12月 27 2013
ヌーソロジーがやりたいこと
ヌーソロジーは似非科学であり、オカルトだ。という人がよくいる。こうした人はヌーソロジーの出自(チャネリング情報)ばかりに目がいっていて、何をやろうとしているのかを見てくれない。個人的にはちょっと淋しい。
ヌーソロジーはもちろん科学ではない。と言ってオカルトでもない。科学というのは基本的に世界の内部に存在する物質を対象とする経験科学だし、一般的なオカルトは神秘主義的な伝統をもとに見えない霊的な世界をも含めた世界の構造を明らかにしようとする形而上学だ。
ちょっと難しい言い方になるけど、そうした視点からすれば、ヌーソロジーはカント哲学以降の大陸系の哲学の系譜を原点にしている似非哲学という言い方もできる。つまり「超越論的」視点をまずは重要視しているということ。でもこの「超越論的」というのが一般にはなかなか馴染みがない。だから、スピ系の人などには「分かりにくい」「難解だ」という言い方をされてしまう。
「超越論的」というのは「経験論的」のいわば反対語のようなもので、僕ら人間の経験が成り立つ条件について問うということを意味している。つまりは世界とは何かを経験から問うていくのではなく、人間の経験がどのように条件づけられているのか、人間の歴史以前から存在すると思われるそのメタな構造について考える、ということ。
哲学の世界は現象学のフッサールに始まって、ハイデガー、そしてフロイトやラカンの精神分析、さらにはレヴィ・ストロースなんかを通過して、構造主義、引いてはポスト構造主義と呼ばれるところまで思考を進めてきたのだけど、やはり、経験が先か、超越論的なものが先かでもめているようなところがある。
早い話、抽象的なことはもういいよ、僕らの現実に戻ろう。現実がうまくいかないから抽象的なことに走るんだ——とかそういった議論はあちこちで見られる。経験論的な次元と超越論的な次元がグルグル循環してにっちもさっちもいかなくなっているといったような状態。それが今の思想の現状だと思う。
僕がドゥルーズをよく引き合いに出すのは、ドゥルーズがこの循環の外部に出ることをいつも思考していたから。僕が「経験」したシリウス情報の原点というのは「πの循環を切れ」という言葉から始まっている。実はこの「πの循環」というのが上に書いた「経験論的な次元と超越論的な次元の間のグルグル循環」と同じものだと考えてる。ドゥルーズはこの循環路のことを「最小回路」って呼んでいるけど。。で、このグルグル回路の主が僕らの「自我の本性」。
その意味で言えば、科学もオカルトもこのグルグル回路の中で回っている自我の産物と言っていいように思う。哲学もまたここから出れているようにはとても思えない。なんで出れないのかというと、皆、好き勝手に自分の立場からのものの見方を主張していて、互いに歩み寄ろうとしないから。また歩み寄れるものとも思っていない。
前々から言ってるけど、この時代、科学もオカルトも哲学も、実はみんな同じ方向に向かっていると僕は感じている。それらが持っている根底の衝動はみな同じ——ここから出たい——って。でも、仲が悪い。なぜって、結局のところみんな自分の方法論が正しいと思っているから。自我だから仕方ないんだけど。。
哲学は素粒子が超越論的構造なんて発想をほとんど持っていないし、科学も素粒子が無意識の構造なんて想像だにしていない。オカルトは歴史的な神霊の言霊に洗脳されていて、科学も哲学もオレタチよりレベルが低いって勝手に思ってる。なんで皆、仲良くしないのかっていつも思っちゃうんだよね。だから、これら三者の間を調停することのできる新しい思考方法がないものかをずっと考えている。OCOT情報は僕にとってはそのヒントとなるエッセンスの塊のようなもの。
始めに話を戻そう。
ヌーソロジーは科学でもなければ、オカルトでもない(以前、真正なオカルトと表現したこちがあるけど、それはオカルトというものが本来「隠されたもの」という意味だから。「隠されたもの」は未だ僕らの歴史には登場してきてはいない!!)。そしてたぶん哲学でもない。それは今までになかったものだと思う。だからまだまだヨチヨチ歩きの幼児のようなもの。あまりイジメないようにしよう。幼児虐待に当たる(笑)
1月 14 2014
久々のツイッター御託
存在論的差異には二つの種族がある。ハイデガーのそれとドゥルーズのそれ。OCOT情報のいう人間の元止揚とヒトの元止揚がそれに当たる。ベンヤミンのいう神話的暴力と神的暴力の起源がそこにはある。その意味ではこれら両者の差異こそがほんとうの存在論的差異として問題とされなくてはいけない。
このことはドゥルーズも十分意識していたように思える。「本性上の差異は、象徴界と想像界に間にあるのではない。そうではなくて、欲望的生産を構成する機械的なものの現実的生産と、想像界と象徴界からなる構造論的総体との間にあるのである。」『アンチオイディプス』上・p.162
