10月 15 2013
シュタイナーの宇宙史は創造者側の時間で記述されている
まだ漠然とした感覚なのだけど、シュタイナーの地球における「土星期・太陽期・月期・地球期」という転生の順番だけど、これって進化を進めている意識にとっての順番であって、いかなる進化も持たない現在の人間からすれば逆転させて見なくてはいけないのでは?霊的時間の進行は物質的時間とは逆。
そう解釈すると、OCOT情報とかなり重なり合ってくる。土星紀→位置の相殺によって精神の位置が無と化している時期。太陽紀→精神の位置を見出す時期。月紀→再び精神の位置が見えなくなったものに精神の方向を与える位置が働く時期。地球期→精神を相殺に持っていく位置=自我の本性。
このように解釈すると、OCOT情報が伝えている「タカヒマラにおける8つの太陽系次元」というものがシュタイナーのいう宇宙史と重なり合ってくる。ただし、時間の尺度は大きく違っているけどね。。
OCOT情報は熱的エントロピーを人間の意識が持った方向性と言う。それは人間の意識が一切の生成を欠いているという意味だ。だから、高次元から見ればそこには原初の火があり深い昏睡状態しか見られない。土も水も空気(生成力という意味での)もないのである。
ここで人間は世界を幾何学的空間としてしか把握できていない。空間に線を引き、そこに3次元性をベースとして無の時間(エントロピーと同意)を表象している。それは正4面体を基礎形象とする鉱物体のようなものだ。正4面体とは人間が抱く時空概念のイデアのようなものである。
重要なことは世界の成り立ちを表象で見てはいけないということ、生成の力動が生み出す観念の場のカタチとして捉えること。高次元(存在側)から見た火、土、風、水とは、表象(存在者側)としてのそれでは全くないということ。
現在の人間の意識状態を土星紀と解釈すれば、到来する覚醒期が太陽紀にあたる。覚醒はまずは窒素や酸素の生成に着手する。「土星」の熱実質が空気・気体状態へと濃縮させられていくのだ。そして、光を顕在化させ、マグネシウムまでの元素を生成し植物の核を用意する。つまりエーテル体を注入する。
といったように、ヌーソロジーのビジョンといろいろと辻褄が合ってくるという次第。霊的な生成の時間と、わたしたちの物質的時間を決して混同してはならない。シュタイナーの説く宇宙史が荒唐無稽なものに見えるのは、われわれが物質的時間でその歴史を読み解こうとしているからだ。われわれの位置はおそらく未だ土星紀である。
10月 18 2013
シュタイナー霊学とヌーソロジーの幾つかの齟齬
OCOT情報は人間のことを完全性質ともいう。完全性質とは「力が全く確実でない状態」とも言われる。ここでいう力とは精神に対する即時的認識力のようなものと考えるといい。こうした認識の欠如は精神に対して精神を融解させる働きを持つ。この融解において生じているものが「熱」だという。
その意味では、自然界を宇宙精神の投影だと考えた場合、完全性質としての人間はこの自然界においては「熱」として反映されていることになる。そして、もちろんこの熱は即時的認識を持った存在から見れば「人間の状態」を指すことになる。
この熱的状態から人間の精神は進化によって「カタチ」の生成へと向かうとOCOT情報は言う。ここでいう「カタチ」とはシュタイナー的に言えば魂的諸状態の形象のことである。この形象を生み出してく力のことをOCOT情報は「定質」と呼ぶ。定質とは性質とは正反対の意味を持つ言葉だ。性質の状態をstabe=安定化させていく力といったような意味に解釈できる。
この定質の発振が実際に何に当たるかというと、それがヌーソロジーがいつも言っている「顕在化」、つまり素粒子構造の知覚化にあたる。これは物質の即時的認識の第一段階と考えていい。
実はシュタイナーも同じようなことを言っていて、土星期(熱的状態にある)から太陽期になると、アルヒャイ(土星期の人間段階にいるもの)が周囲の存在の内的、魂的諸状態を形象として観察できるようになると書いている。おそらく、この観察を試みているのがヌーソロジーの現在の作業ではないかと考えている。つまりは、人間の物質体・エーテル体・アストラル体・自我という人間の魂的諸状態が素粒子構造によって規定されていると考えるわけだ。こうしたアプローチを採ることによって、シュタイナーが霊視したつかみ所のない宇宙史を文字通り精神科学としてポストモダン的に再生させるためのヒントが見えてくる。
ただし、シュタイナーに拠れば現在の人間は地球期にいる。より詳しく言えば、7段階の遊星期における第4番目の地球期の、7小循環における後アトランティス時代の、7 区分における第五文化期だ。シュタイナーは魂的諸状態を形象として観察するこうした能力を現在の地球期の人間が持つことはできないとし、この能力が生まれてくるのは次の第五の惑星進化期である太陽期だとしている。
シュタイナーのシナリオから言えば、ヌーソロジーは明らかに宇宙のルール違反者、早すぎた受胎とも言えるのだが。。ボクは負けないぞp(^ ^)q
さて、OCOT情報との比較だが、とりあえず、シュタイナーのいう7段階の遊星期=脈性観察子、7小循環=大系観察子、7つの文化期=次元観察子という対応がそれなりに成り立つように感じている。ただ、現在が脈性観察子Φ11〜12(脈性としての第四世代に当たる)に含まれているかどうかは怪しい。それが全体の論理立てとして美しいことはよく分かるが、OCOT情報に拠れば、今回の交替化が「オリオンと太陽系精神の交差」おける最後の交替化だと言って来ているからだ。つまり、何かフィナーレ臭いのである。僕が「未だ人間は土星期にいるのではないか」と考えているのも、このフィナーレが始まりの土星期に繋がっている感覚がしてならないからだ。それにヌーソロジーの発祥が土星の衛星の「タイタン」だったこともある(このへんは感覚なので適当に読んで下さい)。
さて、シュタイナーとの最も大きな齟齬は時間の尺度。OCOT情報では前に示した脈性観察子の諸段階は、調整期(現在)の人間の時間概念に翻訳するならば、わずか約416.000年ですべて終了するとしている。これはマヤのフナブク・インターバルの4周期分である(フナブクが大系観察子の世界に相当します)。
地質学的年代の常識からすれば、これはヘソが茶を湧かす主張。しかし、地質学が放射性崩壊の半減期に絶対的な信頼を置いて年代測定を行っていることの本質的な意味を考えると、OCOT情報を一蹴するわけにもいかないんだな、これが。科学が年代測定に用いる放射性同位体とは一体何か考えないといけない。
OCOT情報では放射性同位体とは「原子に反映された人間」を意味する。放射性同位体は不安定なので、つまり、存在に不安定さをもたらす要因がどうも人間だということだ(笑)。存在自体はこの不安定要因を消そうと放射性同位体を安定同位体に向かわせようとしているだけ。ここでは人間自身が安定の方向に向かえば、放射性同位体は一気に姿を消すというストーリーになっている。
もしほんとうにそのような仕組みで原子の世界が営まれているのであれば、科学が行っている年代測定などは全くの架空のフィクションにすぎなくなる。
放射性崩壊の中でも核分裂なんかはほんと「原子に反映された人間精神の最下層」と言っていいように感じる。ウラン以上の核種は実は原子(宇宙精神の投影という意味では)ではない。それは精神進化が裏返っている部分がくっついて出て来ているのだ。つまり比喩でも何でもなく、ほんとうに悪魔的なものだということだね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, シュタイナー関連 • 0 • Tags: OCOT情報, アストラル, アトランティス, エーテル, オリオン, シュタイナー, 大系観察子, 次元観察子, 素粒子