1月 19 2009
交信記録19940205
交信記録19940205
人間において食べるという行為は意識において何を意味しているのですか。
形作る次元を内面に生み出すということ。表相から内面に働きかけるということです。定質の対化によって元止揚を生み出していくためには必要な行為です。
元止揚とは何ですか。
反映としての覚醒作用を意味します。中和の交差の上次元に働かされるもの。変換作用が作り出されるときに働きに変えられるもの。人間の意識の方向性を反映から次元に変えるもの。
生態系における食物連鎖とは何ですか。
位置の交差の次元と反映が生まれるまでは必要な次元です。
変換人の次元に入るとものを食べなくてもよくなるのですか。
位置を形作る必要がないので食べるという行為はなくなります。人間の意識が上次元を関与するようになればそのような状態になるでしょう。
■解説
この交信内容に登場する内面、定質の対化、元止揚というのは、おそらく人間の意識次元におけるそれではなくヒトの次元におけるものだと考えられる。ヒトの意識構造は人間の意識構造と相似関係こそ持つものの、あくまでも比喩的な言い方だが約七倍の大きさを持っている。
人間の意識構造 ψ1〜ψ14
ヒトの意識構造 Ω1〜Ω14(まだ定かではない)
(ψ7=Ω1)
つまり、次元観察子ψ11が人間の意識の定質だとすれば、これはヒトの意識構造においては大系観察子のΩ5に相当し、ヒトの意識の定質はΩ11に当たる。その意味で人間がものを食べるという行為はヒトの意識の定質の対化であるΩ11〜Ω*11当たりに関係を持っているということになる。
食べることが肉体を保持するための必要不可欠な行為であることには違いないが、同時に、食べることは精神を保持するための行為でもある。一体、食べることの精神における本質とは何なのだろうか。わたしたちはなぜ生き物を食べるという、一見、残酷に見えるこの行為を必要としなければ生きられないのか——。
『シリウス革命』にも書いたが、OCOT情報によれば、自然界の生物とは人間自身が持った情念と思考の物質投影物ということになっている。植物が思考で動物が感情に対応しているというのだが、もしそれがほんとうならば、「わたし」が何かを思考したとき「わたし」は地球上のある種の植物へと変身しているということになる。「わたし」の中に怒りであれ、妬みであれ、喜びであれ、何かが感情としてうごめくとき、そのエネルギーは無時間の空間の中のどこかで純粋なアニマの形を取って、ある種の動物へと変態しているのだ。それは野をかける子ウサギのときもあれば、地を這い回るトカゲのときもあるだろう。
こうした考え方は何もOCOTの専売特許ではない。たとえば、ドゴン族の伝承では、ひとりの人間が死ぬとき、自然界のすべての動植物の一対もまた死ぬと言い伝えられていた。これもまた、人間の意識自身の中に全生物種のゾーエーが凝縮されているとする思想を反映している。
人間の内在野の中にある霊的自然。そこで連なっている霊的な連鎖体と、物質的生命としての生態系を重ねてイメージしたとき、無数の補食行為とはリゾーム状に張り巡らされた霊的なネットワークにおける交通空間の在り方のように見えないこともない。たとえば、悲しみの感情が慰めの感情により沈められたり、怒りの感情が冷静な思考によっていさめられたり、愛の感情が嫉妬の感情によって憎悪の感情に変わったりと、意識はつねに流動を繰り返しながら生成変化を行っている。この状態を動植物の間の食の流れと想像してみるのだ。一見、惨いことのように見える補食の行為もこうしたイマジネーションのもとでは生命システム自体が持った内部コミュニケーションのように見えてきはしないだろうか。
で、問題は人間だ。幸運にも今の人間は食物連鎖の頂きに立つ唯一の種として生きている。もし、人間という種が神の精神の投影物ならば、人間が経験する思考や感情はおそらく神が味わっている霊の果肉だということになるだろう。僕ら人間の肉が生態系から収穫された様々な食物を味わうように、その霊である神もまた人間の意識の中でさまざまな意識的果肉を人間の経験として味わっているということだ。その意味で言えば、この人間の身体にはありとあらゆる思考、そしておよそ想像される限りのすべての感情のもととなる情動のロゴスが充満していると言っていい。酸いも、甘いも、辛いも、苦いも、美味も、珍味も、そして毒も。。神の精神はその全肯定としての自身の履歴を生態系の多様性として反映させ、その完成を人間の身体として表現し、再び、今、始源の大地に立っている。。。
1月 20 2009
交信記録19940205-2
交信記録19940205-2
人間の呼吸とは何を意味しているのですか。
人間の意識の反映における相殺。反作用と正作用の調整をするために生み出された共性のようなもの。反映が交差を行っている次元と、等化を行っている次元の元止揚の交換。潜在化した覚醒作用が行ったり来たりしている状態。上次元と下次元の総体性の交差。
植物の呼吸とは何を意味しているのですか。
植物と動物は全く逆方向で力を交差させています。
大気圏とは何ですか。
中和を持ったものが内面を形作るすべての覚醒作用の総合体です。
窒素と酸素の比率が4 : 1の意味は。
人間における覚醒作用の対化の比率を意味しています。2の2乗 : 1の2乗。
