1月 14 2009
交信記録19940130-2
● 交信記録19940130-2
水素原子に中性子がないのはなぜですか。
それは対化の交差が内面を持てないという意味です。中性子は力の交差を持つための次元ですから、それがないということは上次元に関与する力がないということです。
重水素とはなんですか。
人間の意識に内面性を持った位置を送りだすための中和の力だと思います。位置を見るための元止揚のようなもの。
三重水素とはなんですか。
中和の交差を行い、その交差がまた内面を作り出したものの現れではないですか。
■解説(この解説を理解するには「時間と別れる50の方法」をある程度読んでおく必要があります)
人間の無意識構造と意識構造としての水素とヘリウム。元素界へと直立した脱-人間としての世界認識を形作っていくためには、まずは、この水素-ヘリウム構造をしっかりと理解することが必要だ。宇宙空間をなぜ水素とヘリウムが占め、太陽や星々は何故に水素からヘリウムへと核融合を行い、物質は何故に水素とヘリウムを基盤として生成してきたのか。。こうした問いに対して科学は何も答えてくれない。
水素やヘリウムをただのエネルギーの粒として見る時代はまもなく終わりを告げる。概念を孕むことのない平板な物質。空間化した時間の中に放擲された無色、無味感想な回転運動の襞。それを外側から見るのではなく、内側から、無時間において見る新しい知性を養うこと——そうすれば、それが「わたし」と「あなた」の真の住処であるということが分かってくる。星はそれら両者の結合力から誕生していくのである。
水素とヘリウムの成り立ちを直観的に把握するには、元止揚の対化の双対性をイメージするのが手っ取り早い。『時間と別れるための50の方法』の最後で紹介したケイブコンバス表記を使えば、水素分子とヘリウム原子はおおよそ次のように表すことができる(下図1参照)。
この図での電子の意味づけは少し面倒なので割愛するが、少なくとも陽子と中性子の関係においては、人間の外面と内面の領域が自己と他者の間でキアスムを作ることによって、互いにψ7〜ψ*8、ψ*7〜ψ8という交差関係を持つことが容易に見て取れる。上でOCOTが「位置を見るための元止揚のようなもの」と言っているのは、この交差関係に生まれているψ7に対するψ*8とψ*7に対するψ8の働きのことと考えていい。その意味で重水素のカタチだけをケイブコンパス上に記すと次のようになる(下図2参照)。
ケイブコンパス上のカタチだけ見ても何のことか意味不明だと思うが、これは大雑把に言えば人間の外在認識と内在認識の様子である。外在認識が電子で表され、内在認識が中性子と陽子の重なりで表されている。この重なりは付帯質が精神の方向性を持っている状態を表していると考えるといい。OCOTは中性子のことを「こころ=人間の感性」と呼ぶこともあるので、この中性子の位置はこの図で示している位置でほぼ間違いないだろう。図からも明らかなように、「こころ」とは精神が持った方向を付帯質が正しくなぞっている状態だと言える。このようなこころが持った精神への方向性のことを「付帯質が持った進化の方向性」と呼ぶ。
フロイト-ラカンの考え方を折衷させて言うと、人間の感性は次元観察子が作り出す位置の構成によって次のような四段階の発達段階を持つと考えられる。
第一段階………口唇期。ψ1へのψ*2の交差、
第二段階………鏡像段階。ψ3へのψ*4の交差、
第三段階………肛門期。ψ5へのψ*6の交差、
第四段階………男根期。ψ7へのψ*8の交差
これらの発達プロセスによって想像界の基本的構成が出来上がるということだ。ちなみにヌーソロジーでは「人間の感性」のことを人間の外面の意識とも呼ぶ。一方、この図で電子側が交差しているところは今のところは素朴実在論者が実在だと考えている外在としての客観空間だと考えておくといい。いわゆる即自としての物質的時空のことだ。
水素にはもう一つトリチウム(三重水素)という同位体があるが、これは重水素にもう一つ余分に中性子がくっついている状態だ。これをケイブコンパス図で表すと下図3のようになる。
