11月 19 2008
時間と別れるための50の方法(51)
●中性子と客観的時空
『人神/アドバンストエディション』に補填した「トランスフォーマー型ゲシュタルト・ベーシックプログラム」の補足解説版として連載し続けてきたこの「時間と別れるための50の方法」というシリーズも気がつくとすでに50回を超えてしまいました。スタート当初は、まぁ、50回くらいやれば何とかまとめられるだろうと高を括って「50の方法」とタイトリングしたのですが、ちょっと見通しが甘かったようです。ごめんなさい。目的の次元観察子ψ7~ψ8までの構造を単純明快なものとしてまとめるためにはあと10コマぐらいは必要かなぁ。。。とにかく、一段落するまで続けたいと思います。
前回は「陽子とは愛である。愛とはスタートである。」と言ったOCOT情報の意図に留意しながら次元観察子ψ7の説明を試みたのですが、皆さんもご存知のように物質の基礎とも言える原子核にはもう一つ中性子と呼ばれる複合粒子が存在しています。陽子を次元観察子ψ7とするならば、この中性子はψ7の反映としての次元観察子ψ8に当たるというのがOCOT情報の内容です。つまり、陽子と中性子という存在はきっちりとヌーソロジーにいう「対化」の関係になっているということです。
実際、物理学の中においてもこの陽子と中性子の関係はアイソスピン+1/2と-1/2の関係として相対する角運動量の方向性として示されています。その様子をまずは下図1で示しておきましょう。
前回、説明したように、陽子はuudで構成されていますが、中性子の方は陽子とは反対に二つのダウンクォークと一つのアップクォークの複合粒子となっています。
中性子 ddu(ダウンクォーク2個とアップクォーク1個の意)
次元観察子ψ5をuクォーク、同じくψ6をdクォークと置いた前回の仮定からすれば、陽子=ψ7の状態とは、ψ5とψ6を対化に持った次元がψ5を先手にその反映であるψ6を後手に持って、そこからこの両者を等化するために回転を行い、二つ目のuクォークを陽子のアイソスピンとして作り出している状態として考えることができます。一方、その反映としての中和の方は、ψ5とψ6の対化において例によって先手と後手が転倒しており、ψ6=dクォークが先手、ψ5=uクォークが後手となり、二つ目のdクォークを陽子のアイソスピン+1/2に対して中性子のアイソスピン-1/2として作り出しているものと解釈ができます。
次元観察子ψ5とψ6の中和の意味を持つこの次元観察子ψ8の状態は、次元観察子ψ3とψ4の中和作用が次元観察子ψ6を作り出したときと全く同じシステムによって作り出されていると考えられて結構です。つまり、ψ6(他者の時空)においては無限遠点が他者自身の主体の位置であるということが見えなくなっているので、ψ6とψ5を統合するときに、ψ5の代わりにψ*6(自己側の時空に当たります)を持ってきてしまうということです。するとその統合もまた人間の内面として現れ、今度はψ6×ψ*6という掛け算のかたちで時空自体を多様体化させる状態を作り出してきます。ψ6とψ*6を掛け合わせることは、「わたし」の時空の広がり全体にわたって無数の他者の時空の原点を存在させる自由度を作り出すことと同じです。こうした状況は「わたし」の目の前に広がっている世界を見ればすぐにイメージすることができるでしょう(下図2参照)。
「わたし」から広がる空間内=ψ*6には無数の他者がいて、その一人一人を原点とする時空=ψ6が広がっているのが確認できるはずです。それらの時空をすべて綜合したものが次元観察子ψ8の描像になります。これは僕らが普段慣れ親しんでいる風景ですからかなりイメージしやすいのではないかと思います。次元観察子ψ8では観測者は単に肉体という物質的存在に見立てられ、それらを呑み込んだ巨大な空間のイメージが出現することになります。要は客観的時空のことです。
ということは、僕らは普段、中性子を時空上の超ミクロな点の中に見ているわけですから、結局は宇宙の広がり自体が極微世界の中に映り込んだものが中性子であるということになります。次元観察子ψ7が精神という能動的な存在であることに対して、この次元観察子ψ8は反映(鏡映)という意味で受動的な存在です。その意味で次元観察子ψ8が単独で存在するのは難しいことになります。実際、物理学においても中性子は単独だと極めて不安定ですぐに崩壊してしまいます。このことの意味を意識的状況に置き換えて言えば、人間の内面世界である時空という領域はあくまでも精神の反映として後手に作り出されたものであって、ちょうどカントの言うように観念による直観の一形式として精神によって組み立てられたものにすぎないということです。時空世界が先にあってそのあとに物質進化の延長として精神が出現してきたとする現在の科学的な意識観はヌーソロジーの観点からすれば全くのトンデモ話だということになりますが、果たして真相はいかに。。。
コ : 物理学が考えているようなビッグバンとは本当にあったのですか?
