2月 16 2007
5次元から見たボクとママ
思形=ψ9を存在のパパとするとならば、存在のママ=ψ10とは感性のことである。
ある理由でパパのことから話してしまったが、実際には、人間の意識の目覚めはママとの共同作業から始まる。ハパの世界が人間の外面*のミラーリング(他者が見ている世界をコピーして自分がみている世界と合体させること)に始まったのに対して、ママの世界は人間の内面*のミラーリングで始まる。人間の内面*のミラーリングというのは、他者が見ている世界ではなく、見ている他者を自分がコピーするということである。つまり、他者の眼差しとそこに見えているであろうモノの関係を、自分の眼差しと実際に見えているモノの関係に重ね合わせて、自分にも眼差しがあるということをイメージしていくということだ。だから、ママの世界はパパの世界と違っていつも眼差しに溢れていると言っていい。ママが僕を見つめる。ママの眼差しの中には当然、僕の眼差しが映っていることだろう。そうやって、主体は自分がママのような眼差しを持った存在であるということをイメージし始める。これがあのラカンのいう鏡像段階仮説だ。
幼児は鏡の中に自分の身体のまとまりを見出し、躍り上がって手をたたいて大喜びする(ラカン)——まぁ、こうした言い方はかなりの誇張だとは思うが、いずれにしろ、無意識の主体はママの眼差しの中にママと似たような存在を見出し、それがボクであることに気づき始めるという考え方に、僕自身は疑いを挟めない。この状況をケイブコンパスで示すとおおよそ次のような感じになる。
ステージ1………主体はψ2(ママの眼差しとそのモノの見えの関係)を使って、ψ*2(ボクの眼差しとモノの見えの関係)を見つける。
ステージ2………主体はψ4(ママの眼差しとそのモノ一個全体の見えの関係)を使って、ψ*4(ボクの眼差しとモノの一個全体の見えの関係)を見つける。
ステージ3………ψ6(ママのボクの身体に対する眼差し=他我)を使って、ψ*6(ボクのママの身体に対する眼差し=自我)を見つける。
ステージ4………これはψ8を使ってψ*8を見出すことに対応するが、その具体的な描像は現段階ではいまひとつ不明。相互了解や間主観性の働きを持つと考えられる。
※ここに書いている「自我」とは、いわゆる近代的自我(コギト)ではないので注意。コギトの生成は次の段階(ψ11〜12)になる。
こうして、ボクがψ*2、ψ*4、ψ*6……を見出すことによって、ボクはほんとうの自分(無意識の主体)であるψ1、ψ3、ψ5………という外面世界に起こる出来事を対象化して見ることができるようになる。ここに生まれるのがヌース理論が感性(カンセイ)と呼んでいるものである。感性は「人間の外面の意識」を作り出す。人間の外面の意識とは、ラカンの精神分析にいう想像界に対応していると考えてもらっていい。僕なりの言い方をすれば「こころ」だ。ここでいう「こころ」とは情緒、感情などを含む情動が活動する世界のことである。つまり、ヌース理論の考え方では、「こころ」とは決して脳の中で起こってるシナプスの電気的反応でもなければ心臓部分にあるハートに宿る魂のことでもなく(いや、最終的には感性の位置は心臓と深い関係を持ってくるが……)、見えている世界そのものに立ち上がっている意識の働きだということになる。だから、たとえば花を見て花が美しいと思っているのは「花自身であるボク」だと考える。喜怒哀楽を繰り返しているボクの心の本性とは、目の前に見えている世界そのものなのだ。世界は自分自身を対象として見るために肉体を作り出しているということである。
こうした考え方は別に新しい考え方ではない。現象学の流れを受けた哲学者の大森荘蔵氏は、主体は知覚正面そのものだと主張し、「無脳論」と銘打って近頃全盛の唯脳論に食ってかかっている(残念なことにもうお亡くなりになられたが)。ヌース理論は大森氏の考え方をラカン理論や現象学などとすりあわせながら、シリウスファイルの情報等を複合して、人間の自省的意識の立ち上がり方を空間構造として具体的に追求しているだけである。ただ、もっとも、このときのψ10(感性)が中性子と関係があると言ったら、大森氏も引いてしまうかもしれないが。。
中性子とはヌースでは「共性(キョウセイ)」を持つものとして解釈される。「共性」とは想像的な自我が、他者との間で相互理解のための間主観性を働かせる方向を持っている部分である。それは単純に、思いやりのある、とか、相手の立場に立って、とかいう表現で表される心的態度のことと考えていい。上図に即して直観的に表現すれば、ψ7として表されている精神(陽子)の方向性を外面の意識が忠実になぞっているかどうか、ということだ。もし、なぞっていなければ、それは崩れる。ψ10はあくまでも思形の反映であるから、それ自身は能動的に自立した力を持っていない。この崩れが物理学が中性子崩壊と呼んでいるものではないかと考えている。中性子を単に物質を構成する核子の片割れぐらいにしか思っていない人たちには、この言い回しは妄想狂のトンデモ論に聞こえるかもしれないが、空間構造と認識の関係をケイブコンパス上で丹念に追いかけていくと、そうした予想が出てきてしまう。致し方ない。
