3月 11 2016
中沢新一氏の新構造主義
この記事はとてもいいですね。中沢新一氏の広範にわたる横断的思考がよくまとめられています。ヌーソロジーがやろうとしていることとも関連が深いので参考資料に是非、一読を。
霊性について、理系、文系双方の学知から総合し、一貫して研究し続けている学者さんって、日本じゃ、中沢さんぐらいしかいないんじゃなかろうか。。寂しい限りです。
「野生の科学、あるいは新構造主義の時代」
ほう、新構造主義というのか。そんな言葉は知らんかったぞい(笑)。
ヌーソロジーも確実に新構造主義の仲間だと思うが、先を行き過ぎて、「イっちゃってる系」に見られているんだろうなぁ。
しょうがないね(笑)
3月 15 2016
黄金比のフロー
黄金比とは内分比と外分比を等しくする比率のことをいう。これを単なる物質空間の線分で考えても、その秘密は分からない。黄金比のイデアとは何なのか。それが問題だ。
神聖幾何学の伝統では、黄金比とは神が宇宙を創造するときに用いた比率とされる。神を一なるものとするなら、最初の分化に用いた比が黄金比だったというわけだ。これが1:1といったような均等な分割だったなら宇宙は生まれなかっただろう。均等は動きを消し世界を死滅させる。
真のバランスとは絶えず差異を孕みながら流動していく中にしか生まれない。黄金比とはそのジェネレーターのようなものなのだ。
ラカンはこの黄金比の中に本来あるべき自己と他者の関係を見た。すなわち、y/x=x/(x+y)。「わたし=xから見たあなた=yが、わたしとあなた(x+y)から見たわたし(x)と相等しくなる」ようなとき、そこに黄金比が生じるのだと。
わたしとあなたが一つになった視線とは超越者の視線であり、それは神の視線と言い換えてもいい。わたしのあなたに対する眼差しが、神のわたしに対する眼差しと同じものとなったとき、そこに黄金比が現れる。それは、わたし自身が神になることに他ならない。
ラカンはその場所を現実界と呼び、この現実界は「不可能なもの」だという。そして、人間はこの「不可能なもの」を対象a(幻想)に代理させ、そこで意味と欲望と夢を稼働させていく。
不可能なものはいつまで経ってもやってこない。達成された欲望は着古した衣服のように何枚も何枚も記憶の地層に積み重ねられ、目覚めることのない夢が永遠に続く。
果たしてこれは本当か―。
ラカンのこの黄金比の解釈を一体どれほどの人が理解しているだろう?一体、わたしから見たあなたとは何なのか?わたしとあなたとは何なのか?そして、そこからわたしを見る、とはどういうことなのか?そして、それはコーラ(容器)としてのプラトン立体とどのように関係しているのか。
少なくとも二つだけ確実に言えることがある。それは、わたしとあなたは均等に分割されたものではないということ。均等に分割されたわたしとあなたのような関係は、1:1の分割のように宇宙を死へとしか導かず、そのような関係の間には愛は成立しないということ。
そして、もう一つ。愛は決して二つのものが一つになるといったスタティックな力として働いているのではなく、流動するフローとしてあるということ。五芒星が作り出すあの黄金螺旋が描く無限の渦のように。
だから、現実界は不可能なものではない。それは必ず開く。フローの愛の名のもとに。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: プラトン立体, ラカン, 黄金比