3月 28 2014
ヌースレクチャー2013シリーズ IN 東京 第5回 無事終了!!
ヌースレクチャー IN 東京 第5回、無事終了しました。今回もたくさんの方に集まっていただきココロより感謝デス。今回はライプニッツのモナドロジーを入口にしてヌーソロジーのモナド論を具体的に解説していきました。今回も延べ4時間にわたる長丁場でしたが、キモは何と言っても「観点をいかにして球面化するか」という部分の話デス。
わたしたちの身体はライプニッツ的に言えば、最も高度に組織化された複合的モナドです。そして、この身体は物質としては時空の中に包まれたものとして存在させられています。しかし、身体が世界を知覚するものとして働いているときは、身体の位置(この場合、目の位置)は世界に対する観点の役割を果たしており、世界をくまなく観察できる位置という意味において世界を「包む」ものとなっているのが分かります。物質的身体としては世界に包まれて在り、かたや精神的身体としては世界を包んで在る——身体が孕むこの両義性の中に「包まれつつ、包む」モナドとしての人間が生まれています。
今回のレクチャーで問題としたのは、この「観点」という概念の在り方です。観点には文字通り「点」という、空間に包まれるイメージが相変わらずこびりついているのが分かります。身体の位置は「包まれつつ包む」という両義的なものでありながら、わたしたちの空間認識は未だに世界を「包む」側として働いている身体空間をうまくイメージできていないのです。そこで、今回のレクチャーでは3コマ目で、この「観点」を「球面」へと反転させ、世界を包み込むイメージに変える思考方法を紹介しました。
つまりは、物質的な身体から外に広がっているように感じている外の世界(時空)を内側に丸め込む空間認識が存在しているということです。もちろん、現在のわたしたちにはその認識は無意識の中に沈み込んだままですが、それを意識に明瞭に浮上させることによって、「包まれつつ包む」というモナドの生態を正確に描像することができるようになってきます。
では、観点が球面化を果たすと認識にどのような変化が起こってくるのでしょうか——それは、一言で言えば、すべての対象が一点で重なっている空間が見えてくるということです。それがどういうことを意味するのかは、あえてここでは詳しく説明しません。簡単に言えば「どこでもここ」という非局所的な空間が知覚されてくるということです。そして、そのイメージが生まれて来きて初めて、認識は次の段階である「包みつつ包まれる」というライプニッツが神の世界として示した逆モナドの世界へと侵入していくことができるようになります。
観点が球面化し、観点が時空を包む込むようになったとき出現するもの——これがライプニッツのいう単純実体(モナド)でもあり、わたしの霊魂です。そして、ライプニッツは、この霊魂としての単純実体が他者側から発した単純実体と「共可能性(可能性を共有すること)」のもとに複合化されていくところに物質が形作られていると言っています。つまり、「包まれつつ包む」モナドから「包みつつ包まれる」逆モナドの成長のプロセスの中に神の創造空間が用意されているという筋書きです。
4時間にわたるモナド解説の後、最後に久々にNC(ヌーソロジーが用いるモナドモデル)を登場させ、モナドの成長プロセスの初期段階をアニーメーションで紹介しました(下図は静止画)。これでヌーソロジーの空間認識の基盤となるマトリックスが指し示されたことになります。そして、アニメーションが描き出すNC内部の構造変動は、現代物理学が展開する素粒子論へと一気に接続していくことになります。
次回(第6回)はいよいよ、モナドが意識を発生する仕組み——外在世界と内在世界の認識はいかにして生まれてくるのか——の解説に入っていく予定です。お楽しみに。
4月 2 2014
丸まった前の空間
ツイッターで何気につぶやいた「丸まった前の空間」の話が意外に受けがよかったので、今日はその続きを少し補足。。
【前回分】
後ろの空間と前の空間の間に空けられた窓。それが視界だと考えよう。そして、その場でグルっと回ってみる。後ろに想像されている広大な空間の中に前の空間が丸まっているのを感じられるようになればOK。それが君の魂である。嘘は言わない。丸まって感じることができていればの話だが。。
丸まって感じることができた人は今まで点と呼ばれていたものを球面に変えることができた人。物質と精神の境界を発見することができた人。闇と光の境界を発見することができた人。死と生の境界を発見することができた人である。たぶん、冗談抜きで。
——アヌビスは水平な円であり、これにより「目に見えないもの」、すなわちネフテュスと、「目に見えるもの」、すなわちイシスが分割される。この円は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている—— プルタルコス
【本日分】
後ろの空間と「丸まった前の空間」の違いを感じた人は「こころを発見した人」と言えます。そういう人たちは、自分がぐるりと回ったときに、後ろの広大な空間に包み込まれた「前の丸まった空間」を感じ取ることができるはずです。わたしたちが普通、外の世界と呼んでいるものは実は後ろの空間なのです。
この外の世界の中で、「前の丸まった空間」がどういうふうに見えているかというと、小さな小さな粒のように現れています。昔の日本人はこのことを知っていました。だから心のことをココロ、小さな粒(コロ)と呼ぶのです。
物理学が素粒子と呼んでいるものは、この心が作っているネットワークのことと思って下さい。外の世界の延長としてこのココロの中に入ることはできません。物理学は外の世界の概念しか持っていないので、この領域は不確定性領域などと言って難しく語られてしまうのです。
ココロは外の世界で表現されると波動になります。ココロの世界を井型で取り囲んでその井型を直線で延ばしたものが時間と空間と呼ばれている世界です。こうした延長性でココロを表現しようとすると、ココロはこの直線上を文字通りコロコロと転がっていくものとして表現されます。この転がりが波動です。
波動として現れたココロに敢えて意味付けをするとすれば、それはココロが外の世界に翻弄されているとも言えるでしょう。今の人間の空間認識では前と後ろの区別ができていないのですから、当然のことです。
さて、この「前の丸まった空間=ココロ」ですが、ここは永遠の世界です。時間や空間はすべて後ろの世界のネットワークが作り出しているもので、「前の丸まった空間」の中には存在していません。
まもなく人間の思考はこの「前の丸まった空間」の中をフランチャイズとして働き始めると思います。「光の箱舟」の発進が始まります。今まで人間が死と呼んでいたものが開き始めるということだろうと思っています。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 光の箱舟