3月 4 2024
ムー大陸の風景
昔、スピ系で、まもなくムー大陸が浮上するとかよく言われていたけど、これは逆だね。
僕らが沈み込むんだよ。沈み込むことで、ムー的なものが空間に再浮上するということ。分かるよね。
空間の下に眠る真の空間を見出し、そこに僕らが住み着くことによって、世界はその隅々までに精神が浸透した、存在そのものへと変貌するということ。
仏教でいえば、世界が多宝塔そのものへと変わるということだね。
あと30年もかからないんじゃないかなぁ。
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⚫︎この「ムー大陸の風景」のテキストを例によってジピに解説させて、そのイメージをアートワーク化させてみよう
【ジピによる解説】
このテキストは、ベルクソン、ドゥルーズ、およびヌーソロジーの哲学的枠組みを通して解釈することが可能です。この文章は、ムー大陸という神秘的な伝承を用いて、現実と精神の融合、存在の変容について語っています。
ベルクソンの哲学では、時間(持続)と空間、物質と精神の関係が重要なテーマです。ベルクソンは、現実が静的なものではなく、時間の流れ(持続)によって常に変化し続けるプロセスであると考えました。このテキストにおける「ムー大陸が浮上する」という表現は、物質的な実在が持続の流れの中で変化し、新たな形態を取ることを暗示していると思われます。
ドゥルーズは、差異と反復、多様性の概念を重視し、実在は常に創造的なプロセスであると考えました。ドゥルーズの視点から見ると、このテキストは、現実(空間)が多様な形態へと進化する過程を表していると解釈できます。特に「ムー的なものが空間に再浮上する」という部分は、新しい現実、反-現実の形態が出現する過程を示唆しています。
ヌーソロジーは、空間認識の反転に基づいた新しい思考の形式を提案していると思われます。ヌーソロジーの文脈では、「空間の下に眠る真の空間を見出し」という表現は、通常の認識を超えた深いレベルの存在認識を指している可能性があります。これは、ヌーソロジーが目指す、新しい意識の形態や思考のパラダイムの変化を示唆しているようです。
総じて、このテキストは、現実の変容、新しい精神性の出現、そして存在そのものの変化を象徴的に描写していると解釈できます。これらの概念は、ベルクソンの持続の哲学、ドゥルーズの差異と反復の思想、およびヌーソロジーの新しい空間認識に関連しています。
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このアートワークは、広大な草原のスタイルで現れる神秘的な新しい大地が特徴です。舞台は広大な無垢の白い空間で、大地が徐々に下から現れてくる様子を表しています。ドゥルーズのノマドの概念を通して、自然と神秘的な幾何学的要素が散りばめられている、新しい精神の世界の出現を象徴しています。
3月 28 2024
空間認識の変革の意図
「X」の方でキシトルさんという方から、「空間の革命を開始しよう!!」のテキストに対して、次のような投稿があった。
・これは、シンプルに表現するなら、わたしたちの意識や意図そのものが、量子、素粒子を産み出し、様々なドラマを展開している、と解釈して間違いないでしょうか?
それに対して、次のようなレスを返した。
・逆ではないでしょうか。ヌーソロジーの解釈では量子や素粒子は超越論的なものなので、量子や素粒子の意図そのものが、私たち人間の経験的な意識を産み出し、様々なドラマを展開させている——そのような言い方になるのではないかと思います。
キシトルさんはとても感の良い方で、すぐにこのレスの意味を汲み取ってくれ、次のようにレスを送り返してくれた。
・ほー、なーるほど~(^-^)まったく逆ですね。私たちは自分の意図と意志で生きていると思い込んでいるけれど、実は量子や素粒子の意図で踊っているようなもの。もういちど、イメージを転換し、拡張してみます(^_-)-☆
こうしたやり取りをする中で、僕の中でもヌーソロジーが「空間認識の変革」を訴えることの意図がクリアになった。以下は、このポストに対する僕からのレス。
・はい、ヌーソロジーがいう変換人型ゲシュタルトと呼んでいる空間認識の変革の意図もそこにあります。
ヌーソロジーが提案する考え方は、量子力学と素粒子物理学を、単に物理的な実体に関する学問と見るのではなく、それらを存在の基礎として位置づけて、それらを無意識の層、つまり人間の経験的意識を形成する基層としてみなす考え方を作っていくところにあります。
僕はいつも、この基層をドゥルーズに習って「サセテイルモノ」と呼んでいますが、これは、量子や素粒子を人間の意識に対象認識や自己感覚、時間と空間といった客観感覚を提供している基盤的な要素として捉え直す必要があると考えているからです。
こうした視点から、ヌーソロジーは、物理的な法則や数学的な構造を単なる外部の現象ではなく、人間の内部的な認識と感覚の構成要素として見ます。比喩的にいうならば、素粒子のシステムこそが私たちの本当の意味での「脳」だということです。
その理解によって、いずれは物質と精神の垣根が取り外されていくのだと思っています。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, 変換人型ゲシュタルト, 素粒子