7月 10 2019
鏡開きの秘密
Yさんという方から「鏡で見ると、左右は反転するのに、なぜ上下は反転してないのですか?」という質問をいただいた。これは昔からよく取りざたされているスタンダードな質問だ。
鏡についてはゼロ年代始めのレクチャーでもよく取り上げた。
とりあえずYさんには「鏡が反転させているのは前後軸だけで、左右の反転を感じるのは3次元認識のまま鏡の向こうに回り込むから」とだけ返事した(下図上参照)。―下の図で言うと、x-y平面を180度回転させてy軸とy’軸を重ね合わせている。結果、x軸とx’軸の方向(左右方向)が逆になる。
そしたら、「前後方向を揃えて考えたとして、左右が反転して見えるのに、上下は反転しないのはなぜでしょうか?」とのツッコミが・・・。
確かに、この理屈でいくなら上下方向も反転して感じられないとおかしい。少なくとも、下図のような反転関係で見る限り、y-z平面に沿っての回りこみも可能だからだ。このときは上下が反転する。しかし、実際に鏡を見たとき、その感覚はない。なぜなのだろう。
これは心理学的な問題でもあるのだろうけど、心理学的問題ならば、ヌース的には空間構造の問題でもあるはずだ。上下方向とは何か―改めて考え直してる。
その問題はさておき、ここで鏡が一体何を反転させているのかをヌース的に再確認しておこう。
下の図を見ても分かるように、鏡映は空間の向きづけを反転させているのだが、この反転は正確にいうと、前後軸の反転というよりも、本当は視線(奥行き)の方向の逆転として考えないといけない。
つまり、鏡映関係は4次元から見た表と裏だってこと。その意味で、鏡映においては本当は3次元が丸ごと裏返しにされている。
3次元の裏返しというのは外部と内部の反転と言い換えてもいい。
例えば、右手の手袋は裏返しにすれば左手に綺麗に収まる。そのとき手袋の外面と内面は反転してる。もっとも手袋には手を入れる穴が空いてるが、この穴が空いてないバージョンを考えれば、それが4次元から見た3次元の反転ということになる。
自己と他者が対面して見ている世界には、本当はこうした内部と外部の相互反転が起こってる。まずはこうした”空間的現実”に気づかないといけない(下図下参照)。
では、なぜこうした反転関係が今の僕らに見えなくなっているのかというと、人間の無意識の中にこれらの反転対称性を作り出している運動が起きているからと言えるだろう。
この仕組みを素粒子のシステムを通じて明らかにしようとしているのがヌーソロジーだという言い方もできる。
そこには人間とは全く別の意識を持った者たち(人間の反対たち)の世界がある。
反転意識によってその領域へと交差をおこなっていくのがトランスフォーマー。
要は、”鏡開き”の儀式を行う者たちのことだ。
8月 6 2019
瞬間的形態と永遠的形態
本来4次元である奥行きが3次元に同一化している―この無意識的な状況が幾何学的に端的に表現されているのが電子のスピンだ。
物理学では、これは正六面体の立体対角線(√3エッジ)が、それに内接する正八面体の立体対角線(1エッジ)に射影されている状態として表現される(下図参照)。
この図はヒルベルト空間上の表現なので、通常の空間認識とは反転した空間での表現になっている。つまり、非局所だ。
しかし、その意味はカタチを見れば歴然だろう。スピンとは時間の反転投影だということ。
奥行きにおいて時間が持続空間として結晶化している様子が表されている。
そういえば、OCOTは昔こんなことを言っていた。
―人間が形と呼んでいるものとは、カタチが反転して現れたものです。
この言葉の意味が皆さんにも少しは分かってきたのではないか。
瞬間的形態と永遠的形態・・・それらも反転の一つの効果だということ。
何度も言うが、素粒子を対象として見るのはいい加減止めにしてほしい。
それらは反転した時空に棲むわたしたち自身だ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 素粒子