7月 25 2013
NOOS LECTURE 2013 IN 東京
実に10年ぶりに開催する東京でのヌースレクチャー。会場には総勢100名近くの方が集まっていただいた。10年間の間、レクチャーの再開を待ち続けていたベテランヌーシストたちの面々も20名ほどいる。参加してくれた皆さんにはほんとうに心より感謝いたします。どうもありがとうございました。
この2013年のレクチャーは僕にとっては特別の意味がある。それは97年に最初の著作を出してからというもの、ずっと、この2013年に照準を合わせ、ヌースの思考を積み重ねてきたからだ。『2013:人類が神を見る日』とタイトルを銘打ったからには、まがいなりにも自分自身が「神」と感じている観念を他者に披露しなくてはならない。そして、たとえ一人でも二人でもいいから、その「神」のビジョンを共に共有できなければならない。つまり、書いた内容に責任を持たなくてはならないということだ。どこまでそれができるか分からないが、全力でこの20年間積み重ねてきたヌース的思考の全容を紹介して行こうと思ってる。
東京でのヌースレクチャーの歴史は古い。始めたのは1993年ぐらいだったと思う。それから毎年のように開催していたのだが、2001年に同時多発テロ事件が起こり意欲を喪失。一年間休んで再開したものの、レクチャーがマンネリ化していることに嫌気がさしてきていて、自分自身の伝達能力にも限界を感じていた。それはヌーソロジーの原点となっているOCOT情報自体があまりに抽象的で解読が追っ付かないということもあったし、構造の精緻化にこだわるあまり、論の展開自体が図式的になり、OCOT情報から最初に自分が感じ取ったあの雷鳴の一撃とも言えるような強度が徐々に失われて行く感覚に焦りを感じていたからでもある。——もう、やれない。そうやって、2003年を最後に東京のレクチャー活動から撤退した。
当時の問題をどう解消するか——これがここ10年間の自分に与えた課題だったわけだが、いざ10年という歳月を費やした今、正直、その問題が解消されたとは言いがたい。この10年間に自分がやってきたことと言えば、現代物理学の自分なりの理解を通して、人間の無意識構造(=理念)の精緻化を進めることと、また、そこで見出された構造に厚みを加えるために、過去の哲学者たちが物質と精神の関係についてどのようなことを考えてきたのか、その歴史的変遷を調査して、現代物理学と現代哲学をより深く連結させていくことだった。考えてみれば、ヌースの思考は10年と言わずここ20年の間、ずぅーと同じ路線で進んでいる(笑)。しかし、自分の直観は、この作業を完遂させない限り、人間からnoosの発振を起こすことはできないと訴えている。「ヌースはどんどん難しくなっている」「もう、ついていけない」一緒にヌースを思考してくれている数少ないヌーシストたちからもそんな言葉がたくさん聞こえてきた。でも、仕方ない、このカベを破る以外に、当の自分の中に再び雷鳴が轟くことはないのだから。
今回のレクチャーではこうした10年間のもがきがどのような形となって表現されていくのか自分なりに楽しみではある。やらかしてしまうかもしれない。逆に、一皮むけるかもしれない。僕は今回、参加者の皆さんにあえてヌーソロジーのPOP性を強調した。現代物理学や哲学のどこがPOPなのかと訝しがる面々もおられるかもしれないが、ヌーソロジーは物理学や哲学に固執しているつもりは毛頭ない。細かい理屈や論理的整合性なんてものは二の次でいいと思ってる。要は先ほど来、言ってる「雷鳴」の轟が再び、やってくるか否か、それが何よりも重要な鍵なのである。
まぁ、今回のレクチャー開催の背景にはこうした自分自身の永きに渡る葛藤があったわけだが、この葛藤のおかげで随分といろいろなことが吹っ切れた。レクチャーのオープニングビデオなんかもその現れかもしれない。今回のオープニングビデオは長年ヌーソロジーとつき合ってくれているクリエーターのFくんに制作してもらったのだが、短い時間と安いギャラでよくここまで作り込んでくれたものだ。心から感謝したい。そして、ヌーソロジーの今後の展開の仕方に大きなインスピレーションを与えてくれたのがAliya Miharuさんの「Dedicate」という曲。MiharuさんのプロデューサーであるNさんに直接会いに行き、レクチャーのテーマ曲にしたいと申し出たところ、二言返事で快諾下さった。そして、今回のレクチャーにもMiharuさん共々、最前列で参加されていた。Miharuさんからはレクチャー終了後、「胸が震えました。きっとこのレクチャーの為に降ってきた曲たちだったんだろうな。と感じています。」という有難い言葉もいただいた。こちらこそ、ほんとうに感謝である。月並みな言い方だが、多くの人に支えられて今のヌースがある。そして、たぶん、多くの人と一緒にヌースは進んで行くのだろうと思う。このオープニングビデオにはそういったこれからのヌーソロジーの方向性が端的に表されているように感じている。
OCOT情報は昔、言っていた。
「最終的にはキカクシツを構成すること。それが大きな力になります。」
「キカクシツとは?」
「多くの人に分かりやすく伝えていくことです。」
世界を新しい天使たちで満たすこと。これがヌーソロジーの夢だ!!
