2月 17 2009
原子と分子
●交信記録19940222
素粒子の次元と原子の次元の違いとは何なのでしょう?
第一関与自身がその内面に生み出したものと、内面の反映に生み出したものとの違いです。
第一関与とは何ですか?
………………。
それは付帯質の外面にあるものと、付帯質の内面にあるものの違いと考えていいですか。
はい。
それは次元と次元交差の関係ですか。
はい。
原子と分子の違いは何ですか。
精神作用が原子で、感性作用が分子という言い方ができます。
原子は精神進化が直線性として現れたもので、分子が精神進化の反復性のような気がしますが。。
はい、その通りです。
カタチが原子ですか。
はい。原子とはカタチの総体です。
素粒子の体系とは付帯質の内面における次元の方向性が人間の内面の次元に現れたものなのですか。
はい、人間が持った方向を変換している力の総体と考えるといいでしょう。
■解説
似たようなテーマばかりが続いて皆さんには申し訳ないのだが、交信が続いている当時は素粒子と原子の次元がどのように絡み合っているのか全く見当もつかず、このように何度も何度も同じような質問を繰り返していた記憶がある。
ここでも質疑の焦点となっているのはやはり素粒子と原子、さらには原子と分子といった物質を構成している諸要素における次元の違いだ。そもそも皆さんには素粒子と原子の次元の違いという言葉すら何を言っているのか意味不明かもしれない。ヌーソロジーに馴染みがある方は、ヌーソロジーがヘルメス主義的世界観をベースにして、現代科学が仔細にわたって分析、解明してきた物質世界の構造を精神の構造へと翻訳させるための思考製作であることはもうご承知のこととは思うが、蛇足ながら、その入口のコンセプトについて簡単にまとめておこう。
1、人間は重力によって時空という迷宮の中にその意識を投げ込まれている。
2、そこは物質という同一性が支配する差異なき差異の世界である。
3、そこに本性上の差異としての主観の場(知覚野)がくっついている。
4、主観は知覚に始まって内在として主観固有の意識領域を持っており、その領域の中で他者を認識し、客観を形成している。
5、この知覚に始まり、感性や悟性を発達させ、客観、さらにはそれらの綜合体としての超越論的主観性(現象論的自我)に至るまでの構造を裏で作り上げているなにがしかの力の流動構造がわれわれの意識の裏に存在している。
6、この裏の機構をヌーソロジーでは人間の無意識構造と見なす。
7、この無意識構造は現代物理学が内部空間と呼んでいる素粒子の場の空間として表現することがおそらく可能である。
とまぁ、このようなコンセプトでこの「人間という世界」を何とか物質発生の始源の場所としてイメージし直す方法を思案しているのだが、いまだに土台があやふやだけに、この機構の上位に原子の機構を精緻に配置していくのはなかなかの難事業ではある。こと分子となると尚更だ。
分子は普通、原子が寄り集まってできるものと考えられている。もちろん、分子は複数の原子が電気的に結びついて生成されるものであるから、それはそれで正しいのだが、自然界の中に数千万種類にわたって存在する分子群の中でも圧倒的なシェアを占めているのは有機物を構成する分子だ。化学的にはそれなりの説明がつくのだろうが、なぜ、無機物より有機物の方が圧倒的に種類が多いのか皆さんは疑問に思われたことがないだろうか。
原子と分子の違いは何ですか。
精神作用が原子で、感性作用が分子という言い方ができます。
精神構造を観察子の序数で見ると、1番から8番の間で循環する構造を持っている。「8」という数はシステム全体を中和させる働きの象徴数で、これは精神構造全体を初期化させる意味を持っている。水分子H20はその最も基本となる現れで、これは「8」(酸素の原子番号)によって中和された全体性に再び「1」(水素の原子番号)の方向性が対化して付着している様子を表している。このブログにも何度か登場したが「脈質」というやつだ。感性作用というのは、大まかにいってこの「8」と「1」の結合が持った作用のことである。これは言ってみれば、上次元側(「7」を作り上げた意識)から見た人間の意識次元のことを意味している。——物質という場に落とされて再び、意識が方向性を調整しているということ。
上の内容で「原子が直線性」で、分子が「反復性」とあるのも、原子(自然界では92番のウラニウムまで存在している)がリニアルに精神進化の積み上げを表現しているのに対して、分子側はつねに「8」で初期化され、再度、その「1」から「8」を巡るループをグルグルと反復させられているのではないかと直観したからだ。この「直線性」と「反復性」の関係は下図1のように単純に直線の上を転がっていく円環を想像すればいい。
