1月 10 2017
カガミからタマヘ―今日は少し古神道的に
前々回と同じ内容だけど、今日は少し古神道的に。図も少し変えてあるよ^^
カガミの本質は何かと問われればヌースは「それは他者の視野空間だ」と即答するだろう。このカガミを通して主体はまずは見られるものとしての自分の足場を固める。人間が経験する世界の構成はこうして他者の虚軸をもとにして構成されていく。本来の主体は自らの虚軸としてあるにもかかわらず、だ。
これが「転倒(ニーチェ)」だと考えるといい。構造としての他者が世界を構成し、経験的自我はあくまでもこの構造の中で受動的なものとして構成されていく。
鏡に映された空間の中で世界が構成されていくと意識に何が起こるかは簡単に想像できるだろう。それは本来の奥行きと幅の関係がひっくり返って世界が出現してきてしまうということだ。ほとんどの人間が奥行きを距離(延長)としてみてしまうのもこのカガミの効果が働いているからだと考えるといい(下図の赤色の部分)。
そして、重要なことは自分自身の視野空間もまた他者にとってはカガミとして働いているということ。他者に経験的自我を与えているのは自分自身の眼差しだということ。このことにもわたしたちは意識的にならなくてはいけない。
物部の秘儀はこの関係をオキツカガミ(他者の視野空間)とヘツカガミ(自己の視野空間)と呼んだ。そして、この二つのカガミは荒御魂とされている。互いが映されることの方ばかりに重心を置き、映す方に意識的になれていない状態を表しているのだろうと思う。
ほとんどの科学者たちは科学的宇宙観と人間の倫理感を別物として考えているようだ。しかし、世界の成り立ちを物質だけで考えるということは世界を鏡像空間の中に幽閉することに等しく、そこでは自己も他者も互いに抗争を続ける荒御魂の姿であり続けるしかない。
量子コンピュータに未来を任せるのもいいが、ここはもう一度、物質の基底がなぜ複素空間で成り立っているのかを真摯に考えるべきだろう。下側から出現してきた自分たちの本性にすべてを任せるのか、もしくは自分たち自身が上側に住む自分たちの本性へと立ち還るのか―。
いずれにしろ、人間は人間始まって以来の最大の岐路を経験しつつある。
マルの中にチョンを打つとしても、実はそこには二つの異なる方向があるということなのだけどね。
下図を見てじっくり考えてみてね。
1月 16 2017
「cave syndrome 」100万アクセス達成!
2005年2月に始めたこの個人ブログ「cave syndrome」が100万アクセスを突破した。拙い記事にもかかわらず、毎回立ち寄ってのぞいてくれた皆さんに心から感謝します。
それにしても、ブログを立ち上げて12年か。よくここまで続いているな、と我ながら感心する。
もっとも最近はTwitterでつぶやいた記事をFacebookにまとめ、それをそのままこのブログにも転用しているだけで、ブログオリジナルの記事を掲載しているわけでもない。
その意味で言えば、Facebookを始める以前の方が記事のクォリティーは高かったし、内容もバラエティーに富んでいた。
何せ、日頃頭の中にあることは、いつも空間のことだけ(笑)
ブログの名に冠しているように、相も変わらず「cave syndrome(洞窟症候群)」が続いているのだ。そして、たぶん、この症状は一生治らない。
記念すべき最初の記事にはこう記している。
——2005年2月24日
ともあれ、ブログ名は「cave syndrome」とした。
直訳すれば、「洞窟症候群」となるが、
これは、待っても来るはずのない恋人を必ず来ると信じて疑わない、
滑稽でもあり、また愛すべき種族の人間たちのことを指す。
わたしなりの造語だ。
当然、ベケットの小説を意識はしてはいるが、
ニュアンスはちょっと違う。。
わたしは何を待ってるのか。
待ち人はやってくるのか?
やってくるとすれば、彼女の髪の色は?
長さは?
眼の色はどうだ?
彼女の香りは?
………分からない。
しかし、わたしはそんな彼女に恋をしている。
ケイブとは神の花嫁の性器のことである。
あれから早十数年の月日が流れている。果たして彼女はやってきたのだろうか。それとも、いまだに待ちぼうけを食らっているのか。
相手が相手なだけに、それは微妙なところだ。
ただ、こうして待ち続けて一つだけ分かったことがある。それは、彼女は間違いなくいる——ということ。
cave syndromeの感染力は、これからますます増大していくことだろう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0