■解説(構造を一つ一つ説明していくのは大変なので大雑把なイメージだけを書いておきます。ヌース用語が交じっているので概念がつかみづらいでしょうが、どうか感覚的に読んで下さい。)
呼吸法(ブリージング)は伝統的な身体技法の一つだが、人間の呼吸に秘められた意味は単に酸素を体内に取り込むなどといった生化学的な活動だけにあるのではない。それは極めて表面的な見方であり、実際には宇宙的精神の構造自体における極めて重要な等化運動の投影のようなもののようだ。
ここでいう「人間の意識の反映」とは、人間の外面の意識のことを指している。おそらく大気を吸うことは人間の外面への交差(感性)に関係し、吐くことは人間の内面への交差(思形)に関係している。
「中和を持ったものが内面を形作るすべての覚醒作用の総合体」というのもかなり分りにくい言い回しだが、「中和」が精神をすべて物質として射影している時空という場のことだと解釈すると、この時空がもった内面とは、人間の意識が持った進化の方向性、つまり、人間の外面方向(ミクロ側に入り込んだ精神進化の方向性)のことになる。人間の外面が覚醒された位置とは、いわゆる顕在化における次元観察子のψ7〜ψ8領域だ。その総合体とは、おそらく、自体双方の人間の外面の覚醒位置を合わせ持ったものだと考えられる。元素でいえば、それらは窒素分子N2(原子番号7)と酸素分子O2(原子番号8)を形成している。
このことは、大気圏というものが実は水素=H2とヘリウム=Heによって構成された空間である宇宙空間を丸ごと進化の方向に反転させた領域として存在させられているということを意味している。比喩的に言えば、人間全体の意識振動が1オクターブ上昇し、原子番号1〜2の領域から原子番号7〜8の領域へとアセンションを果たした場だということである。この次元のカタチは、自分たちの背後側で世界を丸ごと包み込んでいた空間のイメージをすべて消し去って、空間の奥行きに対する認識をすべて光速度状態に持っていくことによって作り出すことができる。いわゆる顕在化だ。潜在化においてこの役割を果たしていたのが陽子、顕在化においてはそれが窒素に変わるということだ。その反映がそれぞれ中性子と酸素である。次元観察子ψ7〜ψ8の顕在化が自他ともに起これば、そのとき僕らの意識は大気圏と同調したものになるのだろう。これは、シャーマニックな表現をすれば、人間の意識を大気の霊そのものに変容させるということだ(下図1参照)。
大気の霊への変容——このことについてもう少し具体的に書いておこう。水素-ヘリウム空間では、空間はあくまでも客体物が活動する運動場のようなものとしてイメージされているが(実際には水素-ヘリウムがそうさせていると言った方が正しいのだが)、窒素-酸素空間では、事物はすべて主客一体としての精神の現れへと変化している。つまり、そこでは、すべてのモノの縁取りが球精神(次元観察子ψ7のカタチ)に見えているということである。もちろん、現在の人間の意識にはそのことを自覚することはできていないが、人間の意識の奥底にはそのような無意識が働いているのだ。だから、本来は主観の場しか目には見えていないにもかかわらず客観なんてものが成立し得ているわけだ(陽子がそれをさせているということ)。
このブログで長々と連載してきた 「時間と分かれるための50の方法」の内容はまさにこの客観認識を支えている球精神次元にあたる次元観察子ψ7〜ψ8までのカタチを顕在化させるためのイメージトレーニングだったのだが、このイメージが明確に人間全体の意識に浮上してきたとき、そのカタチが大気圏を支えていたものだということが分ってくるだろう。そのときは、重力によって地表に大気分子が引きつけられているという現在の大気圏生成の見方は、科学信仰が作り出した迷信として解釈されることになるだろう。
これはちょっと暴走気味の考え方になるが、ひょっとすると人間の意識における元止揚の覚醒は、現在の宇宙空間全体さえをも窒素と酸素で満たす力を持っているかもしれない。そのときは天上の恒星群もすべて消滅するだろう。恒星とは方向性が持てない人間の意識の為に方向を補完している潜在的な精神作用の変換力のようなものなのだ。。。星の輝きは太陽に対する一種の抵抗である。
大気中の窒素と酸素の比率はおおよそ20% : 80%だが(二酸化炭素、アルゴンなどの希ガスも少しある)、この比率が覚醒作用の比率に関係しているというのも面白い。OCOT情報では覚醒方向に向かう力が1/3、ニュートラルなものが1/3、覚醒に向かわないものが1/3である。ニュートラルなものはそのまま覚醒に引っ張られるらしく、その大まかな比は2 : 1 となるそうな。これが対化として存在しているので、そのまま掛け算の形をとって、4 : 1という比が現れているということなのだろう。個人的にはこうした比率には興味はないが、この分離が人間の個体それぞれの内部での分離であることを願うばかりである。
これは余談だが、ユダヤの言い伝えによれば、この世で金を貸すものと借りるものの比もまた20% : 80%が理想とされているそうな。オレの場合、金を借りるだけ借りまくって、そのまま覚醒して、銀行さんとは2037年あたりで「バイチャ」と言ってさっさとオサバラしようと考えているのだが、進化の摂理に阻止されるかも。。。冗談です(笑)。
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 3 • Tags: アセンション, ユダヤ, 内面と外面