円環を八等分して1〜8までの目盛りを打つとしよう。直線側はこの円環の12倍の長さがあって、リニアルに真っすぐ延びているとする。直線には目盛りが8×12=96までふってある。この直線上を円が転がっていけば、当然、円は12度回転し、直線上の目盛りは円環上に12層にわたって目盛りの階層を作ることになる。このときの直線の方を原子の生成秩序に喩えれば、転がる円環の方の回転による反復性が有機分子の生成秩序の喩えになっているということだ。
何度となく精神を進化させていこうとも、そこには必ず元の場所に戻されてくる白紙の精神がある。この引き戻しは仏教的にいうならば、業(カルマ)の運動のことであり、この業がサンサーラ(輪廻)のシステムを形作っていると考えられる。ヌーソロジーにおいては輪廻しているのはこのように宇宙精神そのものなのだ。
「8」とは原子番号で言えば酸素のことだが、これは顕在化においては転換作用の意味を持っている。転換作用とは意識進化が起こったときに、その進化の反映として次の人間の意識次元を用意するために意識を初期化する精神の作用のことである。上生(じょうしょう)する弥勒と下生(げしょう)する弥勒。これらは決して上生する進化側が上位で、下生する反映側が下位に位置することを物語っているわけでは決してない。次なる進化が生まれ出ていくためにも、下生は精神にとっては必要不可欠な運動であり、下生の方が後手に生まれたものという意味では、上生にとって下生は自らがさらに成長していくための下半身的存在だといえる。
生物が幾種類もの有機分子からなるのも、生態系全体に次なる精神進化が委ねられているからなのだろう。とりわけ、ホモサピエンスとしての人間はその中でも最も下生した精神の姿であり、OCOTはその最も下位の力のことを「完全性質」と呼んでいる。これは完全なる中和を持った力という意味だ。この完全なる中和状態が反対側の完全なる等化と結合するところに創造のアルファとオメガとの連結が起こっているのだろう。純粋贈与と純粋享受の接点としての人間存在。
こうした永遠回帰を巡る円環性のイメージからすれば、人間が抱く闇こそが生命力の本質だとはいえまいか。中和された精神の中で闇をまさぐり地中深く根を張を張ること。闇の中で水分(言葉)を吸収し、そこに光(知覚)を持ち込むことによって絶えず光合成を繰り返し行っていくこと。それが下生した精神の定めであり、この精神の営みによって生命全体、否、宇宙全体は支えられているのだ。
2月 19 2009
燐光に照らされた顔
●交信記録19940311——1
DNAの中のリン酸とは思形の中の3番目の次元ですね。
はい、対化の内面性がすべて生み出されているところと言えます。
DNAの中の糖とは思形の中の5番目の次元ですね。
はい、付帯質の等化を意味する次元です。
DNAに寄生してくるウイルスとは何ですか
性質の交差によって生み出された付帯質が内面を持つことにより、カタチが等化されたもの
クローン技術が進んでいますが、前にはこのことを「人間が人間の方向を無に帰している」と言われました。一体、クローン細胞の中では何が起きているのでしょうか。
精神の交差が内面を持つということを位置としては失なわさせている状態です。
DNAの中のリン酸とは思形の中の3番目の次元ですね。
はい、対化の内面性がすべて生み出されているところと言えます。
■解説
正直言って、DNAの世界はまだほとんど見えていない。ただこれらのOCOT情報から、皆さんもDNAの世界がいかに高次の精神活動の産物であるか、わずかながらも見当がつくのではないだろうか。現在の科学ではDNAは偶然の化学変化の積み重ねによってできた産物のように見なされているが、ヌーソロジーの観点からすれば、DNAの生成は空間に潜む人類には未だ知られていない高次元精神の活動状況だと言える。その解明はまだ途に着いたばかりだが、ここでその内容を少しばかり紹介しておこう。
まず、注目すべきはDNAを構成する元素群である。DNA分子を構成する元素はなぜかH(水素)、C(炭素)、N(窒素)、O(酸素)、P(リン)の5種類の元素に限られている。これらのうち、H、C、N、Oの4つは、前回話したように、中和作用が持った反復性として生成の中に組み込まれた観察子群に対応させることが可能だ。しかし、不思議なのはなぜそこに原子番号「15」であるリンがいきなり介入してきているのかということだ。一体、このPってなんやねん?何でこんなもんがDNAに混じっとるねん?
