10月 29 2019
そろそろヌーソロジーの意図が多くの人に伝わってきてもいい頃
精神は非物質的なものだ、という人たちが今でも結構いる。でも、今や物質自体が非物質的と言ってもよいものなので、精神と物質を二分して考えるこうした姿勢は見直されないといけない。むしろ、精神と物質をつなぐ概念の創出の方が大事。ヌーソロジーの場合はそのつなぎを持続空間に置いてるわけだね。
Raimuくんが紹介している動画の中にハーディングの動画もある。ハーディングはヌーソロジーの草創期によく話題に上がってた。今見ると、ハーディングの指さしは「位置の中和」を指していて、それを見ているのが「位置の等化」側だということが分かる。
下紹介ビデオ―私たちの本質とは何か?
「位置の中和」側を自我極とするなら、「位置の等化」側は対象極とも呼べるのだけど、反転認識においては対象極側が精神となり、自我極側が付帯質となる。この時点で、人間が物質と精神と呼んでいた区別は消滅しちゃうわけだね(下図左)。
この図を自他の間で双対化させれば、『人神』以来、お馴染みのNC(ヌースコンストラクション)のカタチになる(下図右)。
NCのことをOCOT情報は別名「覚醒球」とも呼んでる。
これは、対化の位置が「覚醒」したことを示す「始源」の意味でもある。
ψ5~6は別名、「力の対化」と呼ばれることもあるんだけど、ここから精神は他者側の構成を反射板のようにして用いながら、自己側の精神構造(無意識構造)を作り上げて行く。
素粒子としてはψ5~6はそれぞれuクォークとdクォークに対応している。(自己側が左巻き、他者側が右巻きと予想している)
図からも想像できるように、ヌーソロジーでいう「覚醒」は、主体の位置感覚を自我極側から対象極側へと反転させてくる。
「奥行き」を持続として仮定しているわけだからそう言わざるを得ない。僕らは「もの(uクォーク)においてものを見ている」のであって、必ずしも目(脳)がものを見てるわけじゃないってこと。
8月 27 2021
双子のキリスト
4次元認識が芽生えてくると3次元空間は自分の外と内を遮断している膜のように見えてくる。これは水中と水上を隔てている水面のイメージに近い。もちろん水中が外で水上が内の世界だ。時空に閉じ込められている意識には、精神の光は常にぼんやりとしたものでしかない。人間は皆、魚なのだ。
そのようなイメージを持てば、なぜ、下のような図像が古代においてヴェシカパイセス(魚の浮き袋)と呼ばれたのかが容易に理解できてくるだろう。この図像は認識の水面への浮上を表しているのだ。そこに宿るのはキリスト(=アルケー)へと変身した君自身の魂である。
自他双方からこのキリストが出現したときの様子を表したのが、ヌーソロジーのロゴマークに採用しているNC(ヌースコンストラクション)だ。OCOT情報はこのカタチのことを「覚醒球」と呼んだ。キリストは双子でなければキリスト足り得ないという、何とも異端なお話。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, ヌースコンストラクション