2月 26 2013
京都で講演会やります
2013年になって、身の回りが結構あわただしい。1月には横浜で「宇宙食堂」というレストランを経営しているAさんから講演の依頼があり、顔見せ興行ということでヌーソロジーのさわりの部分を話してきた。今月に入ってからは某出版社から対談本の話があり、昨日はその第一回目の収録を行ったところだ。来月は、京都で関西ヌーソロジー研究会を立ち上げたKさん主催の講演会に呼ばれている。再来月はすでに神戸と熊本から声がかかっている。
今までもたまに講演会のお誘いはいろいろとあったのだが、基本的には丁寧にお断りしてきた。というのも、講演会というのはだいたい長くても2時間ぐらいの持ち時間しかないので、なかなかじっくりと腰を落ち着けて話ができないからだ。ヌーソロジーの醍醐味というのは全く違った概念の大系で世界を再構成していくことにある。こうした内容は単発の講演会ではとても話しきれるものではない。表面だけをなぞっても結果的に訳の分からない話になってしまう。そういう理由から、講演会というのは極力、避けるようにしてきた。しかし、時はすでに2013年。『2013: 人類が神を見る日』の著者としては、今年はほんとうに人類が神を目撃する年になるのだということを証明しなくてはならない。神を目撃すると言っても、神が空から降臨してくるとかいったそんなものではない。人類一人一人が実は創造者のポテンシャルを秘めた存在であるということを覚知するという意味だ。そのメッセンジャー役として今年は精力的に動き回ろうと思う。
ということで、さっそく来月行う京都での講演会の告知を。
主催者は関西ヌーソロジー研究会のKさんです。Kさんは2009〜2010年に博多で行ったヌースレクチャーに全回出席していただき、現在、不定期に開いているヌースアトリウムにも、大阪から毎回参加していただいています。幼少の頃からイデアの世界を探求されていたようで、ヌーソロジーに出会ったとき、自分がそれまで考えていたイデアのあるべき条件をヌーソロジーが展開するイデア論がすべて満たしていると感じたそうです。それからというもの、ヌーソロジーの哲学を一般の人たちにも分かりやすく噛み砕いて、初心者レクチャーなど関西で展開されています。
☆半田広宣 2013講演会 in 京都 概要☆
日 時:2013年3月16日(土)
受 付:午後1時~
(開演/午後1時30分~午後5時30分迄)
会 場:キャンパスプラザ京都 4F 第3講義室
定 員:170名
参加費:
一般前売 3,000円 (一般当日 4,000円)
学生前売 2,000円 (学生当日 3,000円)
主 催:関西ヌーソロジー研究会
事前申し込み等、詳しい内容はこちらへどうぞ→http://www.kansai-noos.com
8月 28 2015
「ビックバンの描像はウソだから、信じちゃダメだよ」とヌーソロジーがいう理由
空間と時間の差異について考えるときは次のようなイメージをベースにするといいと思うよ。物体と物体を繋いでいる線は空間。物体と観測者をつないでいる線は時間。もちろん、観測者をただの物体として見たならば、それは空間。何が言いたいのかというと観測者が4次元の出所になっているということ。
これは何を意味しているかと言うとね。3次元を観測できるような観察位置は3次元の内部にはない、ということなんだね。
さて、問題はここから。「観測」と言っても自己と他者では観測の在り方が全く違っていることに注意しないといけない。他者-物体の観測線は延長として見えるけど、自己-物体の観測線は点にしか見えないよね。これが延長的時間と持続的時間の差異を作っていると考えてみるといいよ。
「世界を客観的に見る」ということは、自己の観察線を他者に重ね合わせて見ることを意味するわけだけど、ここで、実は観察線が二重化しているんだよね。これは数学的に言うと、虚×虚=負という事態が起こっていることを意味している。つまり、仮想的な客観視線は負の空間を作り出してしまうんだね。
これが持続を延長的なものとして繰り広げ、そこに時間(負の空間)が発生するという仕組みになっているんだ。
だから、時空(客観意識)発生の仕組みは外部的なものというよりは、自己と他者における間身体性とでも言うのかな、つまり内在的な場所の絡み合いの中で起こっているということなんだ。
これからの時代は、時間と空間を自分とは関係ない外の世界と考えちゃダメだよ。自分の内部の中にある一部として考えないと。そういう方向で思考していくと、時間と空間を包摂した永遠としての自分が目を覚ましてくるのが分かってくるよ。
こうした思考はもう「わたしの思考」ではなくて、「もの自体」の思考と呼んでいいものなんだげとね。というのも、この思考線自体が素粒子だから。そこでは、思考するものと思考されるものの一致が起きているということ。イデアだね。
ヌーソロジーが「物理学が考えるビッグバンの描像はほとんど意味を為さない」「そんなの信じちゃダメだよ」と言っているのは、物理学が内在性を全く考慮していないからなんだよね。
内在性を考慮していないということは、生命を持ち合わせていないということだよ。物理学が内在性を含み持ったら、それこそ、ほんとうの宇宙的知識がビッグバンを起こすだろうね。そろそろ、僕たちもその場所に向かわないと。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 3 • Tags: イデア, ビッグバン