9月 16 2016
別人28号
2~3年後、小中学校において「道徳心」「愛国心」に成績をつける、と文科省が決定したそうな。国土を国家で覆い尽くそうとする超自我系の無意識の暴挙はこれからもどんどんやってくる。どうするよ、精神的個たち。政治を変容させる術は何処に?
http://togetter.com/li/987897
僕が精神的個の領域を「別人」として育てるべき、と主張するのは日本人が浮かれていたポストモダンの反省からである。ドゥルーズが言うように資本主義はスキゾを食料としている。価値の多様化は商品の多様化を生み、世界をスキゾ化していく。しかし、その一方で、より強大なパラノ怪物が出現する。
それがグローバリズムというものだ。グローカルなどといった形容は全くの誤魔化しであって、人はこのような状況ではではノイローゼになるか、それを避けてパラノイアになるしか手段がない。この渦巻き運動の中には調和などいった生やさしい風景は存在してはいない。
今ある日本の姿はポストモダンの反動だということは誰にでもわかる。単なる重心の移動、資本主義機械の振り先が方向転換しただけにすぎないのだ。だからパラノイアが増殖する。結果は必然、ファシズムに向かうことになる。
そこで、聞きたいわけだ。どうするのよ? 精神的個よって。
この点において、僕自身はドゥルーズは正しいことを言ってると思っている。すなわち、資本主義機械が根本的に恐れているものは「器官なき身体」(有機体のシステム全体を指す。物質意識から逃れたもののことと思うといい)の出現だということ。今までのパラノとスキゾのシーソーごっこじゃもうどうにもならないってこと。言ってみれば世界はもう幻魔大戦並みの様相を呈しているんだよ。ほんとに。
「器官なき身体」についてそろそろ本気で考え始めないと、これからの時代、精神的個なんてものは過去の遺物として消え去っていくと思うよ。ほんと。そろそろ「別人」が登場しないとダメなんだよ。君の中に眠る「別人」がね。
9月 21 2016
絶対的中心
「存在」それ自身はどのようにして分化=異化し、存在者となるのか。これは言葉を変えれば、非局所としての精神はいかにして物質として局所化するのか、とも言い換えていいだろう。ドゥルーズはこれを”魔神の跳躍”と呼んだ。
ドゥルーズの表現を借りればそれは次のようなものだ。―遊牧的(ノマド)な配分が、表象=再現前化の定住的な諸構造の中に忍び込ませる壊乱的なトラブル―そう、魔神は神々の作業の隙間に入り込み、生成の秩序をごたまぜにし、人間の思考に催眠術をかけるのだ。
現在、科学者たちがイメージしている物質的宇宙観(ビッグバン理論や進化論)はその意味で言うなら、この魔神の意のままに操られた夢遊病者が見ている夢のようなものと言っていいだろう。
垂直的な世界が水平的な世界へとごたまぜになって影を作り出す。わたしたちの精神の起源が存在する世界と時空に散在する物質世界はまさにそのような関係にある。
星と血液は鉄の精神によって結ばれている。太陽と植物はマグネシウムの精神によって結ばれている。DNAと言語はリンの精神によって結ばれている。こうした結びの風景の中に立ち入らせないようにしているのが魔神が作り出している直線的な跳躍なのだ。
わたしたちは空間に一つの絶対的中心を見出さなくてはならない。そして、その中心において思考されているものを見出さなくてはならない。存在はその中心から成長していく多層な球としてその内部に高次の幾何学を張り巡らしている。
神々の空間への侵入は、この絶対的中心の発見から開始されるのだ。
※下写真はトーラス氏が展開しているBABYMENBOTALよりお借りしました。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, ビッグバン