オ : 全く意味をなしません。
(シリウスファイル)
——つづく
11月 21 2008
時間と別れるための50の方法(52)
●相互反転した二つの客観の位置
顕在化した次元観察子ψ7とψ8。前回までの話でこれら両者の関係が客観的な点概念と時空概念の関係であり、その3次元世界への射影が僕らが陽子と中性子と呼ぶものになっているという結論を引き出してきたわけですが、もっとシンプルに言ってしまえば、単に人間全体の身体における「前」が陽子で、「後」が中性子だということになります。つまり、「前」は潰されて点の中に入り込んでおり、「後」は広げられてその周囲を囲い込む広大な空間となっているということです。あまりに単純すぎて、僕自身この描像に行き着いたときは驚愕すると同時に拍子抜けしたものです。その描像を皆さんも理解していただけるように、第49回で示した図2を使って再度、次元観察子ψ7とψ8の関係を示してみることにします(下図1参照)。
キアスムの関係をそのまま図示しているのでちょっと分りにくいかもしれませんが、言わんとせんとするところは極めて単純明解なことが分るでしょう。例えば、観測者Aにおける絶対的「前」は青い矢印で示したψ5のスピノールの部分に集約されて入り込んできています。すると、自動的にその絶対的「後」は原点Oを挟んでψ5の反対方向となる赤い矢印で描いたψ6の矢印に対応してくることになります。結果、ψ7とψ8はこのψ5とψ6の関係を形作る2本の矢印を、モノ(点でもよい)の周囲を取り込んだ無数の観測者の位置に交差させるように回転させていけばいい訳ですから、図2に示したような様子になります。陽子のアイソスピンはψ5-ψ*5の等化回転を一本のスピノールに集約させ、同様に中性子のアイソスピンはψ6-ψ*6を同一化させる回転を一本のスピノールに集約させています。結果的に、このアイソスピンの軸を3軸回転(SU(2)になります)させれば、相互反転した二つの3次元球面が形作られることになります。このときの二つの球空間が次元観察子ψ7とψ8の球空間に対応します。ψ7が客観的な点概念、ψ8が客観的な時空概念という意味が容易に理解できるのではないかと思います。
人間の内面の意識にとっては、この二つの球空間には半径無限小か無限大かという違いが出てきますが、人間の外面認識は時間距離tが存在しない永遠の領域なので、ψ8は単にψ7の反映にすぎず同じく無限小空間の中で構成された形で見えることになります。このような意味を付加させて図1を書き直したものが下図2です。3次元球面の相互反転関係と陽子と中性子がともにミクロ方向に重なり合って形成されている様子と、その意味が何となくは理解していただけるのではないかと思います。
さて、ここで付け加えることがあるとすれば、人間の外面の意識が顕在化してくると観測者の身体の位置は対象の中心点Oと同じ位置として見なされてくるということです。人間の外面においては奥行き方向はどこも同じ位置であるので、対象の中心点に自分がいるという感覚が自然な感覚に思えてくるようになります。このような認識で身体の位置が捉えられたとき、この位置のことをヌーソロジーでは「重心(じゅうしん)」と呼んでいます。重心とはヌーソロジーの理論構成全体から言えば、精神構造におけるあらゆる対化の等化を行なっていくための変換の中点という意味ですが、この次元観察子ψ7〜ψ8段階では、人間の内面と外面を相互変換させるための支点というぐらいの意味で解釈しておけばよいと思います。重心はまたOCOT情報では神の定義ともされています。
重心とは何ですか。
地球と太陽の交点。あらゆるものの交点。交点が神。神が交点。(シリウスファイル)
重心感覚という表現もあるように、OCOT情報によれば、この「重心」は字義通り、僕らが物体の重心と呼ぶもののことでもあるようです。重力や質量の本質がヌーソロジー的に何か分ってくれば、OCOT情報のいわんとするところがより明確になってくるでしょう。地球と太陽の交点という言い回しも何やら意味深で興味深いところです。
