10月 24 2013
とにかく奥行き
何度でも言っておこうと思います。人間の意識的変容に歯止めをかけているのは、空間認識の観点からみると、「幅の世界認識」に尽きます。世界を幅でしか認識してないために、世界のあらゆるものが数量化され、何事につけてもソロバンをはじくようなごくごく表層的な思考しかできなくなっているのデス。
「幅の世界認識」に対して「奥行きの世界認識」というものが存在しています。奥行きを通した世界認識が起こっているところは幅の世界認識が起こっているところとは全く別のところです。現在の人間にはこの区別が全く見えていないので、世界が物質でできているかのような錯覚に陥っているだけなのデス。
「奥行き」は世界の存在を感じ取っている主体自身が息づいている場所です。「幅の世界認識」の中では、この「奥行き」が存在しているところはミクロの極限の中に存在しているかのように見せられる仕組みがあります。
奥行きは知覚的事実としてつぶれています。このつぶれた奥行きを幅にあてがうと、ミクロに入り込むのは当然デス。こうしたミクロに入り込んだ奥行きが物理学では素粒子と呼ばれているだけなのデス。
「今まで巨大な宇宙と思っていたもの」が、奥行きの空間知覚を通じて一気に世界の極小の中に入り込むという出来事。とうにそれは無意識の中では起こっていたのだけど、それがあからさまに意識化されてくるという出来事。この出来事のことをヌーソロジーでは「顕在化」と呼びます。
この「顕在化」が起こると、もうわたしたちは魂や霊といった存在を、正体不明の抽象的な言語概念で表現する必要がなくなってきます。
今まで幅で埋め尽くして表象化していた空間を、すべて奥行きで埋め尽くすことによって、幅の勢力と奥行きの勢力の逆転が起き、わたしたちの意識は物質意識から霊的意識へと相転移を起こすことができてきます。
魂霊的世界の形象化が始まるのです。そして、それは今まで物理学者たちが一生懸命探って来た素粒子世界の構造と一致してくるはずです。それは創造の元初が実は、わたしたち人間が息づいている場所であったということの覚知につながっていきます。
そうした目覚めの中で、現代物理学が持った物質的宇宙観はもうまもなくすべて刷新され、世界全体が霊的世界認識へとシフトしていくことになると個人的には考えています。
10月 28 2013
Mama Dancing
先日、神戸で行った「ヌーソロジー×シュタイナー」イベントの2次会で、ひょんなことから昔、バンドをやっていた頃の話になった。「ワシの曲にあのトーラスさんが詞を書いた、伝説の曲があるのデス」と威張って言ったら、是非、聞かせて欲しいという人が続出。以前、ブログの方にも上げたのだが、新しい人たちは知らないようなので、恥を忍んで再度アップしておきます。
タイトルは「Mama Dancing」。当時流行っていた10ccの「American Breakfast」に漂う独特のマイナー7thコード感覚の哀愁を、ワシなりによりタイトでPOPな8ビート感覚で表現するというコンセプトで作った曲。最後のギターソロは当時、国立駅付近をうろついていたCharを捕まえて、ツェッペリンの「天国への階段」風にやってくれと頼んだもの。ウソです(笑)
録音は1980年。ジョン・レノンが死んだ年。当時、八王子のボロアパートの隣の部屋同士だったトーラスさん。パチンコで玉砕して一文無しになったワシに、よく手作りのもやし炒めライスを振る舞ってくれたっけなぁ。そんな虐げられた両者の(ってワシだけ?)のルサンチマンをぶちまけるかのように、腐りきった社会に対してプロテストを内向きに表明した(笑)、今となっては若気の至りきわまりない曲です。この5〜6年後に二人をシリウスの雷光が直撃するのですが、そんなことは知る由もありません。。。
何分にも古いカセットテープから拾った音源なので音がよくありませんが、ご容赦を。
Mama Dancing(1979)
(Music by Kohsen Handa、Words by Mitsumaro Ono )
※リンク先で曲が聴けます。
By kohsen • 07_音楽 • 1