9月 21 2016
絶対的中心
「存在」それ自身はどのようにして分化=異化し、存在者となるのか。これは言葉を変えれば、非局所としての精神はいかにして物質として局所化するのか、とも言い換えていいだろう。ドゥルーズはこれを”魔神の跳躍”と呼んだ。
ドゥルーズの表現を借りればそれは次のようなものだ。―遊牧的(ノマド)な配分が、表象=再現前化の定住的な諸構造の中に忍び込ませる壊乱的なトラブル―そう、魔神は神々の作業の隙間に入り込み、生成の秩序をごたまぜにし、人間の思考に催眠術をかけるのだ。
現在、科学者たちがイメージしている物質的宇宙観(ビッグバン理論や進化論)はその意味で言うなら、この魔神の意のままに操られた夢遊病者が見ている夢のようなものと言っていいだろう。
垂直的な世界が水平的な世界へとごたまぜになって影を作り出す。わたしたちの精神の起源が存在する世界と時空に散在する物質世界はまさにそのような関係にある。
星と血液は鉄の精神によって結ばれている。太陽と植物はマグネシウムの精神によって結ばれている。DNAと言語はリンの精神によって結ばれている。こうした結びの風景の中に立ち入らせないようにしているのが魔神が作り出している直線的な跳躍なのだ。
わたしたちは空間に一つの絶対的中心を見出さなくてはならない。そして、その中心において思考されているものを見出さなくてはならない。存在はその中心から成長していく多層な球としてその内部に高次の幾何学を張り巡らしている。
神々の空間への侵入は、この絶対的中心の発見から開始されるのだ。
※下写真はトーラス氏が展開しているBABYMENBOTALよりお借りしました。
10月 5 2016
マイナーな民衆のために
ベルクソンは僕らが時間と呼んでいるものは空間と持続との混合であると言っていたが、他者の奥行きが自己には幅に見えることがまさにその混合を象徴している。持続の内部構造を見ていくにあって、まずはこの癒着を注意深く切り離していく必要があるのだが、このベッタリ感はかなり執拗で手強い。
時空と複素空間の混合。これは波動関数の基本的な形式ψ(r,t)=Ae^i/h'(p・r-Et)にも如実に現れている。外部(r,t)が複素空間の位相θの中に何気に組み込まれているのだ。これは持続が時空を巻き込んでいる様子とも言えるが、同時に時空が持続を束縛している様子とも言える。
複素空間から生まれた時空が、今度は複素空間の中に潜り込む。言い換えれば。無限小と無限大の間に交わされている無窮の呼吸運動。この反復がわたしたちの無意識の生態であることをまずは物理学者も心理学者も知るべきだろう。
フロイト=ラカン的にいうなら、この反復回路は欲望の生産回路でもあるということだ。
目の前には二種類の空間が重なっていると言ってきた。一つは他者と共通了解を取れる客観的空間。もう一つは、そこで想像力や記憶力が活動している秘私的な持続空間。この二種の空間の絡み合いを支配しているのが素粒子の内部構造である。それが見えてくれば、わたしたちの知性は全く別の大地に出る。
物質と精神を区別して語るのはもうそろそろ止めにしよう。宇宙全体をわたしたち自身の精神の活動場として看取していくための思考様式というものが実際に存在しているのだ。資本主義に奉仕するのを悪いとは言わないが、学問はそろそろそこに向かって動いてもいいのではないか。
宇宙的卵の膜を溶かして宇宙的精子をそこに流し込むこと。物質と精神の間に交わされるエロス。あらゆる生殖の原理はまさにここに根付いているのだから。
メジャーな人間を精一杯全うしながら、同時にマイナーな民衆としても生きろ。反時代的に、反大衆的に。それが”別人”の生というものだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, ベルクソン, ラカン, 波動関数, 素粒子