実はこのリンという元素、生物学ではDNAのみならず生体のエネルギー代謝には欠かせない元素となっており、おまけに、リン脂質として細胞膜や皮膚の形成にも深く関わっている曲者なのだ。リンについての与太話は以前「存在の皮膚」というタイトルで詳しく書いたのでここではリフレインは避けるが、とにかくリンは先に挙げた生体主要4元素を別とすれば、生物が生物であるためのアイデンティティー的存在と言える。
存在の皮膚→ http://www.noos.ne.jp/cavesyndrome/?p=2168
さて、ではなぜリンなのだろうか——別のところでOCOT情報は「リンとは人間を次元に関与させるための力」だと言っている。これは前回の言い方をすれば、リンが生成世界に人間という闇を引き入れるための役割を持った精神として作用しているということを意味している。僕はつねづね「人間は神のウンコだ。人間は生成から疎外されている」と言ってきたが、実際には、人間は宇宙精神が有機物を作り出すためには必要不可欠な存在であり、DNAの生成に至っては人間の意識次元がその土台を担っていると言っても決して言い過ぎにはならないのではないかと思っている。有機体としての人間。カタチを持たない精神としての人間。リンの位置を凝縮化バージョンで表したケイブコンパスで指し示すと下図1のようになる。煩雑さを避けるため奇数系観察子のみで記そう。(※ここでは前回までの流れに沿って、精神の内面次元を上側に置いている)
このリンの位置は、現時点でのヌーソロジー解析では顕在化した次元観察子としてのψ*3、つまり、他者の知覚正面に当たる。つまり、ここで精神は彼岸へと到達しているわけだ。この位置は人間の意識にナルシス的自我を与えるための最初の契機となる「鏡」の機能を持つ精神の位置を持つ。他者の視野空間と言えばもっと分かり易いかもしれない。
この次元観察子ψ*3は図には表していないが、下位(付帯質の外面)に実は次元観察子ψ4を引き連れてくる。このψ4とは何かというと、モノの手前に「わたし」という存在が位置づけられていることによって派生してくる人間の認識における空間の3次元性のことだ。つまり、リンは3次元空間の概念を作り出す根本的な原因となっている力なわけだ。おそらくその意味なのだろうか、OCOT情報では、リンは別名「付帯質の念因(ネンイン)」とも呼ばれている。僕が人間の内面(物質空間)のことを仄暗い空間と呼ぶのも、人間の内面の基礎であるこのψ4の球空間が、リンが放つ燐光、つまり、他者が見ているであろうわたしの背後世界を照らし出している想像的な光によって生じていることを常々イメージしているからだ。当然、この光は盲人でも捉えることのできる光であり、ボルヘスによれば、それは深い藍色だという。まさに深海の色だ——自分の顔を見ている他者の視野空間を想像すること。また、その視野空間によって自分の顔がイメージされていることを確認すること。。
このリンの原子番号「15」は奇しくもタロットカードでは「悪魔」に相当するナンバーでもあるのだが、ここには偶然とは思えない奇妙な一致がある。それは英語でのリン(phosphoros)の語源がギリシャ語の「光をはこぶもの」という意味を持っているということだ。これは知っての通り、ラテン語ではルシファー(Lucifer=光を運ぶ者)の意となる。
他者とは彼岸に存在する神同然の存在だとヌーソロジーでは常々言ってきた。しかし、このオカルト的符合は、他者とは同時に容易に悪魔にも成りえる対象でもあるということの教唆なのだろう。神と悪魔とは、実のところ、同じものを二つの異なる角度から見たときの別々の呼称にすぎないのだ。確かに、他者の眼差しは「わたし」という定点を発生させるためには必要不可欠な存在だが、その眼差しに「わたし」が囚われの身となり、遂にはその眼差しそのものに「わたし」が同一化し、「わたし」がわたし自身の眼差しを放棄するまでにいたったとき、世界は一挙に暗闇と化し、わたしは一人、闇を徘徊するオイディプスと化す。「透明な存在」における受動的ニヒリズム。これがOCOTのいう「精神進化の方向性を失ってしまった力」の世界、つまりスマルのことだ。この構造から垣間見れる教訓が一つだけある。それは彼岸へと渡る道には二通りのものがあるということだ。ひとつは自己克服の道で、一つは自己放棄の道。後者は人間の惰性力で容易に到達することができるが、そこにはもはや精神は存在しない。前者は自己を生き切ったときに初めて見えてくる場所なのだろう。存在のエチカがここにある。
冒頭の図が示す通り、このリンはDNA分子の中ではP04(リン酸)として組み込まれているが、このリンに付着した4つの酸素原子は宇宙精神がリンの生成次元に辿り着くまでに、2回の転換作用の対化(酸素分子)を必要としていることを表している。ごく簡単ではあるが、リン酸=PO4という概念のカタチがどこに存在しているかを目の前の空間で説明しておこう。
今、君の前には君が客観世界と呼ぶ空間(時空)が広がっている。それを作り出している概念が酸素だ。おそらくそれは他者側からも見えていることだろう。そうした君の認識のカタチそのものが二つの酸素原子を意味している。そして、君はこれと同じ認識を他者が持っているであろうということもまた認識している。それがO4だと考えるといい。そして、そこに、それを見ている君自身の位置がポツンと投げ込まれているのが分かる。その位置は他者の眼差しであるリンによって照らし出された位置であり、この位置そのものは元素としては原子番号16番のS(イオウ)として機能してくることになる。深海の海底から吹き上げてくる黄褐色のSO2=二酸化イオウの気泡。これもまた生命の発生には不可欠な物質とされるものである。
いずれヌーソロジーはDNAの分子構造のすべてを目の前の空間の中に表現して見せてくることだろう。そのときは、この世界そのものがDNAの中に存在しているということが明瞭に知覚されてくるはずだ。OCOTがDNAのことを「概念の位置」と言っているのも、DNAが人間にとっての真実の脳であるからに他ならない。
(冒頭の図はhttp://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/nucleus.htmより転用)
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 0 • Tags: DNA, ケイブコンパス, スマル, 付帯質