素粒子の対称性構造でいうと、おそらく、これら両者の差異はSU(2)×SU(2)変換と超対称性変換の差異ぐらいの違いがある。要は古い神の生産機構か、新しい神の生産機構かの違いだ。もちろん、この考え方を受け入れるためには、創造の反復という永遠回帰の回転を受け入れなくはならないが。。
OCOT情報のいう「定質と性質の交替化」というやつだ。これは、単純化していうなら、宇宙の陰陽のエネルギーの相互変換の運動である。能動的諸力と受動的諸力における対称性の奪回。ドゥルーズ流の永遠回帰はそこに要請されてくるものなのだろう。
だから、ドゥルーズは嫌うだろうけど、ドゥルーズのような思考は信仰がないと決して生まれてこない。その意味ではバディブがドゥルーズのことを「キリストに属する者、使徒」と呼んだことはよく分かる。
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貨幣を媒介とするモノの交換は、モノの内部で起こっている交換、つまり、生成の力が逆転したところに起こっている倒錯現象だと思います。資本主義の回路をこの真の意味での生産回路へと反転させるときが来ていると感じてます。交換されていくべきは主体なんだろうし、たぶん、そこに価値の源泉がある。
主体を肉体の座に置いている限り、主体の交換は無理。たがら、主体を空間化させる必要がある。もちろん、この空間というのは潜在的なものとしての空間であり、その実質は純粋持続(魂)。人は魂において始めて主体の交換を達成できる可能性を持つ。だから魂の形象化のイメージが必要なんですね。
そして、それが素粒子世界だということ。哲学的思考はここに入らないといけないと思います。その先駆けがライプニッツ=ドゥルーズ。
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シュレディンガー方程式はドゥルーズがいうところの潜在的ななものの場を純粋に記述している。しかし、潜在的なものの場はその内部に自らを巻き込まれたものから繰り広げられたものへと、〈差異化→異化〉〈微分化→分化〉、つまり、差異の差異化を行うシステムを持ち合わせている。
これは素粒子が自らを時空上へと姿を出現させるということに対応している。いや自らが時空を創出するといった方が的確かもしれない。この手続きによって、結果的に、相対論的場と量子論的場が重なり合う。こうした重合の場を記述しているのが、相対論的量子力学なのだろう。
ここではもはやシュレディンガー方程式は通用しなくなり、違う運動方程式の形式が必要となる。具体的に示せば、スピン0の粒子ならクライン=ゴルドン方程式、スピン1の粒子ならプロカ方程式、スピン1/2の方程式ならディラック方程式という形式を取る。
意識の発生は内部性と外部性の差異の発生に準じていると考えられるが、それはドゥルーズの概念に即して言えば、それは〈差異化-微分化〉と〈異化-分化〉の差異を巡って巡回するものである。
〈差異化-微分化〉が内包性を作り、〈異化-分化〉が延長性を生み出すと考えていいのではないかと思う。そして、ここにドゥルーズ哲学の二元論的要素である現働的なものと潜在的なものの原型が生じている。
よって、致し方ないことなのだが、時空の変数(x,t)が組み込まれているシュレディガー方程式は、先構成的なものを取り込んで表現されていることになり、結果的に、粒子の運動方程式を連結させている基盤は円環的な回互性の構造を持っていることになる。これがドゥルーズのいう「クロノス」の物理数学的表現と言っていいのだろうと考えている。
シュレディンガー方程式から時空の変数を抜き取れば、それは純粋に潜在的なものの表現形式となるが、そこにはもはや運動もないわけなので、方程式も成立しない。つまりは、波動関数は形象としてしか意味を持たなくなるわけだ。
ここで抽出されてくる形象が、魂の形象だと考えている。強度的空間には通常の意味での運動は存在しない。そこには純粋な形象のみしか存在しない。それがイデアだろう。
しかし、永遠としての魂が、時計の時間として繰り広げられてくるときの具体的な身体感覚が欲しい。。それは何を意味しているのだろう。確かに時計的時間は概念にすぎないのだが、なぜ、単なる概念がこれほどまでに意識を占有するのだろうか。やはりそれは言語との協同によるものなのだうか。
時空を意識から消し去ることは、経験的他者を意識から消し去ることに等しいのだが、それによって経験的自己も消滅する。ドゥルーズのいう非人称的主体がここに登場する。この一点の意味において、ドゥルーズ哲学を政治化させるのには無理がある。ドゥルーズ哲学はやはり解脱の哲学に思えてならない。
僕がどうしてもホルワード寄りになってしまうのもそのためだ。つまり、ドゥルーズ哲学はアカデミズムという政治的環境にはもっともそぐわない哲学だということだ。本来なら、坊さんが学ぶべきである。オレも出家しようかな(笑)でも、宗教も政治化されてる世の中だからな。。ほんと最低。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: アンチ・オイディプス, シュレディンガー方程式, ドゥルーズ, ハイデガー, 量子力学