2月 13 2018
今日のヌース用語 【対化】
【対化(たいか)】
二つに分かれること。対化は双数的な関係を意味し、相互反照的となる。そのため、対化は必然的に四元的な関係を形作る。
※例→精神の対化とは精神と精神*の意味。精神には精神*は付帯質として現れる。同時に精神*には精神は付帯質*として現れる。自己と他者のこと。
OCOT情報がこの「対化」について、具体的な説明をしたことが一度だけある。91年6月のことだ。そこには次のようにある(交信記録より抜粋)。
——対化とは見えるものに見えないものの方向性を与えるもの。対化とは精神に生み出されるもの。対化とは見えるという次元に反映されるもの。
一つ一つ、見てみよう。
対化とは見えるものに見えないものの方向性を与えるもの——
今の僕らには、「見えないもの」の方向性が生まれていない。もちろん、ここでいう「見えないもの」というのは、僕ら自身の精神のことと考えていい。その意味で、僕らの認識には対化が潜在化したままで、まだ顕在化していない。この潜在的な状態にある対化が、僕らが自己と他者と呼んでいるもののことだと思うといい。
ここでOCOTが言っている「見えるもの」とは物質世界のことと考えていいが、僕たちは今、その「見えるもの」としての物質世界を一つの客観の中で見ている。それが一つのものとして把握されているということは、そこに、すべてを等化した高次元の精神が働いていることを意味している。高次元でそのような精神が働いているからこそ、自他は世界を一つのものとして見ることを余儀なくされている。
対化とは精神に生み出されるもの——
すべてを一つに等化した精神が新しい方向を持つところに「対化」が生まれる。これは、そんな意味だろう。自己と他者とは高次の精神が、再び進化を作り出していくための礎のような存在だということ。そして、その進化の方向性は人間にとっては見えない方向に息づいている、というわけだ。
この頃は、見えるものと見えないものの関係が幅と奥行きの関係としてある、ということがまだ分かっていなかった。だから、当然、精神=奥行き、付帯質=幅という見方もしていなかった。「見えないもの」をただ霊的な観念や哲学的な観念の中だけで追いかけていた。
対化とは見えるという次元に反映されるもの——。
対化は見えないものの方向に方向を持っているにも関わらず、それは「見える」という次元に反映される、ということだ。どういう意味かというと、顕在化した精神と付帯質の活動は、結果的に物質として時間と空間の中に影を落としてくるということ。おおよそ、そんな意味だ。
ここで、実はOCOT情報は、ヌースを作り上げていくための思考の方法、思考のイマージュの在り方を教授していたのだということが今だからこそ分かる。つまり、見えないものの方向性を知るためには、見えるものを見ろ、ということ。それを通してしか、見えないものはつかむことができない、ということ。
もちろん、ここでいう「見えるもの」とは、単に目で見えるとかいった意味ではなく、僕らの科学が可視化した物質世界のあらましのことを言っている。物質がすべて対化を思考していくプロセスのイマージュであると感じ始めたのは、この交信から3〜4年後のことだったように思う。
形而上学は否定されてはならない。形而上学には悪しき形而上学と善き形而上学がある。悪しき形而上学とは過去へと向かう超越的な形而上学。プラトン哲学もその一つだろう。善い形而上学とは未来へと向かう形而上学のことであり、この物質的な地上世界そのものに形而上を見る形而上学のことである。
2月 14 2018
今日のヌース用語 【周回】
【周回(しゅうかい)】
ノスの外面性とノスの内面性を持つものの交差によって生まれているもの。進化の方因を作り出していく力。次元を中和に導くための力。ヒトの思形と感性による調整が生み出すもの。周回は、個的には覚醒と睡眠、類的には生と死の循環として現れている。
無意識は体内における血流のように流動し、循環している。何処を? OCOTの表現を借りるなら、それは「次元の中を」ということになるが、彼の言う「次元」とは無意識が活動する高次の空間的組織体のようなものだ。無意識の流動はこの組織の諸器官が完全に摩耗して新生を必要とするときまで反復し続ける。
この無意識の流動は次の三つの位相から成り立っている(下図参照)。
1.人間の意識の内面と外面を活動させるヒトの思形と感性。
2.人間の意識の内面と外面
3.人間の意識から次元を生み出すためのヒトの元止揚。
これらの循環性が〈周回〉と呼ばれているものだと考えるといい。
複雑になって申し訳ないが、こうした周回を他者側のΩ*9〜10側も持っており、自己側のこのΩ9〜10が作り出す周回性と表裏一体で活動している。そして、これら両者の等化運動が人間の内面に物質的に反映されたものがDNAだとOCOT情報は言ってきている。そのイメージで言うなら、DNAが持った延々とした二重螺旋構造は、ヒトの調整による無意識の周回運動の痕跡と言えるのかもしれない。
ヒトの思形と人間の意識の内面はリン酸と関係が深く、ヒトの感性と人間の意識の外面は糖(リボース)と関係しているようだ。ヒトの元止揚における双対関係が四つの塩基であるA(アデニン)、U(ウラシル)、G(グアニン)、C(シトシン)を意味する。U(ウラシル)→T(チミン)の置換は調整期と覚醒期の関係の反映らしい。
その意味では、ヒトの元止揚のルートを敷設するときにT(チミン)を構成し、そのルートを周回として反復するときには、それがU(ウラシル)に置き換えられている、ということになる。3+1(時空支配)と2×2(複素二次元支配)の関係がここにも表現されているのかもしれない。
生物学的に見れば、もちろん人間も一つの種に違いないが、このような形で人間の無意識構造の奥裏にDNA構造が息づいているとするなら、「すべての生物は人間の無意識の様態の表れである」と言うこともできるのかもしれない。分子の偶然の寄り集まりによって生物が発生したとする現代科学が提出している説よりも、個人的にはこちらの方が断然、面白い。
ちなみに、ヒトの調整質が形成された後の周回運動は、地球(人間の意識の内面を補完)・月(人間の意識の外面を補完)・太陽(ヒトの元止揚を補完)がベースとなって保持されているらしい。周回運動の終わりが、ヌーソロジーでもおなじみの「最終構成」というやつである。最終構成において、人間の意識は覚醒を起こし、この回路のリライトに入るというシナリオになってる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, ヌース用語