3月 10 2021
そろそろ、主体と客体の位置のイメージを変え始めてもいい頃
下に示した最初の図は、以前も取り上げた図。フッサールの現象学を説明するために描かれた図だったと思う。
ヌーソロジーの観点からすれば、主観と客観のイメージをこういう図でしか描けないこと自体が現在の人間の空間認識の歪みを象徴している。ヌース通の人なら、問題がこの図が描かれている視点にあることはすぐに分かるんじゃなかろうか。空間把握が延長(内面)しか持たないからこういう構図になってしまうんだね。
この図に、ヌーソロジーでいう人間の外面(持続)の空間を付け加えてみよう(青ぼかしで示す)(下二番目の図)。
人間の外面とは実際に観測者がリンゴを見ている空間のことで、そこにおいてリンゴは空間そのものによって認識(虚想)されている。外面としてのその持続空間は内面側の空間(客観世界側)からは回転しているように見える。これが量子力学が波動関数Ψ(x,t))と呼んでいるものだ。
持続空間はリンゴを外から包んでいるように見えるが、これは複素空間が異次元として時空にレイヤーのように重なっているためで、この異次元は時空においてはプランクスケールレベルに射影され、ミクロ領域に収縮したものとして把握されている。
つまり、リンゴの観察はリンゴの内部において行われているのであり、そこでは主体と客体は一致しているわけだ。量子論の観測問題なども、量子が持続空間そのものの射影だからだ。こうした持続を通した新しい空間認識が、人間の意識を物自体の世界へと誘っていく。
ここから、波動関数Ψは回転の群の次元を多層化させ、複素5次元領域(大統一場)で人間の自我システムを構造化している。物の発生と人間の意識の発生は同時発生だということ。
このように、人間は物の内部へと方向づけられることにより意識を持つことができるのであり、この方向づけのことをOCOT情報は「付帯質の内面への変換作用」という(「付帯質の内面」とは物の内部といったような意味)。
ヌーソロジーが現在、追いかけているのは、この付帯質の内面における具体的な空間構造だ。2039年辺りになれば、ある一定数の者たちが、この空間構造を見る視力を持つようになるだろう。これは、「ヒト」の次元領域が開いてくるということでもある。
holism(ホーリズム), hiper-real(超現実), heterogeneity(異質性)という、ヌーソロジーが提供する新しい存在感覚。まだまだ先は長いが、物質と精神を統合的に見ることのできる形而上学的ファンタジーとして、これからたくましい成長を見せていくことだろう。
7月 15 2022
【武蔵野学院大学ヌーソロジー研究所】研究動画シリーズ#009
「主観空間と客観空間の間における存在論的差異について」というタイトルでの研究発表です。
<補足として>
今回の研究所の研究動画で取り上げた、客観空間と主観空間との間の本質的な違いというヤツ、少しは皆さんにも伝わっただろうか。
私たちは普段、外の世界を見ていると思っているが、見えている世界は実は外ではなかった、という気づき。
この気づきがないことには、ヌーソロジーの思考はスタートを切ることができない。
「見えている世界は外」というのは私たちの常識でもあるから、ヌーソロジーのこうした主張に、それだけで思考停止状態に陥ってしまう人たちも多いのではないかと思う。
それだけ、私たちは外の世界、つまり、客観世界に根を張って、自分の認識する世界を組み上げているということだ。
そのような世界の認識の仕方を一度エポケー(判断停止)して下さい、ということ。この辺りはフッサールの現象学に似ている。
ただ、ヌーソロジーが現象学と根本的に違うところは、自分の3次元的な位置さえもエポケーするところ。
客観世界をエポケーするのであるから、3次元空間上の自分の目は存在しないも同然となることが分かる。というのも、3次元上にある自分の目は、三人称視点によって捉えられている物であるから。一人称視点では、ドゥルーズがいうように「眼とはスクリーン」となって現れていて、客観的な3次元の位置にいる「自分」という存在は消えてしまう。
それによって、現象の現前は、大森の言うように、不動の知覚正面としての”4次元的位置”へと変わるということ。
この位置の移動によって、客観世界としての4次元時空に対して、主観世界としての4次元空間(虚時間世界)というものが立ち上がり、動画でも紹介したように、そこに”存在論的差異”があることが了解されてくる。
ヌーソロジーでは、そこから、量子論との接合が始まっていくという筋書き。
その意味で、大森が直観した「面体分岐」の面と体の分岐とは、立方体の「体」と、その一つの「面」との分岐ではなく、3次元空間としての「体」と、知覚正面としての「面」との分岐として考えないといけない。
哲学をやっている人でも、この辺りの大森の真意を理解している人は少ないように思える。
つまり、私たちが、物の手前に感じ取っている自分の位置とは、本当は3次元的な手前ではなく、4次元的な手前になっているということなんだね。
とにかく、見られているものの空間と見ているものの空間を3次元と4次元に分離させて考えることが必要だと思うよ。
その視点を獲得し、そこから4次元の思考が始まると、空間の見え方や物質の見え方も、大きく様変わりしてくる。
見えている世界は同じなんだけど、見え方がまったく変わるのね。
それはそれは、本当に素晴らしい世界。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 03_動画 • 0 • Tags: ドゥルーズ, フッサール, 大森荘蔵, 量子論