3月 28 2024
空間認識の変革の意図
「X」の方でキシトルさんという方から、「空間の革命を開始しよう!!」のテキストに対して、次のような投稿があった。
・これは、シンプルに表現するなら、わたしたちの意識や意図そのものが、量子、素粒子を産み出し、様々なドラマを展開している、と解釈して間違いないでしょうか?
それに対して、次のようなレスを返した。
・逆ではないでしょうか。ヌーソロジーの解釈では量子や素粒子は超越論的なものなので、量子や素粒子の意図そのものが、私たち人間の経験的な意識を産み出し、様々なドラマを展開させている——そのような言い方になるのではないかと思います。
キシトルさんはとても感の良い方で、すぐにこのレスの意味を汲み取ってくれ、次のようにレスを送り返してくれた。
・ほー、なーるほど~(^-^)まったく逆ですね。私たちは自分の意図と意志で生きていると思い込んでいるけれど、実は量子や素粒子の意図で踊っているようなもの。もういちど、イメージを転換し、拡張してみます(^_-)-☆
こうしたやり取りをする中で、僕の中でもヌーソロジーが「空間認識の変革」を訴えることの意図がクリアになった。以下は、このポストに対する僕からのレス。
・はい、ヌーソロジーがいう変換人型ゲシュタルトと呼んでいる空間認識の変革の意図もそこにあります。
ヌーソロジーが提案する考え方は、量子力学と素粒子物理学を、単に物理的な実体に関する学問と見るのではなく、それらを存在の基礎として位置づけて、それらを無意識の層、つまり人間の経験的意識を形成する基層としてみなす考え方を作っていくところにあります。
僕はいつも、この基層をドゥルーズに習って「サセテイルモノ」と呼んでいますが、これは、量子や素粒子を人間の意識に対象認識や自己感覚、時間と空間といった客観感覚を提供している基盤的な要素として捉え直す必要があると考えているからです。
こうした視点から、ヌーソロジーは、物理的な法則や数学的な構造を単なる外部の現象ではなく、人間の内部的な認識と感覚の構成要素として見ます。比喩的にいうならば、素粒子のシステムこそが私たちの本当の意味での「脳」だということです。
その理解によって、いずれは物質と精神の垣根が取り外されていくのだと思っています。
4月 24 2024
自己と他者は同じ3次元空間の中にはいない
前回のジピ対話、ダラダラと何やら難しそうな話をしているように見えるけど、言ってることは単純で、空間が3次元空間ではなく、3次元球面に見えてきたら、他者が見ている空間というのは、自己にとっては絶えず後ろ方向にあるように見えてくるということを言ってる。
つまり、今、自分の前に見えている風景Aがあるとして、そのとき、「回れ右!!」と言って後ろを向いたたときに、今度はそのときの背中方向に他者が見る風景Aがあるということ。
わたしとあなたが3次元の同じ位置に立って、スカイツリーを見ても、それは反転した空間に存在しているスカイツリーだということ。
しかし、悲しいかな、3次元意識ではこの二つの空間の違いの見分けがつかない。だから、みんな、3次元空間の中に自己も他者もいると勘違いしている。
自己と他者の空間が物理的には重なり合っているように見えても、各々の主観的な空間は独立していて、それぞれ異なる視点から世界を体験しているということだね。見えている世界自体が自己、他者そのものなんだから、そうなるわさ。
そういう空間構造が奥行きのもとにミクロに射影されたものが素粒子だよ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 素粒子