったら球面もクソもないわけですから、3次元球面が半径ゼロにまで潰された状態と言い換えたほうがいいのかもしれません。いずれにしろ、反転した球空間ψ3側は「時間が存在しなくなる」わけです。その意味でこれは光速度状態そのものと言っていい場所になります(光速度では時計が止まるということ)。
ここで以前に行なったψ3の球空間をイメージするためのワークを思い出して下さい。絶えずモノを見つめながら、その周囲を回転したときに、モノの中心とその背景面方向に向かっていると想定される視線の貫きが作る球空間……それがψ3の球空間の意味でした。そして、その方向は奥行きが一点で同一視されているために中心点とほとんど見分けがつかない、という言い方をしたと思います。どうでしょうか。この式のイメージにかなり似ていませんか?
——つづく
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 4 • Tags: 人類が神を見る日