本当の身体的位置が重心であり、それが人間の内面と外面の変換点そのものだとすれば、図1や図2に示したような形で把握されている僕らの一般的な身体位置のイメージとは一体何なのでしょうか。これはOCOT情報では「転換位置(転換位置)」と呼ばれます。いわゆる物質的身体のことです。転換位置は精神が等化作用を進めていくときに、その反映として作り出された中和の力が何層にも多層化されていくところと呼び変えてもいいかもしれません。物質側が等化作用(精神)の多層化ならば、肉体側は中和作用(付帯質)の焦点化と言い換えることができると思います。タカヒマラの精神構造は次元観察子ψに始まって、大系観察子Ω、脈性観察子φというように、数えきれない等化と中和の作用の階層構造を持っているので、その関係性が外界の物質構造全般と人間の肉体を構成している物質構造の違いとなって現れてきます。その意味で言えば、現代医学はこうした、単なる物質と人間を構成する物質のその次元的な差異が全く見えていないと言えます。
別の言い方をすれば、転換位置とは人間の内面の意識における身体の把握の仕方にすぎず、この身体には裏身体とも呼べるような本当の身体が存在しているということでもあります。それは言うまでもなく、人間の外面としての身体性のことであり、その位置は人間の内面の意識においてはモノの中心点にあるということなのです。転換位置としての身体認識は、主体が他者の身体と空間の関係性を見て、その様子を自分の身体と空間の関係に上書きすることによって生まれてきているものにすぎません。次元観察子で言えば、ψ5がψ6を見て、ψ5にψ*6のイメージを重ね合わせてしまうということです。想像的自我の土台を作るということですね。『人神/アドバンストエディション』ではこのへんの仕組みを次のように書きました。
——つまり、「君の前」がいつのまにか「僕の後ろ」とすり替えられてしまい、君は他者にとっての他者として自分を把握してしまっているのだ。君が前の集まりとして感じている空間、僕がいくら前には距離がないと言っても、いや、現にあるじゃないかと言って、前に3次元の奥行き感を作り出している思考性、それが君自身の自我の本性であり、ここでψ*6と呼んでいる次元観察子のことなのだ。つまり、君も僕も「前」を「前」として見ることができず、互いの「前」を相手側の「後ろ」として見て、自分からの広がりを想像的に認識してしまっているということだ。これが鏡像交換、想像界的癒着を作り出しているψ6〜*ψ6の空間構造的な意味合いである。(『人神/アドバンストエディション』p.407)
こうして今度はψ6(他者の身体からの空間の広がり)とψ*6(自己の身体からの空間の広がり)を同一化させるための回転がψ7の反映として起こってきます。その結果生まれてくるのが次元観察子ψ8だというわけです。ここでは詳しく書きませんが、これは物理学的に考えると時空座標の回転群に相当してきますから、特殊相対性理論に顔を出すローレンツ変換と呼ばれる変換の群の構造と同じものだと考えられます。その意味で言えば、ニュートンの絶対空間、絶対時間をベースにした古典力学からアインシュタインの相対論に始まる現代物理学への遷移は、事象分析に観測者が組み入れらていないかいるかの違いとも言えるでのかもしれません。現代物理学の骨格は相対論と量子論ですから、その流れから言えば、相対論においてまず人間の内面における観測者の役割が取り込まれ、次に量子論で人間の外面における観測者を取り込まなくてはいけない状況に入り込んできてしまったのでしょう。ヌーソロジーから言えば、この両者は次元観察子ψ8とψ7の空間領域を人間の意識が理性によって数学的に解析し始めたことと同意です。では、なぜ、そのような発展を物理学は辿ってきたのか………。OCOTに言わせれば、それ自体が「人間の最終構成」を行なわせるための準備活動だったということになります。冥王星の力です。——つづく
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 4 • Tags: タカヒマラ, 人間の最終構成, 人類が神を見る日, 付帯質, 内面と外面, 大系観察子, 特殊相対性理論, 量子論