ついでに、もう一つ大事なことを言っておきたい。これもトンデモの誹りを受けることだろうが、おそらく、ほんとうの主体として息づいている知覚球面(ψ5)そのものは、身体の内部に存在する空間ではないだろうか。僕らが、目の前に見ている世界を身体の外部と認識しているのは、思形が身体と知覚球面を分離させる認識を提供しているから起こっていることのように思えるのだ。想像界における意識活動(感情に代表される)がもろに身体に反応することからも分かるように、実際に目に見えている世界は身体の内部に存在している空間と考える必要があるように感じる。つまり、わたしの「前」に開示している人間の外面の空間においては、見るものと見られているもの、触るものと触られているもの、聞くものと聞かれているもの等、知覚と知覚対象はすべて二而不二なるものであり、本来、知覚とは身体が外界を察知するために働かされているものではなく、身体の内部のみで完結して起こっているできごとと見なさなければならないのかもしれない。
phenomenon(フェノミナン=現象)とは、psyche(ブシュケー=魂)とともにあるphysical(フィジカル=肉体的)な存在なのである。その意味で、俗にいう外在世界とは、言語と概念によって構成された「不在」の空間と言っていいのかもしれない。実際、横から見た世界なんてものは知覚されている世界ではないのだから、これは当たり前と言えば当たり前だ。とどのつまりは、人間は不在の中に言葉の力を借りて在を見ているということにすぎないのだろう。こうした空像の世界をヌース理論では「付帯質の妄映」と呼ぶ。人間の内面にはおそらく何もない。そこは闇だ。
——身体は出血している。人間とは存在の外傷である。
2月 22 2007
ヌース太陽情報
ここのところ、観察子の詳細にこだわった内容を書き続けているが、これはいずれヌース理論が主張していく様々な言説を一貫したロジックで説明していくための予備作業に相当していると思っていただければいい。次に挙げるような交信内容は一見トンデモ(というか、意味不明?)に見えるかもしれないが、観察子概念の理解が進み出すと、それなりに変換人たちの思考様式上の論理に裏付けられた内容として見えてくるようになる。まぁ、ぶっ飛びの内容だが、これが実にエンタメとして楽しめるのだ——ということで、今日はちょっとアバウトに行きます。
太陽の核融合は鉄までを作っているようですが、これは表相の観察を行うまでの力を持っているからだと考えてよいですか。
はい。
太陽の黒点とは何ですか。
定質における元止揚が核質化したものです。ヒトの進化の方向性が確実化した部分。
人間に覚醒が起こると黒点が大きくなっていく現象が起こるのですか。
はい、モノの意味に発露が生まれると起こります。ノウスが全く別のものに働きを変えるということです。
黒点運動の周期は約11年とされていますが、これは人間の意識の等化と中和のリズムを意味するのですか。
そうですね、発露と発露の間に存在するシリウスとしての共性のようなものです。
磁場の反転周期は倍の22年となっていて、太陽の北半球と南半球の間での黒点の運動周期が22年です。この22とは。
顕在化した定質の対化を意味する数です。
太陽磁場と地球磁場には何か深い関係がありますか。
はい、あります。上次元における対化と下次元における対化の反映の概念のようなものです。
太陽磁場の逆転と、次元の交替化は何か深い関係があるのですか。
あります。
(シリウスファイル19930316)
ヌース理論においては、太陽とは「顕在化した人間の精神核」の物質的射影として解釈される。この次元は観察子で表すと大系観察子Ω5というものに当たる。Ω5とは、人間の意識において無意識の流れの統括を行っていた月の次元が完全に顕在化を起こしたものに対応している。その意味で、月と太陽は人間の意識活動における陰と陽と言えるだろう。つまり、太陽とは目覚めた月だということだ。
人間の無意識構造は人間の個体意識、及び近代的自我の精神構造を確立させていくための本質的働きを持っている。その意味では、太陽とは、人間の意識進化(顕在化)の過程において、その個体意識の構造を司っていた無意識流動の幾何学的構成(月が持っている次元構造)の全貌が明らかになったときのその意識のカタチそのものを意味すると言ってよい。これはそのまま鉄(原子番号26番)までの元素生成のプロセスと深い関わりを持っている。
