9月 30 2016
生産的性愛の奪回に向けて
思考する主体、思考される世界、さらにはそれを保証する神―これらは言葉を変えれば、超越論的自我、経験的自我、さらにはこの両極を反復させている慣性と言っていいだろう。この反復を逆転させることによって永遠回帰の現実がやってくると考えていいと思う。それが反転認識の目指すところだ。
思考する主体は持続において素粒子の中に潜り込んでいる。一方、思考される世界は架空の時空間的延長性の中にデッチ上げられている。この二つを反復させているものは上層に棲みついている父。母は父の言いなりになっている。彼らの間ではまともな性愛など営まれていやしない。
ヌーソロジーがユダヤ的精神と呼んでいるものはこの父のことだね。陰謀論を喚き立てても何も変わらない。この父を告発しないことには何も変わらない。そして、厄介なのはこの父の亡霊が今や全ての人間に棲みついているということ。
根は底なしに深いよ。
もちろん、ユダヤ的精神の中にもレジスタンスは存在している。それがカバラだね。ルーリア・カバラはこの父と母との間の性的不全を看破している。この性的不全によって「器の破壊」が起こっていると語るんだ。つまり超越論的自我が沈み込んでいるということ。魂(素粒子)が見えなくさせられているってことだけどね。
創造されたものと創造するものの境界には「器」があるんだよ。ドゴン族はそれをフォニオと呼んだし、古代日本人はそれを「石神(シャクジ)」と呼んだし、プラトンはそれをコーラと呼んだ。現代の物理学者はそれを素粒子と呼んでいるだけ。境界を打ち破ろう!!
【追記】
ルーリア・カバラが語るこの父と母との間の「性的不全」。気になるよね(笑)。ルーリアによれば、二人は互いに背を向けているらしい。互いに無関心だってこと。要は仮面夫婦になっちゃってる。神様が仮面夫婦を装ってるんだから、人間にその影響が及ばないはずがねぇーだろ、って感じかね(笑)
互いに背を向けているんだから、つまり、まともに見つめ合っちゃいない。後ろばっか見ている。。。。もう分かるよね。この意味。「前」に向かえよ、ってことなの。そしたら、ちったぁまともなセックスができるぜ、ってね。
10月 3 2016
瞬間の中にある永遠が開く時期が迫っている
意識は能動的なものと受動的なものの関係性が作り出している。だから意識の秘密を探るためには能動的なものが活動している場所と受動的なもののそれとをまずは見い出さないと無理。哲学的には持続と延長がその関係になってるのだけど、物理学ではそれが内部空間と時空の関係として表現されている。
人間が能動的なもの(持続)に無頓着なのは、記憶の重要性についてまだ気づいていないからだね。記憶こそ空間の非局所的性質がもたらしているものだよ。かつてのあそこも今ここに同時にある。記憶ってそういうものでしょ。それに対して外的知覚なんてものは一瞬で消え去ってる。ここんとこよく考えて。
外的知覚は幅化した奥行きの空間を通して入ってくるんだけど、それを記憶として保持しているのは持続としての奥行きの空間なんだ。だから、記憶は常に目の前で再現されてくるわけ。目の前に異次元が重なっているんだよ。この異次元がなけりゃ、外界なんて瞬間だけなんだからないも同然でしょ。違う?
そして、この異次元がダイレクトに素粒子と直結しているとしたら、自然界に出現しているすべての物質は実は外界に存在しているものではなく、持続体の運動のもとに段階的に組織化されている精神の歴史の瞬間的幻影ということになるね。鉱物も、植物も、動物も、そして他者も実はそういうものなのさ。
それらを時空上の存在物と見る思考は持続の力を無視した全くの虚構と言っていいんじゃないのかね? 科学的唯物論(素朴実在論)の胡散臭さはまさにそこにあるわけだね。だから、そんなのを常識にしていてはダメ。持続空間を思考していくための影絵のようなものとしてみないとね。
こんな当たり前のことを言うのに、哲学的にいろいろな言い回しを駆使しなくちゃいけないほど、僕らの思考は本当の宇宙的現実からズレているわけ。正気じゃないんだよ。誰もが空間を幅で覆っちゃって、奥行きを見てないから。奥行きこそが僕らの生命が働いている場所だよ。
つまりさ、瞬間の中に畳み込まれている永遠、それが僕らなんだ。これについては過去の神秘家や、宗教者や、哲学者たちがすでに多くを語っている。しかし、まだ僕らはこのパラドックス的共在を知性の域にまで上げれていない。だから人間は死に怯えることになる。死と重複して生きているにもかかわらず、だ。
死を開くためには力強い知性がいる。死を見えるものへと変えていく必要があるのだ。死とは生を経験可能なものにしている永遠の部分だ。そして、この永遠は永遠という別の時間の中で生きている。もちろんそれを魂と呼んでもいいのだが、そう呼んでしまうとその分かりやすさゆえに死は生から遠ざかる。
今までとは全く違った方法でこの死の空間を召喚すること。「奥行き」において空間を思考し世界をそこから再構成していくということは、死の視点から世界を描き直すことに等しい。地図はもうほぼ出来上がっている。あとは、奥行きを虚軸と見なす物理学者たちの決断だけなのだろうと思っている。
おそらく数十年後には現在、素粒子物理が展開しているゲージ対称性の世界は人間の魂の構造として理解される世の中になっているだろう。それが人間世界のすべてを変えていく。それが「次元の方向性がすべて見えるようになる」というOCOT予言の意味でもある。成就の年は2039年とされている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 2 • Tags: OCOT情報, 奥行き, 素粒子