2月 3 2021
ヌーソロジーが見ている「ある」「いる」「なる」の関係
素粒子というのは、対象として見ようとするから、あたかもミクロの世界にあるようにイメージされているだけで、本当は時空全体に重なるようにして存在しているものなんだよ。だって、奥行きってそういうものでしょ。ねぇ。
となると、見方を変えるなら、素粒子(奥行き側)から時空ができているって考えることもできるわけだよ。ヌーソロジーはそういう認識を作り始めているわけ。
奥行きは僕らの内在(持続)の場所だといつも言ってるわけだよね。ならば、もし、この奥行きとしての持続側から時間と空間が生まれている現場が意識に見えてきたら、外の世界なんてものは消えるだろ。
主観性の原理というのは世界を時間と空間の中で対象化するところに生まれているわけだから、この原理を乗り越えるためには、別の原理を対抗させるしかなく、この別の原理というのが、このように時間と空間を自分自身の内に見る生成の原理というものなんだよ。
この生成の原理の世界では、見るものと対象はもう分離することが不可能になる。それが「なる」の世界なんだ。
本当はこの「なる」の世界が”宇宙(存在)”と呼ばれるべきものなんだけど、僕らはどういうわけか視点を他者側にそっくりそのままひっくり返して宇宙を幅で見ちゃっているので、「なる」の世界が「ある(物質)」の世界に凝結してしまっている。
僕らがこの「ある」の全面的な専制になかなか馴染めないのも、「なる」の世界側からの呼び戻しの声が一人一人の心の中に響いているからだと思うよ。その声をしかと聞いているからこそ、僕らは「人間が世界に”ある”」とは言わず、「人間は世界に”いる”」と言うんだね。
「いる」ものの世界が「なる」ものの世界へと開く時代がやってきている。多くの人が奥行きに自分の心を感じ始めれば、「なる」の季節の到来はあっという間だと思うけどね。
ヌーソロジーでいうところの「ある」「いる」「なる」の関係、少しは伝わっただろうか。。
2月 18 2021
スターゲートに入ると、本当の宇宙がどういうものかが見えてくる
2019年ヌースレクチャー最後のテーマとなった題材はご存知「2001年宇宙の旅」。SF映画の最高傑作とも言われている作品だ。
話のポイントは、この作品に登場してくるモノリスという謎の物体の正体について。
たぶん、このモノリス の意味について、ヌーソロジーのような解釈をしている人は、世界中どこにもいないと思う。
モノリスが高次元存在による人類を進化させていくための誘導装置みたいなもの、ということは多くの人たちが言ってることだけど、それって一体、具体的に何なのよ??ということについては一向に語られない。
原作者のクラークやキューブリックも、そんなところまでは踏み込んでない。
映画の最後の方のシーンで、主人公のボーマン船長がモノリスの内部に入っていくシーンがある。
別名「スターゲート」と呼ばれるこのシーン。約10分ほど訳のわからない映像が畳み掛けてくる。公開当初はあまりに前衛的で難解なために、非難轟々だったとも言われてる。
ヌーソロジーはこのスターゲートに「奥行き」の覚醒を重ねて見ている。
実際、スターゲートのシーンのカメラアングルは、奥行きのパースペクティブのみだ。
ボーマンの主観の中だけで展開されていく。
以前、Raimuくんが紹介してくれていたように、キューブリックの作品はワンポイントパースペクティブ(一点透視)を使ったシーンが多いのだけど、「2001年」のスターゲートシーンのそれは、なぜキューブリックが一点透視を好んだのかを、キューブリック自身が無意識のうちに探って行ったような表現になっている。
自分の人生を振り返れば、すぐにわかることだけど、人間一人一人が各々生きている世界というのは、まさに、この一点透視の奥行きの中だ。
その意味で、人間は最初からスターゲートに位置づけられている存在だと言える。僕らは全員が星々からの使者なのであり、いずれは星へと帰還する。
このスターゲートの内部には一体何があるのか。
そこに入っていくのがヌーソロジー。
あっと驚く世界がそこには待ってる。
それは本当の宇宙とも言っていい。
※半田広宣メールマガジン「AQUA FLAT」より転載
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 09_映画・テレビ • 0 • Tags: 2001年宇宙の旅, 奥行き