11月 11 2016
自分を知ることと宇宙を知ることは同じじゃないとね
人は3次元世界を前提にして思考している。これは人間の悟性が3次元と一体化して働いているから仕方ないことなのだけど、その悟性における視線で世界を見てる状態が下の図。自他それぞれから見れば悟性の視線が横から入ってきているというのが分かるよね。当然、この視線は自己のものでも他者のものでもない。
こういう第三の視線をラカンだったら大文字の他者の視線と呼ぶだろうけど、誰もが意識の中にこの視線を持ってるでしょ。それが世界を3次元と見せているものなんだよね。つまり、3次元空間の本質は自他の間に「幅」を置いたことに起因しているわけ。
物体だってそうだよね。この大文字の他者の視線がなければ客観的な物体なんてものは意識に現れようがない。この視線は精神分析的に言うと「父の審級」ってことになるんだけど、この目が自己と他者を同一化の空間の中に投げ入れて縛っているというのが図からよく分かるんじゃなかろうか。
ここでよぉ~く思い出してもらいたいんだけど、幼児の頃、君の中にこんな視線があったかい? たぶん、なかったよね。この視線は7~8歳頃から意識の中に芽生え始める。で、13~14歳頃にはガッツリと完成する。つまり、この視線の確立によってどうにか君は言葉の世界に参入できたよって話。
自己と他者を単なる幅の空間で結ぶと自己も他者もペルソナの世界で生きるようになっちゃう。ペルソナの土台となるのが名というやつ。出席名簿にズラリと並べられたクラスメートの名前。その中のワン・オプ・ゼムとしての「わたし」。
みんなペルソナ(名札)をつけて、「今度の運動会、クラス一団となって頑張ろうね!!イェーイ!」とか人気者がVサイン作っちゃったりして。運動オンチの子は顔に縦線入りまくりで、そっとうつむくしか術がない。まぁ、どこの小学校にもある光景だけど。
で、この横からの視線がもし僕らが「時間」と呼んでいるものだとしたら。。人が時間と空間の世界を前提にして生きていく限り、こうした情景は何度も同じ”出来事”として繰り返されていくってことになる。その視線はときに優越感、ときに劣等感を生み、人と人の距離をますます疎遠なものにしていく。
人の無意識の中に巣食う視線はこれだけに収まらない。人は成長していくうちに、こうした無意識の視線を4本多重に交叉させてくる。そりゃあ心理構造が複雑になるわけだ。そして、合計5本となる内的視線の空間がそのまま複素空間の次元の話につながってる。ここに素粒子構造と人間の無意識構造を同型対応としてみるヌースの思考の土台がある。大阪でのヌースレクチャー第4回「ヌーソロジーと自我」のDVDではそんな話を約4時間にわたって詳しくしています。ある意味ではヌーソロジーの最重要パートかな。
自分で自分の成り立ちを知る―この課題をほったらかして、宇宙がどうこう言っても何の意味もないと思うよ。自分を知ることは宇宙を知ることと同じ。そして、また、宇宙を知ることは自分を知ることと同じ。悲しいかな、今の世の中にはそういう学問が一つもない。だから、つまらない。だから、作る。ただ、ひたすら作る。世のため人のためとかではなく、ただただ未だ出会えていないほんとうの自分のためにね。
11月 16 2016
惑星たちの思惑
ヒト(人間の上次元知性体)の精神の対化がマクロ世界に映し出されたものが木星と土星だとOCOT情報はいう。木星は魂的世界の顕在化をすべて持ち霊的世界の礎を作っている。一方、土星はその力を相殺する側に回る。そして、この関係は鏡の向こうとこちら側という形で双対になっている。シオリズムでいう双子のカムナとアマナの世界というイメージだ。その意味で木星と土星の精神風景はすべてが美しいキアスムで結合している。
プラトンの『饗宴』を思い出そう。太古の昔、人間は背中合わせで繋がった手が4本、足が4本のアンドロギュノスだった。しかし、彼らがあまりに力を持ちすぎたために、神ゼウスはウラノス(天王星)に命じてこの接合を切り離す。
切り離された世界ではこの双子の関係の転倒が起こる。女だったものが男化し、男だったものが女化する世界とでも言えばいいのだろうか。土星が産み出した美しい物質たちは殺伐とした構造物へと成り下がり、木星が産み出した創造の精神の方は共感度の高い女の心へと変質する。
男は思考、女は感情というあのお決まりのステレオタイプ化したゲシュタルトが転倒世界の中に組み込まれるわけだ。
この二つに切り裂かれた手足各2本づつの生き物は「人間」と呼ばれ、彼らの活動は内惑星たちに委託される。地球、月、水星、金星、太陽、火星。ここで統括を任されるのが天王星から人間統治の命を受けた太陽だ。太陽は人間が再びアンドロギュノス化することのないよう人間であり続けることの歯車を回し続ける。
と言って、神ゼウスは人間を永遠に人間という檻に閉じ込めておこうとは考えなかった。アンドロギュノスであった頃の夢見を海王星を通じて与え、その記憶を完全に忘却してしまわないように取り計らった。神々のエネルギーが枯渇しないために、再び、人間を木星と土星に招き入れる必要があったからだ。
招き入れる役割はゼウスの兄であるプルートー(冥王星)に任された。神々の事情を知らない人間たちは、このプルートーを冥界の神として恐れた。太陽を中心に築き上げた自分たちの世界が破壊されてはたまらないと思い込んでしまったからだ。
歓迎されるべきものが恐れられ、本来、恐れられて然るべきものが歓迎される。この倒錯感覚は人間社会のここかしこに見ることができる。第9惑星の地位の座から引きずり降ろされてしまった冥王星だか、果たして、冥王星は無事に木星への扉を人間の前に開くことができるかどうか。。
その達成の徴(しるし)が惑星Xの発見となって現れると考えるといい。
――この物語はすべてフィクションだからね(笑)。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, もののケのしおり, アンドロギュノス, プラトン, 顕在化