これは図からも分かるように、重水素に他者側の進化の方向性が加味されたものとなるが、ヌーソロジーの解釈からするとあまりいい働きを持ったものではないと言える。回りくどい言い方になるが、自己のこころが他者のこころ側に呑まれてしまったような状態を作り出すための理念的構成である。
ヌーソロジーでは元素における同位体とは対化の歪みの次元の物質的投影であり、核子に見られる陽子数を超えた過剰な中性子は進化を疎外する次元の侵入を意味している。同位体が半減期を持ち放射線に崩壊していくのは、観察精神がこの歪みを是正するための調整作用を働かせているからである。対化の歪みを人間の意識自らが是正すれば、同位体はすべて消滅し、放射能は存在の必要性をなくすとOCOT情報はいう。ここでいう対化の歪みとは、人間の意識が自我を他我化させて崩壊させている状態とでも考えておくといい。
1月 16 2009
交信記録19940130-3
交信記録19940130-3
生命体が炭素を中心に構成されているのはなぜですか。
それは生命が次元進化の反映として生み出されているからですが、中和の交差が多くのものを作り出すためには必要だからです。中和とは自己と他者を生み出すための重畳した部分。
水とは何ですか。
中性質は表相を内面から生み出します。水とは表相によって変えられたものを内面に生み出します。人間の意識が人間を観察し調整しているところ。
酸化とはどういう意味があるのですか。
中和の交差の還元作用に当たります。
次元の方向性における6番目(炭素)と8番目(酸素)の関係はどういうものですか。
使われたところにあるものを交差させたところに戻すということです。
水素イオンとは。
中和の交差の表相を人間の意識に見えさせているもの。水素イオンそのものには進化を作り出すことはできませんが、水素イオンによって生み出された交差を持つものには進化を作り出すことができます。
水酸イオンとは。
中和の交差の表相を力に変えさせているもの。水素イオンが多いということは力を持つことができないということです。力とは進化の方向におけるすべての力。力を持つことができないというのは反性質が弱いということです。
■解説
OCOT情報によれば、原子番号3〜14までの元素界は人間の意識の覚醒が起こる次元を表していると言う。つまりトランスフォーマーの意識が作り出しているものだ。その意味でいえば、覚醒以前の人間の意識領域はすべて原子番号1番と2番の水素-ヘリウムの内部世界に幽閉されており、自然界の創造活動からは疎外されていると言っていい。つまり、人間という存在は自然界から一方的に贈与を受けるだけの存在であって、その本質はバタイユがいうように、世界を貪るだけ貪り尽くし、消尽するものたということである——太陽肛門としての人間。そこから排泄される熱、放射能、そしてエントロピー。
意識が水素-ヘリウム構造の中で流動している状態をヌーソロジーでは「潜在化の次元」と呼んでいる。本当は表に出るべきものが、裏に回って人知れず動いている。秘密の舞台裏。これが無意識というものだ。無意識の構造をはっきりと知性によってつかみ取ること。これによって、潜在化は顕在化へと裏返ることができる。無意識という概念が生まれてきたのは20世紀になってからのことだが、フロイトがその概念を提唱して以来、その詮索は、フッサール、ハイデガー等の現象学やベルクソンの哲学とも絡み合いながら、思想の世界では構造主義、ポスト構造主義へと発展してきた。しかし、残念ながらこの無意識構造が明確な構造を持って把握されたことはない。わずか晩年のラカンのみがその幾何学化に果敢に挑んだが、結局、誰一人その後を継承する者はなく、人間精神や意識への言及は相も変わらず、旧哲学の体制が紡ぎ出すジャーゴンによって糊塗されつづけ、重装備化された重苦しい観念の同一性の中で息絶えようとしている。
