7月 15 2022
【武蔵野学院大学ヌーソロジー研究所】研究動画シリーズ#009
「主観空間と客観空間の間における存在論的差異について」というタイトルでの研究発表です。
<補足として>
今回の研究所の研究動画で取り上げた、客観空間と主観空間との間の本質的な違いというヤツ、少しは皆さんにも伝わっただろうか。
私たちは普段、外の世界を見ていると思っているが、見えている世界は実は外ではなかった、という気づき。
この気づきがないことには、ヌーソロジーの思考はスタートを切ることができない。
「見えている世界は外」というのは私たちの常識でもあるから、ヌーソロジーのこうした主張に、それだけで思考停止状態に陥ってしまう人たちも多いのではないかと思う。
それだけ、私たちは外の世界、つまり、客観世界に根を張って、自分の認識する世界を組み上げているということだ。
そのような世界の認識の仕方を一度エポケー(判断停止)して下さい、ということ。この辺りはフッサールの現象学に似ている。
ただ、ヌーソロジーが現象学と根本的に違うところは、自分の3次元的な位置さえもエポケーするところ。
客観世界をエポケーするのであるから、3次元空間上の自分の目は存在しないも同然となることが分かる。というのも、3次元上にある自分の目は、三人称視点によって捉えられている物であるから。一人称視点では、ドゥルーズがいうように「眼とはスクリーン」となって現れていて、客観的な3次元の位置にいる「自分」という存在は消えてしまう。
それによって、現象の現前は、大森の言うように、不動の知覚正面としての”4次元的位置”へと変わるということ。
この位置の移動によって、客観世界としての4次元時空に対して、主観世界としての4次元空間(虚時間世界)というものが立ち上がり、動画でも紹介したように、そこに”存在論的差異”があることが了解されてくる。
ヌーソロジーでは、そこから、量子論との接合が始まっていくという筋書き。
その意味で、大森が直観した「面体分岐」の面と体の分岐とは、立方体の「体」と、その一つの「面」との分岐ではなく、3次元空間としての「体」と、知覚正面としての「面」との分岐として考えないといけない。
哲学をやっている人でも、この辺りの大森の真意を理解している人は少ないように思える。
つまり、私たちが、物の手前に感じ取っている自分の位置とは、本当は3次元的な手前ではなく、4次元的な手前になっているということなんだね。
とにかく、見られているものの空間と見ているものの空間を3次元と4次元に分離させて考えることが必要だと思うよ。
その視点を獲得し、そこから4次元の思考が始まると、空間の見え方や物質の見え方も、大きく様変わりしてくる。
見えている世界は同じなんだけど、見え方がまったく変わるのね。
それはそれは、本当に素晴らしい世界。
7月 21 2022
ヌーソロジー研究所の野望
現在の私たちの空間認識の歪みによる主な症状BIG3
1.宇宙は物質でできているという思い込み
2.私とはこの肉体であるという思い込み
3.死ねばすべてが消え去るという思い込み
これらは間違いなく一過性の症状。治療が必要。
これらの症状の発生源は私たちが客観空間を先行させていることにある。主観はそこでは単なる従属物になってしまっている。しかし、「意識のハードプロブレム」からもわかるように、客観空間から主観空間に行くことはできない。言い換えるなら、物質から意識が生まれることは原理的にありえないということ。だから本当は、主観から客観の構成へと向かう道筋が正常。フッサールの現象学がそれに挑んだのだけど、未だ道半ば。
現象学の残念なところは、客観空間のイメージを引きずったまま主観について考えてしまったこと。キネステーゼ(運動感覚)なんかはその代表例。そのために、物の超越論的構成に入ることができなかった。物の生成が込みでないと、客観空間の先構成的な場に入ることはできない。
何が問題だったのか——要は主観空間に4次元(持続空間)の要素を見て取れなかったこと。これに尽きると思う。
4次元の位置から還元を行えば、私たちは物質とともに現出してくる客観空間の先構成的な場へと出ることができる。というのも、物質の根底的な場自体が4次元で成り立っているから。
この4次元空間を通した還元によって初めて、外なる客観世界は、内なる主観世界から生成された場所となり、見るものと見られるものの分離のない、本来の正常な世界へと戻ることができる。
「主観空間に4次元の要素を見る」とは、主観空間をモニターとして見るということだよ。主体を3次元から出さないとダメ。
この4次元的な現象学的還元のルートを補完してくれているのが、量子力学に見られるミクロ世界の空間構造。全部つながっているんだね。また、そのように考えるのがヌーソロジー。
今から、ヌーソロジー研究所発の研究動画では、この方向を通して見た世界の様相に関する論説がガンガン登場してくると思うよ。最初はフィクションのように聞こえるかもしれないけど、その風景がどんどん鮮明になってくれば、もはや誰も疑えないという状況になってくるかもしれないね。10年後ぐらいにはそうしたいなぁ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: フッサール, 量子力学