1月 23 2017
古神道の世界はシャーマニックというよりイデアリスティック?
古神道というのは一般に古代日本人のアニミズム・シャーマニズム信仰として捉えられることが多いんだけど、実はその背景には極めてイデアリスティックなシステムが隠されていたのではないかと感じている。以前紹介した『十種神宝』なんかはその代表。こうしたイデア的側面に言及する研究者が少ないのがほんとに残念。
イデアと聞くとすぐプラトンが思い浮かぶかもしれないけど、ここで言っている「イデアリスティクなシステム」とは存在者が存在者であることを可能にしているもの、あるいはそれらを根拠づけているものと言ったような意味だね。物質世界をあらしめている存在の力の体系のようなもの。
それを持続空間の幾何学的構造として思考し続けているのがヌーソロジーでもあるわけだけど、その視点から見ると、十種神宝で表現されているそれぞれの形象はまさにその幾何学を象徴化したもののように見えてならないんだよね。デタラメにこうした形を取っているわけではない、ということ。下図上参照。
たとえば以前取り上げたオキツカガミとヘツカガミ(最初の上二つの図)。オキツカガミは開いているけど、ヘツカガミは閉じてるでしょ。オキツカガミは他者の目に映る世界。ヘツカガミは自己の目に映る世界。これがまさに時空と内部空間(素粒子の空間)の対応を象徴化している感じがしてる。
持続空間の言い出しっぺのベルクソンはその構造については弛緩と緊張という二つの軸に分けて考えるぐらいしかできなかったのね。弛緩が延長的時間や空間、緊張(収縮)が持続本来の時間を作るといった感じで。でも、十種神宝として示してある象徴図像は僕から見ると、持続構造の転変を表現しているように見えて仕方ないんだよね。
この図像の由来が分からないと何ともいえないところだけど、ひょっとすると古代日本人の精神性って本当は極めてイデア的だったんじゃないの。僕がカタカムナなんかに惹かれているのもそういう部分かな。
ちなみにヌーソロジーが考えるオキツカガミの空間とヘツカガミの空間は、光速度を「奥行き」と見た場合、時空(ミンコフスキー空間)と状態空間(単位球体)のような関係になる。後ろ=オキツカガミに映された空間は開いて、前=ヘツカガミに映された空間は閉じているのが分かるよね。見られる空間と見る空間は全く別物でバイスペイシアルな関係にあるということ。下図下参照。ただし、空間のz軸はct軸に重なっている。
ベルクソンは反転が見えていなかったんだね。だから、これらの関係を弛緩と緊張というイメージでしか表現できなかった。反転が見えれば、この図のように物理学ともうまく接続し、持続空間と延長空間の関係をイデア的知性の運動として理解していくことが可能になってくる。その文脈で見ていくと、十種神宝の全象徴はあたかもそのディレクション図のように構成されていってるのが分かってくる。
人間が時空と呼んでいるものがオキツカガミ(他者の視野空間)によって映された受動的世界でしかないということがこの図からもある程度は想像することができてくるのではないかと思う。君も日本人なら、このバイスペイシアル感覚を浮上させていこう!!
4月 13 2017
NC-cube完売いたしました。深謝。
おかげさまで、昨日NC-cubeの初回生産分が完売いたしました。ご購入いただいた皆様には心より御礼申し上げます。尚、第2回目の生産ロットの仕上がりは5月中旬あたりを予定しています。
科学者は「意識は波動」なんて言うと、トンデモと嘲笑する人が多いが、素粒子の数学的表現となっている波動関数というのは、内包的精神が外延的時空の中で数式として表現されたものにすぎない。幾何学的イメージとしては、円が接線(空間や時間)を転がっている様子が波動として記述されているわけだが、実際は逆で、円の方が直線に開かれているのだ。
ここでいう円とは内在の領域であり、接線としての直線(時空としては双曲線)の方が外在の領域を意味している。
時空上に無数に埋め尽くされているかのように見える素粒子(量子場)とは本来、すべて同じ位置にあるのだ。それが非局所と言ってるものだと思えばいい。
群で言うとそれらの基盤はそれぞれSU(2)とSL(2.C)にある。NC-cubeの設計コンセプトは人間の意識を外在へと開かせた力を内在へと反転させるには電子にどんな動きを取らせればいいか、という発想から生まれている。
現時点で、これを技術と呼ぶにはもちろんまだ憚られるが、電子を物質的(局所的)に応用するのではなく、空間的(非局所的)に利用するという意味で、僕自身はこうしたコンセプトのもとに生み出されてくる物心一体のテクネーを、物質科学に対して「空間科学」と名付けている。
空間科学はおそらく、素粒子のシステムの全体性を電子を通してトポロジカルに操作する、という形式を持って発展していくはずだ。これは物質的なところまで貶められた電子を、電子本来の位置にまで戻していく、という意味でもある。ヌーソロジーの文脈では、それは人間の無意識の覚醒とほぼ同等の意味を持っている。
今ではプラトンがいう「イデア」をまともに考えようとする人などほとんどいなくなってしまったが、幾何学とは本来、非局所的なものだ。その意味で幾何学とは精神(持続空間)自体の生態と言ってもいい。人間の意識もその精神の生態の一部として活動していて、そこでの幾何学的背景を持って脈動している。それがプラトン立体というものだと考えるといい。
永遠が駆動するその世界風景を単に空理、空論、空想の世界で終わらせるのではなく、物理学と哲学とを融合させる空間思考の力によって、わたしたちの内的リアルとして蘇らせることが、これからの人間の文明が進むべき方向だと確信している。
状況は圧倒的に、悲劇的、喜劇的と言っていいくらい劣勢なんだけど、「奥行き」を槍代わりにして、ドン・キホーテの精神を携えて、巨大な風車に突っ込むべ。「てめぇーの回り方は逆だろうがぁ〜!!」と絶叫しながらね(笑)。
高価なものにもかかわらず、ご購入していただいた皆様に重ねて心から御礼申し上げます。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: NC-cube, SU(2), プラトン