6月 14 2019
現実的対象と潜在的対象
幅化した奥行きには二つの方向がある。一つは対象から観測者に向かってくる方向。もう一つは観測者から対象へと向かう方向。この二つは向き付けが逆の反転した3次元を作り出している。前者が人間の内面、後者は人間の外面に関与を行っている。ヌースではこれを思形空間と感性空間と呼んでる。(下図上参照)
思形空間は瞬間的な現在しか持たないが、感性空間は持続(虚軸)に関与しているので、古い現在を重層的に含み持っている。思形空間ではリンゴは単なる現実的対象に過ぎないが、感性空間では、リンゴは記憶と一体化し、潜在的なものを含み持つ潜在的対象となっている。
このリンゴは昨日からここに置いてある。悪くなっていないだろうか―など。
知覚は常に記憶を含んでおり、それは局所的な小さな主体でもあるということ。潜在的対象とはそういうものだ。
現実的対象と潜在的対象。これらは外感覚=客観と内感覚=主観と言い換えてもいい。思形空間は思形(時間)によって統合され現実的対象のセリー(連続性)を作り、感性空間は感性によって統合され潜在的対象のセリーに触れている。ケイブコンパスが表現しているのはそれら二つの意識の流動性だと考えるといい。
人間の個体の意識は、まず感性=ψ10から立ち上がり、その後、思形=ψ9を発達させ、次にそこからまた感性に戻るといった順序で、この無意識の回路を反復することによって生み出されていく(下図下参照)。
そして、13~14歳あたりになると、この思形と感性の関係を捻る方向へと成長していく(ψ12~11へと進んでいくということ)。
幼児は感性空間そのものとして生きている。幼児にとって対象はすべて潜在的対象であり、それは自分自身と区別がつかない。また、幼児は流れる時間というものを知らない。流れる時間を知らないのだから、当然、瞬間的現在を表象化することもできない。流れる時間は思形の発生と共に意識に浮上し始める。
思形はサイド(左方向)からの視線として現れる。それによって初めて空間が意識化されてくる。思形が対象と観測者の間に幅を見せてくるのだ。ここは感性の場所であると同時に、対象の手前に観測者を意識させる空間でもある。二つの向き付けの3次元が思形には見えている。
ここで話しているのは、別に心理学の話ではない。素粒子構造についての話だ。そこがヌーソロジーの特異なところ。主客一致の世界観はこうしたロジックの元に到来してくると思ってる。理解できてくれば、君は世界の中に「生成」そのものとして溶け込んでいく。
6月 19 2019
素粒子の全体像がようやく見えてきた
最近は等閑にしていた潜在化におけるΨ13~14の内部構成について考えている。
Ψ13~14はψ11~12の等化と中和の次元に当たるのだけど、これは自己側の無意識が他者側のΨ*11~12領域までアクセスしていくことを意味している。ここにレプトンの三世代を配置すると標準理論的に綺麗に収まるのだが、この領域が何を意味するのかが未だにハッキリとつかめていない。
物質粒子(フェルミオン)にはクォークとレプトンの二種類があり、それぞれが以下のような三世代を持つ。
・クォーク
uクォーク・dクォーク
sクォーク・cクォーク
tクォーク・bクォーク
・レプトン
電子・電子ニュートリノ
ミューオン・ミューオンニュートリノ
タウオン・タウオンニュートリノ
OCOT情報では人間の個体意識の構成はΨ11~12で完成され、それぞれ人間の意識の定質、性質と呼ばれる。そして、それらが電子とニュートリノの関係にあたる(『人神』や『シリウス革命』では電子とニュートリノはΨ5~6にしていたが、次元の多重性が見えてきたために現行のヌーソロジーでは大きく変更されている)。
そこから先にΨ13~14という段階があるのだが、ここが今ひとつ謎。クォークとレプトンが三世代存在していることと関係があるとの直感があるが、どうもうまく整理できない。
Ψ11~12はΨ *5~Ψ *6領域へと凝縮し、電子と電子ニュートリノの位置を作る。これはちょうどu,dクォーク(Ψ5~6)のウラに相当してくる。トップとボトムクォークもそこに重なっている。
この辺りはヒッグス場とも関係してくる。というのも、トップクォークやダウンクォークはヒッグス場の崩壊から出てくるとされているからだ。同時にWボゾンも絡んでる。弱い相互作用の場というのは様々な次元のレイヤーで入り組んでる。このあたりのことを正確に理解するためには最先端の素粒子物理学の正確な理解が必要なのだが、これがまた難しい・・・。
あと、面白いのは、ニュートリノには左巻きしか存在しないという実験事実だ。電子ニュートリノ・ミューオンニュートリノ・タウオンニュートリノに右巻きが存在しないということは、そこでは「対化=他者性」が生まれていないということを意味している。
つまり、Ψ13~14は「一者性」の温床のような領域になっており、ここで「自己意識は自己で閉じる仕組みを与えられている」と言い換えてもいい。対化としての自己性と他者性の等化の連続的な運動がそこで切断されている。
とりあえず大系観察子のケイブコンパスを使って、標準理論の素粒子群の布置を表してみた(下図参照)。
結構美しい。この構成だと超対称性は次元の交替化(赤と青の相互変換)の意味を持つことになる。
簡単に図を説明しておこう。
フェルミオンは超越論的主観性のシステムを表す。ボゾンはそのシステムを前提として働かされる人間の意識の様々な役割(カント的にいうなら感性・悟性・理性等)に当てることができる。この構成はSU(3)で構成され、それらの統覚(自己意識を「わたし」という主体意識で取りまとめる働き)を電子・電子ニュートリノがとりもつ。
こう考えると、レプトンの残りの2世代は、人間における死後の意識領域ということにでもなるだろうか…。
フェルミオンとはヌースの言葉でいうなら「垂質」の構造体だ。それは垂直的にレイヤー化した持続空間の階層性と言ってもいい。存在の思考が作るカタチの世界である。この思考が再開されるためには、まずは非局所的空間を「前」の中に発見するしかない。それがヌーソロジーが「奥行き」と呼ぶものだと思ってほしい。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, クォーク, ケイブコンパス, シリウス革命, ニュートリノ, 人類が神を見る日, 奥行き, 素粒子