1月 7 2019
年始のごあいさつに代えて——真実のコペルニクス的転回を!!
新年明けましておめでとうございます。
今年も「奥行き」の開花のためにヌーソロジーは驀進します。
なにとぞ宜しくお願いいたします。
ということで・・・少しだけ、ヌーソロジーによる正月談義を。
正月になるとみんな「おめでとう」と口癖のように言う。しかし、一体何がおめでたいのか。日本人の九割がたはたぶんその理由を知らない。なかには「それは歳神という来訪神が訪れるからさ。歳神の大ボスは大国主とも言われていてね・・・」と得意げに正月に関するウンチクをたれる人がいるかもしれない。
でも、そういう人でも、「じゃあ、その来訪神って何よ?」と聞かれたら、たぶんだまりこんでしまう。結局、古代の知識とは言うものの、大方は言葉だけで、その実質についてはほとんどが忘れ去られている。
そこで、OCOTだったらこの「歳神」に関してどういうコメントを出すだろうか。ちょっと想像してみよう(笑)。
「歳神」とは、地球における月と太陽の等化の位置です。この位置が地球に顕在化することによって、人間の意識は付帯質の外面から付帯質の内面へと反転を起こします。「歳神」は、今はまだ調整の段階で現れるだけで、顕在化は起こっていません。顕在化を起こすものをは「大歳神」と呼ばれます・・・みたいな(笑)
さて、解説しておこう。
意外に思われるかもしれないが、OCOTのいう「歳神」はマヤ暦とリンクしている。マヤンカレンダーで有名なホセ・アグエイアスが紹介している暦に「13の月の暦」というのがある。この暦は28日 × 13 ヶ月 + 1日 = 365日で構成されているのだけど、 アグエイアスはこの余りの「一日」を「時間を外した日」と呼んで、神聖な日として解釈している。時間が外れるわけだから、その一日だけ「永遠の今」が訪れるってことなんだろう。そして、この「永遠の今」を体験させてくれる時(とき)の神こそが、到来しては人知らぬ間に過ぎ去っていく来訪神でもあるわけだ。調整の段階に反復してやってくる月と太陽を等化する精神の働き・・・。
OCOTなら、たぶん、この「時間を外した日」の意義を「歳神」と呼ぶんじゃないかと思う。この「一日」において一年(地球の公転)と一日(地球の自転)が等化され、月→地球→太陽という意識の通路が一瞬だけ開く。要はちょっとだけ太陽神ミトラが顔を覗かせるってことだ。
では、一年と一日の等化って何だ? って話になるんだけど、これは西洋オカルティズムで言う「太陽と月の聖なる結婚(ヒエロス・ガモス)」のことだね。太陽は精神の象徴。月は物質の象徴。それらがめでたく結婚するわけだから、これは精神と物質の一致、もしくは統合。そういう意味合いになる。
続けて、OCOTの立ち位置で話すとこんな感じになる。
地球は精神。月は付帯質。太陽とは精神の等化。付帯質の本質が精神の等化に当たります。ですから、月が何かを知るためには太陽が何かを知る必要があります。太陽を知ることによって月が何かが分かるのです。これは精神の等化が物質を作りだしていることと同じ意味です。
実は、こうした地球、月、太陽をめぐる存在の秘密は僕らの意識空間にダイレクトに反映されている。それを具体的に覚醒させようとしているのがヌーソロジーだと考えてほしい。
身体の周囲には物質が散在してる。これを地球を中心とした月の位相の関係に対応させてみよう。
今の人間は地球の位置からさえも脱中心化し、月の位相に自分がいると思っている。これが物質主義だ。グルジェフが言ったように「人間は月に食べられている」わけだ。人間が賢くなれば月に食べられるのを嫌がるはずなのだが、月の支配から出ようとする気配は一向にない。
月の本質は太陽なのだから、この月に太陽の重なりを見よう、と言ってるのがヌーソロジーだと考えるといい。自分の周囲にある物質には、実は精神としての太陽が降り立っている。ただし、月に重なり合っているこの太陽を感じ取るためには意識の反転が必要になる。
月の位相は地球の自転に合わせて出現してくるわけだから、その地球の自転がそのまま公転になるような空間を作り出せば、その中心に太陽が現れてくることになる。これがいつも言ってる「観点の球面化」によって怒ってくる意識の「反転」だね(下図参照)。