潜在的に作動しているもの——無意識構造。それを理念(イデア)と呼んでもいいが、この力はOCOT情報に従えば言語ではなく幾何学の中に宿っている。人間の意識の背景にこうした理念としての幾何学が潜んでいるからこそ、人間は主体と客体を持ち、自己と他者を持ち、希望と絶望を持っていると考えるのが自然だろう。この無意識の構造を支える幾何学を意味する概念が、他でもない、ヌーソロジーが次元観察子と呼んでいるものなのである。
一般に現代思想においては神秘思想に倣って人間は倒錯者として見なされる。この倒錯を正常な位置に戻すためには、再度、倒錯を行なうのが早道なのだが、倒錯する方向にも二つあるので、一歩道を誤るととんでもないことになる。幼児になること。倒錯者になること。分裂症になること。ニーチェ、バタイユ、ドゥルーズ=ガタリの系譜は軽やかにこの倒錯者への道を語るのだが、これは別に赤ちゃんプレイをしろ、オカマになれ、キチガイになれ、と言っているわけではない。彼らのいう倒錯者への道が具体的に何を指示しているかは残念ながら今ひとつ不明だが、この倒錯への意思をヌーソロジーの文脈に当てはめると、それは潜在化から顕在化への反転の意になると言える。つまり、次元観察子でいうところの偶数系先手の構成から奇数系先手への構造へ。付帯質ではなく、精神を目覚めさすこと。それだ。
今まで何度も示してきたように次元観察子はψ1〜ψ14、ψ*1〜ψ*14の総計28個の観察子で構成されている。人間の意識ではあくまでも偶数系観察子が先手で動いており、奇数系は後手に回っている。偶数系先手の意識は人間の内面の意識と呼ばれ、これは外在世界、物質世界を流動している言語としての理性の活動を司っている意識のことだ。一方、人間の外面の意識は奇数先手で流動しており、これが一般に言われている無意識に相当している。無意識は等化の連なりであり、ドゥルーズのいうように、絶えず、表裏を捻り合わせながら襞を作り上げ、内在面を形成している。折り紙が元を正せば一枚の平面であるように、この複雑な襞も滑降する一つの連続した面であり、意識はこのn次元連続体としての内在面上をガラス面の上を滑る氷のように滑走していっている。
人間の内面の意識がなぞる順番 ψ2→ψ1→ψ4→ψ3→………
人間の外面の意識がなぞる順番 ψ1→ψ2→ψ3→ψ4→………
一方、偶数系の系列とは中和作用の連なりであり、それは空間の同質性として作用している。巨大な同一性の大海のことである。平板的でのっぺらぼうな差異なき漆黒の海。この大海に迷い込んだ偶数系先手の意識には自他の意識に方向性の差異があるということは分らない。もちろん、ここには空間の差異もない。外と内の差異もない。もちろん、意識が創造に関わるルートも見えることはない。時空という物質世界の中ですべてを思考し、すべてを説明してしまおうとする貪欲かつ保守的な理性の帝国だ。これが唯物論的な科学主義に代表される偶数先手の中和における人間の意識の在り方と考えるといい。もちろんこの同一性から差異化を諮ろうとする哲学や宗教、芸術の試みもあるが、それらは中和が先手を持った上での後手としての等化の運動ゆえに、力が極めてひ弱い。このひ弱さは後手すなわち反動者として運命づけられたものであり、資本主義の精神回路においてそれらが科学よりも優位に立つことはあり得ないだろう。
ごたくを並べるのはこのくらいにして、交信記録の解説に入ろう。
まずは、潜在化と顕在化の次元についてだが、これらは物質世界では次のようなものとして反映されていると考えて欲しい(理由はヌーソロジー本論の中で解説していくことになります)。
1、潜在化の次元=素粒子構造(ボゾンとフェルミオン)
2、顕在化の次元=次元観察子ψ1〜ψ14はそのまま原子番号に対応し、原子番号1番の水素から14番のケイ素までの元素に反映されている。
よって、上の交信記録にある内容は主に元素についての内容なので、顕在化の次元と関わりが深いことになる。上の内容のすべてを説明するのは大変なので、とりあえずは、水素イオンと水酸イオンについて簡単な解説をしておこうと思う。
