3月 29 2016
大阪ヌースレクチャー最終回レポート後半
スタッフのO君が前回に引き続き『第6回大阪ヌースレクチャー』の内容をレポートしてくれています。よかったらどうぞ。
後半は映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』からテーマ曲でもある「愛の起源」を紹介しました。歌詞はこんな感じ。
愛の起源(THE ORIGIN OF LOVE)
地球がまだ平らで
雲は火でできていて
山が空に向かって背伸びして
ときには空よりも高かったころ
人間は地球をゴロゴロと
大きな樽みたいに転がってた
見れば腕が二組と
脚も二組あって
大きな頭には顔も二つ
付いていて
それであたりが全部見渡せて
本を読みつつ話もできて
そして愛については無知だった
愛がまだできる以前のこと
愛の起源
そしてそのころ性別は三つ
ひとつは男が二人
背中と背中でくっついたやつ
そいつらの名前は太陽の子たち
それと同んなじ形して
地球の子らというのもいたの
見た目は二人の女の子
それが一つになったもの
それから月の子供たち
ちょうどスプーンに挿したフォークみたいで
はんぶん太陽はんぶん地球
はんぶん娘ではんぶん息子
それから、この歌詞のもととなったプラトンの『饗宴』の内容を話しました。そこから話は地球、月、太陽の関係へ——。
O君のここでのレポートはそこからの話を繋いでいます。
ベテランヌーシストの人たちは以前、レクチャーなどでも紹介したので知っていると思いますが、まだ知らない人のために一応、紹介しておきますね。
[youtube id=”_zU3U7E1Odc” align=”center”]
4月 1 2016
君の魂のカタチについて・・・Into the ether
3次元射影空間のカタチについて紹介しておきます(下図参照)。
これは「観点の球面化」が意識に達成されたときに見えてくるカタチです。最初の内なる火(霊)である正四面体を生み出す卵のようなものと考えるといいでしょう。
**********************************************************
3次元射影空間のカタチは、おそらくカタカムナ人たちが「アマウツルマリ」と呼んでいたものだろう。これは奥行きに持続を見たときの宇宙球そのものと考えていいが、それは宇宙全体を包むものであると同時に、目の前の一つの物体に重なって在る。
この重なりが見えてくると、一つの対象に対する知覚がわたしの心の全記憶とともに成り立っているということが、カタチそのものの認識の中で分かってくる。これがアマウツルマリが「アマヤドルマリ」でもある所以だ。ここに「もの」の知覚が訪れる。
記憶という記憶がすべて脱性化されてしまった干からびた対象としての物体ではなく、生きる持続とともに活動する生ける物体。それが古来より日本人が「もの」と呼んできたものだ。だから、それは当然、泣き、笑い、悲しみ、喜ぶ。主客未分離とはこのような空間の二重化の上で成り立っている。
こうした「もの」の知覚を行っている視線がミショーのいう「死の線」だろう。この「死の線」は他者たちが作る複数の「死の線」と「もの」の場所で出会い、そこで回転し、次なるマリであるトキトコロノマリを作り出す。そのとき非局所は局所へと無数の分身を送り出す。
トキノマリとは陽子のこと。トコロノマリとは中性子のこと。呼び名は変わっても、それらは人間の死の向こうで永遠に生きている。自己と他者がそれぞれの死の向こうにトキノマリとトコロノマリを見出し、永遠の我と汝へと変身できたとき、彼らは太陽の住人となってこの世界に舞い降りるだろう。
そのとき、地上のあらゆる物体に太陽が宿る。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, カタカムナ関連 • 0 • Tags: カタカムナ