4月 22 2019
トーラス氏のブックレット
友人のトーラス氏からコンパクトなブックレットが三冊送られてきた。タイトルは『太陽系トポロジー』。
太陽系の諸天体の時空間的秩序を「数(かず)」を通して探索し、そこに潜むイデアのハルモニアをえぐり出そうという試みだ。
最近は、僕の方はヌーソロジーの思想・哲学的な側面の肉付けの方に忙しく、こうしたマクロ空間方面のヌース的探索はなおざりになっているが、いずれ、こうしたトーラス氏の研究にもヌース的観点からいろいろと物申せるようになるやもしれない。
たとえば、下の「地球・木星・土星の描く4重の六芒星」のページを見てほしい。ヌーソロジーになじみのある人は、すぐに「ヘキサチューブル」を連想するのではないだろうか。ヘキサチューブルは「付帯質の内面」の顕在化を4次元から捉えたときのカタチを表すものだが、それがそのまま地球・木星・土星の公転円と比率的には重なり合っている。
木星と土星はOCOT情報によれば、そのままヒトの精神の力を表す次元であり、これは付帯質の内面を顕在化させる力に相当している。ヌース的思考を長年続けていると、こうした一致がとても偶然とは思えなくなるのだ。
4月 26 2019
ヌーソロジーの世界観の基本
奥行きを相互外在的な関係からなる物理的空間と同列に並べることはできない。その意味でも奥行きは内在=持続の場所である。ヒュームの言葉を借りるなら、奥行きこそが人間本性(human nature)の場なのだ。奥行きは幅化した奥行きと協働し感性を作り、印象の束を一つの主体へと仕立て上げていく。
感性に始まり、悟性、理性、構想力という、あのお馴染みの「超越論的なもの」の活動する世界が、この奥行きの奥裏に広がっているということだ。ここに本当の意味での人間的自然が展開されている。この自然のことをブーバーや西田なら「永遠の我と汝」と呼ぶことだろう。
この永遠の我と汝の活動が産み出す超越論的なものが、人間の経験の可能性の条件の一切を与えていると言っても過言ではない。物理的な自然に現れる「自己」や「他者」といった存在は、その結果の産物のようなものであり、世界とはすべてがそうした結果の中で展開しているドラマのようなものである。
ブーバーは「我-それ」と「我-汝」を、宇宙の根底的な二元性と見なしたが、私たちが生活の中で味わうすべての精神的苦痛は、世界が「我-それ」の基軸の方にあまりにも傾いて動いているからだ。それ以外に理由はない。「我-それ」は物理的自然を、「我-汝」は精神的自然をそれぞれ意味している。
人間は精神的自然を忘れてしまった。だから、精神的自然と物理的自然とのつながりも全くイメージすることができなくなっている。精神と経験科学を結びつけるための絶対的な絆が必要だ。ヌーソロジーが奥行きを通して素粒子を思考していることの意義もここにある。
と、このあたりで固い哲学用語は抜きにして、この精神的自然というヤツと物理的自然というヤツの関係を、ヌーソロジーのフィルターを通して図に示してみよう。これは、ヌーソロジーの世界観の基本と言っていいものになる(下図参照)。
極めて簡略化した図なので、材料が足りないかもしれないが、ヌーソロジーに関心がある方はゆっくり考えてみて下さい。尚、Φ13~14は他者側ではΦ*14~13の関係になります。
この図で、総体の定質の対化と性質の対化が等化を行っている状態が「光」です。
定質の等化が電場振動、性質の等化が磁場振動。
「光」はその意味で、人間の肉体を作り上げている精神とも言えます。
OCOT情報は光のことを「総体における止核精神」と呼んでますね。
光は精神の中間休止状態とも言えます。
光が幅方向から奥行き方向に向いたとき(反転の意味です)、止核精神は止核化を解除し、素粒子空間にアクセスして世界内部空間(この図に描いたウロボロス的円環の世界)に入っていくというストーリーになっています。
ヌーソロジーもそのシナリオに沿って思考を進めています。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 素粒子