水素イオンと水酸イオンは、ご存知の通り化学ではそれぞれ酸とアルカリの原因となるものとされている。水素イオンはH+、水酸イオンはOH-という状態で、水分子H2Oの電離状態として存在している。ここに次元観察子の概念を当てはめると、水素は原子番号1、酸素は原子番号8であることから、水素分子は点球次元における対化(ψ1とψ*1)、酸素はψ8(転換位置)、プラスイオンとマイナスイオンは潜在化におけるψ3とψ4に対応していることが分る。つまり、イオンとは顕在化が作り出したカタチに対する人間の意識が持った不安定部分の活動を意味していると考えられる。プラスの電荷は人間の内面認識としてのモノ、すなわち客体意識のことで、一方のマイナスは外面認識してのモノ、すなわち主体意識のことだ(下図1参照)。
この図の補足説明をしておくと、この場合、O=酸素が外在時空で、H2=水素分子がモノだと考えるといい。モノがH2というように二つの水素原子して表されているのは、モノが必然的に自己と他者という二つの対峙する方向性を持たされているからと考えるといい。すなわち、わたしが見ているモノか、あなたが見ているモノかの二つだ。これは、言い換えれば、人間の外面として知覚されているモノか、人間の内面に想像されているモノかということでもあるのだが、すでに「時間と分かれるための50の方法」を十分に読みこなした方には、これらが客体側としてのモノと主体側としてのモノに当たることはある程度察しがつくことだろう。
目の前のモノに相互反転性を与えてみよう。まずはしっかりと見えているモノがある。今度はその球空間の表面の輪郭だけを取って、例によって中心点にまで縮め、そこで反転させ膨らまし、もとの輪郭の大きさまで持ってくる。これで相互反転したモノのイメージのできあがりだ。裏返ったモノの輪郭の方は元のモノの表面の裏面に反転し、見えなくなっているのが分かるだろう。
見えないのになぜ客体としての存在感覚が意識に生まれているのか——それは人間の内面が言葉によって支えられている領域だからだと考えるといい。人間の内面には知覚はないのでモノは存在していないのだが、言語があたかもモノが存在するかのように意識に錯覚を与えている。この言語の場の理念として活動しているのが、水素イオンとしてのH+である。上に書いたように、マイナスの電荷は潜在化においてψ3(人間の外面)、プラスの電荷は同じく潜在化においてはψ4(人間の内面)として働いている。以上、まとめると次のようになる。
H+(水素イオン)=モノ一つを名指している言語の位置。
OH-(水酸イオン)=時空上のモノ一つに対する知覚(主体)の位置。
H2O(水)=知覚と言語の一致。すなわち時空上の一個のモノという認識のカタチ。
こうした構造から見ても分るように、水は人間の内面と外面の意識の結節点のカタチであり、精神の方向性がニュートラルな状態としての空間、つまり、客観時空に置かれた一つのモノという理念的構成の射影ということになる。 即自としてのモノ(観測者抜きでも独立に存在していると思われているモノ)と対自としてのモノ(観測者が知覚していることによって存在となり得ているモノ)の一致点という言い方ができるだろう。タカヒマラ全体からすると始まり=1と終わり=8をつなぐものの原型である。OCOTたちが水のことを別名、「脈質(みゃくしつ)」と呼んでいるのはこのような理由に拠る。
——ここからは私的雑感。あまり物質的な生き方をすると血液が酸性になるぞ。外面優位の意識を志せば身体は自ずと健康になる。ってのはあまりに単純な考え方。人間は内面方向に負荷をかけられている。つまり、内面に負荷をかけなければ外面の発達は望めないのだ。だから、オレは適度な不健全さを生きる。適度な物質性を生きる。健全さを先手に取るとロクなことにならない。黒を極めて初めて白に至れるのだぁ〜。べらぼうめってんだ。
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 5 • Tags: タカヒマラ, ドゥルーズ, ニーチェ, ハイデガー, フロイト, ベルクソン, ラカン, 中性質, 付帯質, 内面と外面, 素粒子, 表相