10月 21 2016
一つ目の巨人を金星の少女のもとへと導いていくこと
OCOT情報のいう「付帯質の外面」次元と「付帯質の内面」次元というのは、外延世界と内包世界に翻訳できるね。時空と持続空間の関係と言ってもいいと思うよ。空間を幅で覆うと時空、奥行きで覆うと持続空間だから「付帯質の外面」次元は外在空間、「付帯質の内面」次元は内在空間ということになる。
付帯質の内面と外面という言葉の使い方からも分かるように、この2つは高次元から見ると単に反転しているだけなんだよね。つまり、時空を幅ではなく奥行きの空間で構成していくと、必然的に反転したものへと翻訳されていく。それが、時空からは素粒子の構造となって観察されているってことなんだ。
たとえば、外の世界には無数の3次元の直交座標を取れるよね。これが反転するとその無数性がすべて一点に重なって非局所的なものになる。これが持続空間のあり方で、それは意識にとっては「記憶」として働いている。このとき、直交座標の1本は奥行きになっているわけだから、それは当然、幅の世界の中では縮んでいる。時空の中では反転した時空は結局、無数の座標系が重なり合った小さな球体として見えるってことだね。
それを物理学者たちはクォークだの、電子だのと呼ぶ。そういう仕組みになっているんだ。
物理学者たちは、それらを「時空の中を動くもの」として考えているものだから話が余計ややこしくなっちゃう。物理学の数式が込み入って面倒くさいものになっているのも、この反転が見えていないからだと思うといいよ。幅の同一性の中に差異としての奥行き世界を囲って思考しているんだね。理性の悪いクセだよ。
そして、こうした理性の横暴が素粒子を人間とは全く関係ないものへと仕立て上げ、137億年前にビッグバンが起こったとか、宇宙の始まり最初の何秒とか、ありもしない話をデッチあげてくる。そして、それを多くの人が信じ込んで、ありもしない宇宙像の中に生きている、ってことになってる。
科学的宇宙像(物質的唯物論や素朴実在論)はすべて茶番。狂ってる。正気じゃないんだよ。そろそろ、正面切ってそういうことを言う人たちが現れてこないと、世界は持続(霊性)を失い死滅するね。確実に。
というところで、アカツキだぁ~!!(笑)
幾千もの夜を超えて
生き続ける愛があるから
この身体が滅びるまで
命が消えるまで
守りつづけてゆく
BABYMETAL「紅月」より
下映像はX Japanとのコラボ。っていうのはウソ(笑)
12月 4 2017
ヌースの量子解釈からイメージされる21世紀の思考のテーマ
今度(12/9)のヌースアトリウムの資料作りをしないといけなくなってきた。お題は「SU(2)の描像について」。
今回はシュタイナー研究者である福田氏の講演の前座で持ち時間が2時間ほど。なかなか厄介なテーマなので、組み立てに苦しんでる。数学的な詳しい解説は翌日曜日のΦさんのレクチャーでいろいろとあるだろうから、あくまでも、こちらはヌーソロジーからの切り込み。
しかし、初めての参加者も多いので、バランスを取るのがチョー難しい。
さて、どういう構成にするか、かなり迷うところ。いずれにしろ、素粒子と観察子相互の関係が話の重点になると思うので、ヘキサチューブルのモデルに沿って、ヌーソロジーの概念と並行させながら、SU(2)に接近していくのがベストかな(下図参照)。
SU(2)の背景は、ΦさんやSさんなど物理学の研究者たちもいつも言ってるように奥が深い。シュタヌー本でも、その奥深さを指定のページ数の中では語れそうになかったので、深入りはしなかった。まぁ、まだ本に書けるほどこちらの理解が深まっていないということもあるが。
SU(2)の奥深さの本質。それは、自他関係が虚(奥行き=自己)と実(幅=他者)としてしか現象化しない、というところにある。だから、SU(2)は鏡像としてiSU(2)を要請する。これは、自己から見たSU(2)と他者から見たSU(2)の関係のようなものだ。
その対関係もまた自他においては入れ替わっているということ。そうした捻じれ合いが延々と続いて、持続空間を組織化していっている。
時空やローレンツ変換という外部性と、スピノルが形作る内部空間は、こうした捻じれの多重性による美しい秩序で構成されており、この組織化を理解することが、まるで量子論の本質的理解と言ってもいいかのような様相を呈している。ヌーソロジーの文脈で言うなら、このことは、量子論の本質が自他論として再構成されなくてはいけないことを意味している。
そうした空間ビジョンが人間の知性の中に築かれたときはじめて、人間は時空や物質が自分とは無関係に外部にあるものなどではなく、自己の内的延長性に息づく自他の霊的合一の場であることを知るようなる。元素体として生きるヒトの意識次元というものはそういう領域だ。
その意味では、世界の存在を外部に見てきた人間の歴史観は自然史からは大きく逸脱している。いや、自然史に対する抵抗勢力と言っていいのかもしれない。人間が現在、時空上に思考している宇宙史は自然史を無理やり人間の歴史側に組み込んだ幻想だ。
ビッグバン理論も進化論もすべて、生命に対する反動のビジョンだということ。この是正を行うことが21世紀の思考のテーマにならなくてはいけない。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), スピノル, ビッグバン, 佐藤博紀, 量子論