9月 9 2014
中山弥栄塾に招かれて
先月30日、東京の亀戸で中山弥栄塾が開催され、ゲストで呼ばれた。中山さんとのジョイント講演はこれで合計8回目ぐらいになるのだろうか。今回は中山さんからのリクエストでチャネリング話を会の人たちに是非してほしいということだったので、僕が1985年に経験したぶっ飛びのNOMI体験について、かいつまんで話をした。NOMIというのはOCOT以前に僕にアクセスしてきたオリオンの意識体のことだ。だけど、詳細は書けない。ここで公にするにはちょっと内容が過激すぎるので(笑)。。
会は、僕の話のあと、中山さんの講演があり、その後、休憩を挟んで、真琴ニスト・出沼理恵子さんと祝詞シンガー・わせなつみさんによるコンサートがあり、そして、最後に中山さんとの対談で幕を閉じた。中山さんはいつもにも増して気合いがはいっていたなぁ。パワーがすごかったです。出沼さんとわせさんのコンサートも、僕と中山さんで思いっきりかき混ぜた開場の空気を、再度、清らかに刷新させ、対談の前の雰囲気をぐーんと盛り上げてくれました。
昼の13:00に始まった会も気がつけば夜の21:00すぎ。ほんとあっという間の8時間でした。一番大変だったのは、参加してくれた皆さんだったかもしれないな。会場はゆうに定員の百名を超え、椅子が足りなくなって、直接、床に座って聴いてくれた方もたくさんいらっしゃいました。8時間、ほんとにご苦労様でした。ほんと、頭が下がります。
長時間、参加していただいた皆さんに、この場を借りて、改めてお礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
尚、当日、会場で東京でのヌーソロジーのレクチャーの開催日について聞かれた方がたくさんいらしたので、一応、お知らせしておきます。今度の開催日は9月21日の日曜日です。場所は渋谷です。
詳しくはこちらをご覧下さい。
http://noos-academeia.com/blog/?p=1726
※下写真提供はボーセンの松村さんです(松村さんありがとう)。
— 中山康直さんと一緒です。
9月 12 2014
男と女の痕跡、あるいは汝と我の痕跡をめぐって
奥行きというのはラカンの理論でいうなら「失われた対象」のようなものだ。奥行きに幅が入り込んでいる限り、僕たちはモノ(自体)には直接触れることができず、言葉(シニフィアン)によってそれをつかもうともがく以外にない。そうやって、果てのないシニフィアン連鎖が繰り返される。
シニフィアン連鎖——「シニフィアンは、他のシニフィアンに対して主体を代理表象する」——ラカンの有名なテーゼ。シニフィアン(言葉)は必ずしもシニフェ(意味)を表象してるわけじゃない。それは言葉を少しでも話してみれば分かる。言葉を話せばそこには必ず「わたし」という意識が立ち上がっているのが分かる。
言葉は「わたし」を代理表象しているのだ。だから、言葉ではわたしをつかむことなどできない。それでも、言葉はもがき続ける。
そうした言葉がつかもうとしているものこそが「失われた対象」、つまり「奥行き」ではないかと感じている。
その感覚からすると、奥行きにはさまった幅はシニフィアン(言葉)と頑なに結合しているように見える。おそらく、言葉がにじませている意味(シニフェ)とは、真の奥行きに送り返されゆく言葉が垣間みる主体の痕跡、残像のようなものだろう。
こうして、「言葉」と「意味」という二つの痕跡を巡って、グルグルと周回を続けているのが人間の意識というものだと思う。OCOT情報はこのメカニズムをクールにひとことで「調整」と呼ぶ。実にふざけたヤツだ(笑)
人間の過剰なおしゃべりが終焉を迎える時期が近づいている——ヤツはそれを伝えにきたのだと思う。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ラカン, 奥行き