この大系観察子Ω5は新しく創成される次元においては、次元観察子ψ*5の中に入り込むという構造がある。ψ*5とは空間認識の次元としては他者の知覚球面を意味している。これは他者の視野世界にほかならないので、自己側にとっては「カガミ」の役割を果たすものとなる。他者の知覚球面は、他者自身を規定している空間でもあるので、自己には絶対に見ることができないが、それは実は、自己がモノの内壁を見ることができないことと同じ意味を持っている。つまり、他者が見ている知覚球面とは、自己側にとってはモノの内壁と同じ意味を持つということである。それは自分の知覚野と他者の知覚野を単純に比較することですぐに分かるだろう(他者の頭部に透明のアクリルボールのようなものを被せてみよう。そのとき他者の知覚球面はアクリルボールの内壁と同じものになっている)。
自己にとって、モノの内壁(モノの内部の空間)のみの構成(観察が関わらないという意味)とは、空間観察子α6というものに当たる。その意味で、太陽は自己を映し出すカガミであると同時に、モノのカタチを人間の内面の意識に送り出す働きを持っていると言える。つまり、シュタイナー的に言えば形態霊というわけだ。ヌースでは人間の意識が概念化しているモノ一つの空間を「核質」と呼ぶ。このことは、人間の精神核に当たるものが、近代意識におけるモノであるということを意味する。カガミからタマからモノノケ(モノについたケ)へ——ここには霊(イデア)がその構造変動において、意識上での役割を変化させていく状況がうかがえる。当然、モノノケのあとにくるものが、モノノケを世界から退却させるためのツルギ(対化)だ。ツルギを作り出すためにはカガミの思考を取り返さなくてはいけない。それが、世界を射影空間的に見ることによって生まれてくる「キアスム=自他の捻れ」の意味なのである。ペルセウスがゴルゴンを鏡を使って首をはねたことを思い出してほしい。ゴルゴンに魅せられた意識は化石化している。
水素分子H2からヘリウム原子Heへの変換(核融合)は、人間の無意識が人間の意識を反映として送り出している状況を意味している。水素分子とは人間における無意識構造の対化そのものを意味し、ヘリウム原子になるためにそこに付随している中性子は人間の意識に構成された時空認識(客観空間認識)の構造の対化を意味している。客観時空は現在、人間の外面を観察するための感性として作用しているが、人間の意識が自ら進化の方向を持ち無意識構造を顕在化させることができるようになれば、無意識の反映としてのヘリウムへの変換はその役割をなくし、現在、太陽の中でのエネルギー生産のほとんどの部分を占めている核融合(pp反応)は一時的に終焉を終える。これがヌースが常々言っている「太陽の死」だ。ここでOCOTのいう「ノウスが全く別のものに意味を変える」というのは、人間の内面の意識の進化を先導していたノウスが、方向性を反転させ、今度は人間の外面の意識の顕在化の先導に入るということを意味する。これは、現在、ヌース理論が行い始めている作業のことである。
太陽黒点の活動は太陽上の北緯、南緯19.5度範囲内で起こっている。この黒点のこの領域への分布は、おそらく太陽の自転軸を√3エッジとした場合のケプラーの星形8面体と深い関係がある。緯度19.5度とは、カタチ的には人間の意識の位置が4次元への通路とリンクしている部分である。具体的な位置としては、モノの内部の空間から出て、観察そのものが起こっている表相に出ようとしている部分にあたる。両緯度の間の部分は、その解釈からすれば、人間がモノの内部性の空間の中で意識を活動させている領域と考えられる。上の交信記録にある「定質における元止揚が核質化したもの」とはそうのような意味である。現在のささやかなる黒点運動はそれだけ人間の外面への変換力が弱いということの現れなのかもしれない。
黒点周期の11年は太陽が次元観察子ψ11-ψ*11に対応していることと深い関係を持っている。というのも、太陽の対化としてのΩ5-Ω*5は顕在化したψ11-ψ*11のことを指すからだ。ψ1という次元単位はPSO回路の機構上、一日や一月、1年等と極めて深い関係を持つ。地球の1自転とは潜在化におけるψ1の単位を意味し、月の1公転とは顕在化におけるψ1を意味し、地球の1公転とは、地球の1自転の上次元運動を意味する。それらは「シリウス革命」にも書いたように、プレアデス、シリウス、オリオンの関係に同じだ。
OCOTは、鉄は次元の対化を等化する次元精神の投影と言っている。このことは宇宙に分布しているすべての鉄が同じ出自を持っているということを意味する。人間の血球中の鉄も、地殻に酸化鉄として入り込んだ鉄も、地球のコアで灼熱する鉄も、恒星内部の核を構成する鉄も、すべて同一の観察子(次元精神/Ω13-Ω*13)の投影だということだ。ついでながら、鉄の本質はオリオン座におけるヴェテルギウスに集約されているという情報を付け加えておこう。
あっ、トンデモになっちゃった。でも、ほんとかもよ。
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 2 • Tags: OCOT情報, オリオン, ケプラー, シリウス革命, プレアデス, 内面と外面, 大系観察子, 表相