9月 16 2008
時間と別れるための50の方法(36)
●モノから広がる空間と観測者から広がる空間は全く違うもの
さて、これから次元観察子ψ5とψ6の球空間について、その幾何学的な構造を大まかにチェックしていってみたいと思います。前回の図1からも推測できるように、ψ5の球空間の方は現実として見える前方向(光速度状態として奥行きが無限小の長さにまで潰された前方向)が回転によって作り出した球空間、ψ6の球空間の方は想像的「後」方向がその回転によって無限大の広がりを作り出している球空間ということになりますが、幾何学的にこの両者はどのような関係で表すことができるのでしょうか。まずは、NC上でこれら両者のカタチの成り立ちを見てみることにしましょう。
NC上で観測者の前を表すにはいろいろな方法がありますが、最も分りやすいのはモノの背後側(矢印a)とモノの手前側(矢印b)を合わせ持った場所を「観測者の前方向」と見なすことでしょう(下図1)。結果的に、この矢印aと矢印bをつないだ矢印を観測者を中心に3軸で回転させた空間がψ5の球空間ということになりますが、これだとψ3〜ψ4の球空間との区別がつきにくいので、ここでは次のような別の見方を取ることにします。
モノの背後方向を表していた矢印aは、見方を変えれば、観測者の後方に突き刺さってくるような矢印でもあることが分かります。そこで、この矢印aを右側の球体C側の方に移動させて表現し、矢印a’とします。するとψ5の球空間を作るためには矢印bと矢印a’をつないだ矢印、つまり、右側の球体Cの直径幅の矢印をそのまま3軸回転させればいいことが分かります。同様にψ6は人間の内面側なのでψ5の球空間の直径を作っている矢印とは反対方向の矢印を直径として、そのままこの直径を回転させたときにできる球空間と考えるといいでしょう(下図2参照)。
このように、NC上での次元観察子ψ5〜ψ6の球空間の成り立ちを見て言えることは、モノから広がる球空間(次元観察子ψ3〜ψ4)と観測者から広がる球空間(次元観察子ψ5〜ψ6)は、互いに全く次元が違うものだということです。3次元認識に捕われた見方で見てしまうと、モノも観測者も同じ物体にしか見えませんから、それらの回転が作る空間も観察子で言えばψ3〜ψ4レベルの空間となってしまいます。しかし、人間の外面(観測)という概念が考慮されると、観測者から広がる球空間はモノから広がる球空間に比べてその半径が2倍になっていることが分かってきます。NCで言えば、ψ3の球空間の半径は上図に示した点Oと−∞を結ぶ線でしたが、ψ5の半径は+∞と−∞を結ぶ線になっているということです。
この2倍の半径の意味は結果的に、観測者から広がる空間がモノから広がる空間を無数持ち合わせた球空間になるということになって反映してきます。これは実際に確かめてみればすぐに分かります。「わたし」がグルっと回ってどこに視線を向けようが、その視線上の一点には、その一点を中心とするようなモノから広がる空間を想定することができますよね。言い換えれば、次元観察子ψ5〜ψ6という球空間はそれぞれが無数のψ3〜ψ4の集合で構成されているということなのです。
さて、おそらく上でのNC上でのψ5とψ6のイメージは分かりづらかったと思いますので、ここでもう一歩突っ込んで、次元観察子ψ5とψ6の球空間がどのようなカタチを持っているかを調べてみましょう。ψ5の球空間の中心点はNCを見て分るように+∞と−∞の重合点になっています。これは観測者の位置そのものです。この重合のイメージを取りあえず実際の空間上で作ってみることにしましょう。すると、ちょっと奇妙な描像ですが、それはおおよそ次のようなイメージになってきます(下図3参照)。
目の前にモノがあります。その背後に遥か彼方まで延びる無限の長さの直線があります。そして、その直線が無限遠点(−∞)に達したところに自分がいます。しかし、そこに見える自分は自分の後頭部です。このことを想定した上でグルっと回ってみましょう。すると、回っても回ってもその視線の彼方にやはり自分の後頭部が見えることになります。つまり、次元観察子ψ5という球空間は観測者が知覚球面を形作ったときには、その球面上のどの方向にも観測者自身の後頭部が見えるような構造になっているということです。はて、はて?何のこっちゃ?——つづく
9月 18 2008
時間と別れるための50の方法(37)
●3次元空間を丸める
さて、さて、前回の続きです。自分の周囲に広がる空間の果てのどの方向を見ても、自分の後頭部が見える??このことは一体何を意味しているのでしょうか。ここはもっと頭をスッキリとさせなければなりません。こういう状況は次元を一つ落として2次元で考えるととても分りやすくなります(下図1参照)。