そのとき、僕たちは、月(物質)だったところに太陽(精神)が現れるのを見る。別の言い方をするなら、局所的一点に非局所が重なり合ったのが見えてくるってこと。
その意味で、月→地球→太陽という方向性は、そのまま意識の進化のあるべき方向性を表現していると考えるといい。精神に基盤を持った意識にとっては、物質は過去であり、未来は物質を創造していく精神に見えるってこと。そして、その未来に意識を方向付けしているのが太陽なんだね。占星術でも言われるように、まさに月は「既在」としての過去を、太陽は「将来」としての未来を示しているわけだ。
まっ、そんなわけで、ヌーソロジーは世界を一年中、正月にしてやろうと企んでます。
毎日があけましておめでとう。
そんなハッピーな世界の到来を祈って、今年も頑張るよ。
1月 16 2019
【シュタイナー思想とヌーソロジー】ピックアップ解説 2
シュタイナー思想とヌーソロジー本の解説2回目。
我々が時空と呼ぶ領域は、高次宇宙から見ればミクロな空間なのです。そのような意味も含めて、シュタイナーは、「近代以降の自然科学の成果は人間の霊的認識力の回復と共に、いずれ霊的宇宙論と完全に一致してくる」(『神秘学概論』他)と述べています。―p.47
「あなたがたの時空は私たちにとってはミクロすぎて見えません」というOCOTのボヤキを思い出す(笑)
「自然科学の成果は人間の霊的認識力の回復」をもたらすというのは、物質の解明が霊的世界へのポータルを用意するということでもある。OCOT情報も素粒子の描像が人間の意識に高次認識をもたらしてくると言っていたから、このあたりはシュタイナーと全く同じだね。つまり、科学的知識が成熟しないと霊的世界を正しく捉えることはできないってこと。
これは、マクロの高次宇宙は時空の中では見事に裏返されていて、物質として入り込んできているということを意味している。だから、僕らが裏返りの方向へと向かうためには、まずは科学が用意した素粒子の構造を地図に見立て、素粒子自体の認識へと向かわなくてはいけない。そこは人間の意識が営まれているところでもあり、その認識は必然的に自己認識と一致してくることになる。
科学的世界観はいずれグレンと反転して、旧来の情念優位な宗教的知やオカルティズム的知を刷新し、やがては人間精神を美しく開花させていくってことだと思うよ。まさにルシファーライジングの世界。
続いて50ページには次のような内容がある。
●高次宇宙は、私たちのまわりの時空が裏返った形で存在している。高次宇宙においては形態や色彩などの私たちの時空における諸現象が、反転する形で存在している。
●高次宇宙は、私たちの目の前の微小空間に畳み込まれている。
●高次宇宙では時間が空間化している。
●高次宇宙には、私たちの生命や魂の源となる働きが存在している。
●高次宇宙と物質宇宙は、今現在同時に存在しており、高次宇宙(エーテル界、アストラル界、霊界)の全体が相互浸透しながら、物質界に働きかけている。
―p.50
ここに書かれている「高次宇宙では時間が空間化している」という内容が、いつも言ってる「持続空間」のことを指していると考えるといい。私たちの生命や魂の源とは、この持続空間=根源的時間そのもののことであり、そして、宇宙的実体とも呼べるこの持続空間はシュタイナーがエーテル界、アストラル界、霊界と呼ぶようなある種の構造を持っているということ。
ヌーソロジーでは、これらは次のような対応になっている。
物質界・・・付帯質の外面
エーテル界・・・付帯質の内面
アストラル界・・・精神の内面
霊界・・・精神の外面
内面・外面という表現で分かるように、ヌーソロジーにおいては、この四つの世界は幾何学的に美しく秩序づけられて構成されている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, シュタイナー関連 • 0 • Tags: OCOT情報, シュタイナー, シュタイナー思想とヌーソロジー, 素粒子