4月 24 2015
時間の秘密
精神は2段階の進化を持っている。まずはプラスの精神が作られ、その後にマイナスの精神が作られる。これが「2度の覚醒」の意味だ。付帯質の起源は、この2度の覚醒を行った力にある。+1に−1が加わり2つの精神はゼロとして表現されることになる。このゼロが付帯質と呼ばれるものである。
相殺されたゼロ側と相殺した2度の精神の覚醒の間には当然、差異が存在している。この差異が付帯質においては「物質」として出現している。「物質が精神の影だ」というのはそういう意味だと考えるといい。
人間における自己と他者という関係は、一度目の覚醒を生み出そうとするものと、2度目の覚醒を生み出そうとするものとの関係に生まれている。これをOCOT情報は下次元と上次元と呼ぶ。
自己と他者の世界を一般化して一括りに思考している限り、精神が顕在化することはない。そういう状態は「付帯質の止核」と呼ばれている。当然、現在の人間は、自己も他者も同じ人類だなどと言って語っているわけだから、付帯質が止核しているということになる。
精神が覚醒のための調整を行なっている時期と、精神が覚醒していく時期をそれぞれ調整期と覚醒期と呼ぶ。これらの期間は人間の時間尺度でいうなら、それぞれ約6,500年に当たる。つまり、相殺されたゼロの世界が2度の精神の覚醒を経て、自分自身の起源を知るまで26,000年を要するということだ。
しかし、同時にこの26,000年の中には人間の意識に時間を発生させる仕組みも隠されている。26,000年というのは、単に物理的時間をものさしのようにあてがった時間イメージにすぎず、実際の時間構造の上を上滑りしている粗末な概念にすぎない。
時間は調整期においてのみ存在する。覚醒期における時間は「永遠の現在」とも呼んでいいような時間であり、過去の現在、現在の現在、未来の現在がすべて一つの現在として同居している。
人間における現在とは付帯質が生み出しているゼロ状態のようなものであり、そこから意識は、調整のために下次元と上次元のそれぞれの精神の方向に向かって分離している。前者を僕らは「過去」と呼び、後者を「未来」と呼んでいる。過去、現在、未来の間には絶対的な差異があるのだ。
言い換えれば、時間は現在から吹き出して過去と未来という正反対の方向へと分離して生成しているのであって、決して、過去、現在、未来という形で流れているわけではない。
上次元の精神が未来の供給源、下次元の精神が過去の供給源という意味で言うなら、過去とは自己の精神が息づく場所であり、未来とは他者の精神が息づく場所である。自己にとって過去が親密なものであるのに対して、未来が常によそよそしさを持って、未知なものとなっているのもそのためだ。
OCOT情報を解読して分かってきたことは、こうした時間構造に携わっているのが、前次元の覚醒体と前々次元の覚醒体たちだということ。シュタイナーでいうなら、アトランティスとレムリアである。
このような時間の本質性に迫っているのはドゥルーズ哲学だけのように思える。
5月 1 2015
地球と月の密約
ヌーソロジーの基本中の基本の概念に「円心」という概念がある(下図参照)。これは簡単に言えば「円の中心と円周は入れ替えが可能」という概念だ。早い話、意識の反転を象徴したカタチと考えるといい。
二つの円が交差したところにできる部分は、原始キリスト教では「ヴェシカパイシス(魚の浮き袋)」と呼ばれ、キリストが宿るところとされていたらしい。「魚」は人間の霊性の象徴でもあったから、それが、このカタチの力によって水の中から浮き上がってくる、ということなんだろうね。
円心はシュタイナー的にいうなら物質空間とエーテル空間(物質空間が反転したもの)の関係を最もシンプルに形象化した図形と言える。
交差する部分(ヴェシカパイシス)の意味は円心関係が等化されることの意味を表していると考えるといいと思うよ。認識がS側にもa側にも偏らず、両者の対称性を持つことができている意識のカタチの意味だね。
ヌーソロジーの思考は約25年前にこの円心からスタートを切ったんだよね。
今、対象の位置をS、自分の身体の位置をaとして、この円心関係を見てみよう(下図参照)。おそらく、誰もが簡単にこの円心のイメージを作れるに違いない。しかし、「もし簡単にイメージできたとするなら」、おそらく、君の円心概念は大きな誤りを犯している。。
点Sに無数の対象が重なって見えているかい?
というのも、点aから見た円周上には無数の対象が見えているはずだから、その円周が中心点化した点Sにおいては無数の対象が重畳して存在してないといけない。そう見えたとき、君はキリストの何たるかが分かってくるはずだよ。
ちなみに、ヌーソロジーでは円S(左側の円)を「位置の等化」、円a(右側の円)を「位置の中和」と呼んでる。中和側が人間の意識なので、円aはすぐにイメージできるのだけど、円Sは等化側なので無意識化しているんだよね。だから、それを浮上させるのが難しい。。
それが浮上してくると、今まで物質と呼ばれていた対象は「もの」へと変身するよ。古代の日本人たちが感じ取っていた「もの」。月に向かって「もの」思いに耽って、「もの」悲しい表情をしていた、あのかぐや姫の「もの」語りを思い出そう。
自分の身体の自転が同時に対象の周りの公転に見えたとき、ほんとうの「もの」が浮上してくる。ラカンでいうなら、これがS=エス(無意識の主体)の位置だね。aは想像的自我の位置と考えていいかな。
この円心関係がダイレクトに物質世界に投影されているのが、地球に対する月の自転と公転と考えるといいよ。「次元が構成されている」ということ。
地球がS、月がaだね。月は自らの自転と公転を等化しているということ。つまり、エス(無意識の主体)を知っている。
もちろん、この関係は、今度は太陽系へと展開されていくのだけど。。
天体たちは、ただ、むやみやたらに土塊として回っているんじゃないよ。それらの本質は僕ら人間の内在性の中にある精神の次元の連動性を表現しているんだ。もうすぐ、それが見えてくるよ。「もの」の時代がやってくる。。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ラカン, 円心