今、大きな球面上にアリが一匹います。アリにとってはこの球面が無限の平面世界のように見えています。そこにアリ神がやってきてアリに交信を送ります。
「全きアリよ。おまえの遥か前方を見よ。」
「ほよよよ。遥か前方………と言われても、視力が追いつきませんがな。」
「肉の目ではなく、心の目で見るのじゃ。」
「ほよよよ。。よよ。」
「心の目で見れば、そこにはおまえの後ろ姿が見えることじゃろう」
「あっしは複眼なんで、そんなこと言われても………………。」
「へ理屈はよい。どうじゃ、見えたか。」
「ほよよよ………はぁ、おぼろげですが。」
「よろしい、では、そこで、グルリと回ってみなさい。今度は何が見えるかな。」
「ほよよよ………後ろ姿しか見えない、ということにしておくざんす。。」
「まぁ、それでよい。わしがおまえに教えたかったことは、”うしろの正面”とは、おまえ自身の顔面だということなのじゃ。このタマの仕組み、よくこころしておくのじゃぞ。」
「ほよよよ。よぉ分らんですが、アリ神さまのありがたきお言葉として聞いておきますざんす。ほよよよ。」
次元観察子ψ5のカタチとは、ここでの2次元がそのまま3次元に拡張されたものと考えるといいと思います。つまり、観測者の前方向はx、y、z方向のどちらを向こうとも、どの方向も意識が持った指向性の構造としては実際は無限遠点で円環状に閉じているということです。
このようにx、y、zの3次元の各方向が円環構造を持った3次元空間は数学では3次元球面と呼ばれ、S^3(エス・スリー)という記号で表されます。通常の球面(2次元球面/S^2という記号で表します)が3次元空間の中で埋め込みが可能となるように、この3次元球面は4次元空間の中で埋め込むことが可能になります。要は4次元球体の表面が3次元球面になっていると考えるわけです。その意味で、3次元球面S^3の直径に当たる部分は当然、4次元の方向になります。
さて、3次元球面の話は以前、このシリーズの第19回目で行なった次元観察子ψ3の解説でも出てきたと思いますが、ψ3はモノから広がる空間における無限大方向の球面を一点に同一視したところに形作られた3次元球面でした。次元観察子ψ5の場合は、観測者から広がる空間における無限大方向の球面を一点に同一視したときに形作られる3次元球面ということになります。では、この二つの一体何がどう違うのかを調べていくことにしましょう。
実際の3次元球面を図にするのは不可能なので、『人神/アドバンストエディション』でも使用した図を使って、次元を一つ落とした形で比喩的にアナライズしながら考えていくことにします。
まず、原点Oを持つ3次元空間を平面(x、y、z)で表します(下図2参照)。
次に、この平面に垂直な方向を4次元方向と見立て、4次元方向にこの3次元平面を丸め、次元観察子ψ3のカタチを作ります。3次元平面上の無限遠が4次元軸上で無限遠点Sとして一点同一視され、3次元球面状のカタチを作っていることが分ります(下図3参照)。
次に、ここに次元観察子ψ4を付け加えてみます。次元観察子ψ4は以前の解説では3次元双曲面というカタチで表しましたが、ここでは話を分りやすくするためにψ3と同じ3次元球面とし、無限遠点の位置に白い穴を開けて表すことにします。これはψ4側ではモノから広がる空間の無限大方向が一点同一視されておらず、想像的な「後」方向の中で開きっぱなしになっているという意味を持たせています。このことは、ψ4ではψ3のように知覚が存在していないので「知覚=主体」とするための位置が生まれておらず、無限遠点が「主体」という差異の概念で埋められていないということを意味しています。一方のψ3が形作る3次元球面は無限遠点を黒い点で表しています。これは、ここに主体という差異の概念が収まっているという意味です(下図4参照)。
「次元観察子ψ3=人間の外面、次元観察子ψ4=人間の内面」というヌースの特異な概念が、この4次元から見た図では文字通り「面」として表されているのが分かります。次元観察子ψ3とψ4は3次元平面が互いに4次元の逆方向に丸められているために、それぞれの球面における表裏の関係が逆になっています。つまり、ヌース理論は3次元空間自体を「面」と呼べるような位置、つまり4次元の高みから3次元空間を見て、その表裏を区別するために「人間の内面」や「人間の外面」という言葉を用いているということです。——つづく
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 2 • Tags: 人類が神を見る日, 内面と外面, 無限遠