※NOOS LECTURE 2013 のオープニングテーマは福岡レクチャー(8月10日)終了後にこのブログで公開しようと思っています。楽しみにしていて下さい。古くからのヌーシストには必ず喜んでもらえるでしょう。
8月 9 2013
時間・資本主義・自我
以前、モノ周りの空間を3次元、身体周りの空間を4次元と言いました(ユークリッド空間での表現です)。この場合の身体周りの空間とは奥行きにおいて開かれている空間のことを指します。そして、この奥行きにおいて開かれている空間がモノ周りの空間(幅で構成された空間と考えて結構です)と同じと見なされたとき、奥行きはその違いを時間として現わしてきます。
いずれにしろ、モノに従属して身体が表象されているような空間は、その意味で「身体なき空間」と呼んでいいと思います。こうした空間は虚無の空間です。空間は身体がなければ何ものでもありません。空間を方向付けているのも身体だし、空間を切り開くのも身体、空間上に線を引くのも身体であるということをわたしたちは憶い出す必要があります。
歴史のこの末端にまで来て、世界がこの身体なき4次元時空に覆い尽くされてしまったことにはそれなりの理由があります。それはOCOT情報では「人間の最終構成」と呼ばれているもので、性質という力の最終段階を意味しています。この「人間の最終構成」とは、喩えて言えば成熟した卵の完成のようなもので、4次元時空の中では自らを内部から破裂させるための内破力が蓄積され充満しているのです。この内破力がしきい値に達すると、4次元時空は裂開を開始します。
ここでいう裂開とは決して悪い意味ではありません。植物が一つの種子から双葉をなし、双葉から無数の葉が育ち、茎が幹となり、花が咲き、やがてはたわわな果実を実らせるように、空間自身が自らを実り多きものに変態させていくことを言います。
この裂開の連続的な展開において重要な役割を果たすのが空間に内在させられている双子性です。人間は現在、この空間内部の双子性のことを自己と他者と呼んでいます。4次元時空という宇宙卵の中ではこの双子性の力は卵が持った時間という同一性の圧力の中でうまく分離することができないでいます。いや、正確に言えば、自己が自分のうちに他者を含み、他者が自分のうちに自己を含むという関係が互いに対立し合い、互いの交通関係がうまく開かれていないのです。
この遮断の役割を果たしているのが時間です。時間は暗黙の申し合わせ事項として自己と他者をつねに一つの精神の流れの中に一体化させるのですが、その一体化がモノの空間の中で為されているので、身体の空間側へとうまく接続しなくなっています。このことは資本主義と無関係ではありません。Time is moneyと言われるように、時間は貨幣に換算可能なものです。その意味では、空間にもまして、もっとも巨大な資本と呼んでいいものと言えます。
人間は身体が内在させている夢の資本を、時間的未来に投射することによって、社会や文明を時間の中で貨幣の力を借りて構築していくわけですが、ここには常に身体空間から物質空間への資本のすり替えが起こっていることに気づく必要があります。資本主義はcapitalismと言いますが、このcapitalのcapには「先端」という意味があります。時間が流れることは人間の先端が常に開かれて行く状況を意味しており、この先端はいずれ出会う異性との接触を果たすためのcap(=生殖器)でもあるということなのです。
現在、宇宙の裂開力(これをエロスと呼んでいいとも思いますが)は時間の中に閉じ込められて資本主義の原動力として働いています。そこでは本来、双子によって為されるべき交換の力が時間=貨幣という単一の価値に還元され、単性生殖のような運動を行っています。所有すること、領土化すること、支配すること。これらはすべて単性生殖に内在する欲望です。自我の欲動の回路と言い換えてもいいでしょう。
その意味で、この時間という最終的な自我の形態の中には「女は存在しない」とも言えます。わたしたちが女(=宇宙の受胎力)を取り戻すためには、モノの空間の中に埋もれた身体空間を、身体空間そのものとして浮上させる必要があるのです。
そのとき、かつて自己と他者と呼ばれていたものは、宇宙的女と宇宙的男という男女の双子へと変身を果たすことになると思います。この双子の間において交わされてく交換力が、卵の裂開力となって万物を生成へと導くのだと思っています。そこがシリウスです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ユークリッド, 人間の最終構成, 貨幣, 資本主義